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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

奇跡的確立

2007-06-27 21:52:29 | 死という運命を回避できた経緯
こんばんは。


tomoです。

心臓について話そうと思います。
多分明日都内の大きな病院に行くので、かなり緊張していると思います。明日いきなり入院は無いだろうと思いますが。

実は今回、心臓カテーテルの最中に右の冠動脈の一歩手前まで、カテーテルの管を進め、造影剤を注入するのですが、医師曰く、

「瞬きをする、あっという間に、管が引き込まれていった」

そうです。そして管は心くう内に入っちゃったのです。で、その管が破いたのか、元々血管が弱かったからか、冠動脈は乖離しました。
でも、ここでひとつだけ大きなラッキーなことがあったのです。

心くう内にカテの管が入っていたから、実はステントを入れることができ、私は命拾いしたのです。

もし、単に血管が弱かったとしましょう。普通だったら、造影剤の流れで乖離してたら、その場で死んでましたね。
乖離したのが、微妙に管のせいか、血管のもろさかわかりません。が、管が入っちゃったミスで、助かってはいるのです。



これ、ラッキーって考えるか、アンラッキーと捉えるかは、人それぞれ。



私があまり執刀医に怒りを感じないのは、この奇跡的な確立で助かっているから。私が怒りを感じているのは、苦しくて駆けつけた際に、「頭の風邪」と決め付けてろくな検査をしなかった某氏にあります。


私は次の検査。どうなるかわかりません。
本当にどう転ぶか、生きて戻れるのか、わからなくなりました。もはや誰も夢に出てこないのは、もう私がそばにいくからなのでしょうか。

ですが、この大きなギャンブル。
喜んで私はテーブルに着き、ダイスをふるでしょう。
いちかばちか、今までの人生ずっと、勘だけでやってきたもの。全額すっちゃうかも知れないけれど、家族のために、私の周りの人のために、私は万感の想いでさせていただきます。

今まで思えば、無茶な生き方でした。
でも、それは自分である意味冷静になっていて、どこまですると危ないかきちんとわかっているからなのでしょう。そして、生まれつき持つ強烈な生きるための気力と執着心。

鬱にならないのは、鬱になっている暇がないのです。強いのではないと思います。鬱になっても、痛みは消えません。

積極的に、失禁するほど痛いカテを終わらせれば、きっとドラスティックな痛みの消失が待っている・・・・・・と私は信じています。明けない夜などありません。きっともし、また再狭窄するかもしれません。

でも、いつか、私が子供の頃の悩みを捨ててアダルトチルドレンであった自分、ボーダーであった自分を脱ぎ捨てることができたように、私は自分が乗り越えていける、その先には、また元気な自分を思い描いています。

もう一度、元気になりたい。もう一度、思いっきり、遅刻を免れるために走ったり、笑ったり大声で歌いたいです。

痛くてもう受けたくないインターベンション。でもここで自殺したって、痛いのは同じ。自殺のほうがちょこっと短いけど、失禁ベースは同じ。

でも、その先にある笑顔に向けて、走らないわけにはいきません。臨死体験の先にあるお花畑は、私が本当に求めるリアルの、自分の笑顔、周りの笑顔。そして、私の家族の笑顔。

いっちょ、流れを大きく変えてみましょう。
私は私の心にこう書き出すことで暗示をかけます。そして、私の中で消えかかっていた生きる意思を再度燃え上がらせます。

奇跡的確立を生きてきて、また奇跡を起こして生き延びる。強運を引きよせて、私は健康になる。




明日、では、この調子でとりあえず行ってきます。
もう、かなりやばいので、即入院にならぬことを信じて。
明けない夜などありません。朝日は待てば必ず現れます。緊張して辛抱はいまだけ。
笑って話せる日が来るまで、私は生きる気力をこのように書いて、自分に刷り込んでいこうと思います。


tomo@はらたいらさんに、全部
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インナーチルドレンの癒し その2

2007-06-27 14:27:30 | 一回目のステップアップ
こんにちは。


tomoです。

子供の頃目黒に住んでいまして、守屋図書館ってとこに毎週日曜日か土曜日に、親子全員で行って本を借りに行くのが私たち一家の娯楽でした。貧乏だった家で(何に貧乏だったんだか今思うとわかりません)、図書館は私たちの娯楽でした。

でも、その当時の記憶では私はまだ幼稚園に行っていて、難しい本は読めませんでした。ですので、兄や父や母が何か探している時、私のしたことは、

「貸し出しレコードを探す」

でした。そうです。沢山字が読めないから、本は借りられない。けど、自分も一員になりたい私の必死さが、レコードでした。

ショパンから、モーツァルト、サンサーンス、ムソルグスキー、シュトラウス、色々ありました。私は、一本テープを買ってもらって、LPを選んで落としてもらうと、一週間聞いて聞いて聞きまくりました。

そうです。現時点の音楽へのHomageはみな、ここが原点です。
大概、クラシックで聞いていないものは無かったですね。普段はラジオで歌謡曲は流れるし、いつも私は音楽ばかり聴いて、その中からメッセージを読み取ろうと苦心惨憺でした。

そんな私に父がオープンリールのデッキを手に入れてきて、「お話玉手箱」を聞かせてくれました。色々なお話が一杯聞けました。私は本で読む以上に、吸収していったのです。(一部後になって曲解している昔話もありましたが)

私は早く大人になりたいとばかり願っていました。家族の中の行事に参加したかったのです。いつもいつも、焦っていました。

そうです。早く大人になりたかったんです。

今、下の息子が同じようになっています。何度も急いで大きくならなくてもいいよ。と言うけれど、彼は本当に焦っています。
私はどうされたかったのか、自分に問うてみました。

「一度でいいから話題の中心になりたかったし、話題に参加したかった」


私は今それを受け取り自分を解放していきます。
生き急いだ部分もあったけれど、もういいんだよ。とっくに家族を超えたんだよ。もう話題の中に入っても兄とは噛み合いません。ある意味でもう噛み合いません。

歩みを止めた人と話が合わないのです。

いいのです。私は十分がんばった。でも色々音楽が聴けて、私の一生の財産を、たった幼稚園で得たことが素晴らしいことです。

私は、次男に言います。

「お前はお前のスピードで大きくなりなさい。毎日の話の内容には、必ずお前が主役で話せる場を作ってあげるから・・・・・それが、私の過ちを二度と踏まないことなの」





まぁ、ここまでシリアスですが、じゃぁ、一体私の今の話を聞いてくれる人って誰なんですか?家族でも主人とはよっぽど遅くまで起きなくちゃ、楽しく話せません。

おわかりですね。私の沢山の友達(含むぶろぐ)。あなた方が支えてくれるのです。私の存在を気にかけ、たわいもない話。本当に救われています。

ここで改めて、ありがとうと言わせてください。私は一人ではないことをまた確認しました。


tomo@バロックもクラシックも、古典音楽もjpopも詳しいが、現代音楽である武満はきらいなの。ごめん。和尚の護摩壇はすきだけど。
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夜がまた来る

2007-06-27 14:04:03 | 死という運命を回避できた経緯
こんにちは。

tomoです。

過去の夜遊び自慢の続く中、少し書こうと思いました。結構重い話題です。

私が眠れなくなったのは、小学校4年の頃から。で、夜はその頃から私の優しい友でした。どうしたって眠れないのは確実なのです。自分では眠れぬ理由がわかっていましたし、どうしても夜寝ようとすると、緊張して眠れません。

ですので、私は本を読んだり、何か書き物をしたり(割と何か書いてました)していました。徒然に広辞苑も読んだのですが、結構早く読み終わり、学校から沢山本を借りてきて読み、それが尽きると、親に「大辞林」を買ってもらいました。それが終わると医学百科とか・・・

中学、高校で本当に眠れず、体調に異変をきたし、薬を投与されるようになりました。が、やっぱり私は、読書の時間と、際限の無いラジオと音楽の時間があったわけです。(すみません、勉強だけはしませんでした)

で、私がいつも待っていたのは、「朝日の昇るところ」でした。
怖い夜。でしたが、私が起きていれば何も被害を受けない。ですので、私は耐久レースのあと、朝日を拝んで、凄くほっとして、また夜をやり過ごせたと感謝したのです。朝日を見たとたん、張り詰める緊張がほぐれて、一人で泣いたときもありました。

高校までは、不眠って概念がなかったです。眠くないな。寝ないでおこう。寝れないことへ脅迫概念はなかったのです。

高校出たくらいの頃、吉本バナナのキッチンって本が出て、松田聖子の瑠璃色の地球という歌が出て、私のお気に入りは、深夜のキッチンでこっそり本を読むこと、音楽を聴くことでした。そして、瑠璃色の地球を聞いて、

「夜明けのない夜はないさ」

に感銘をし、毎朝朝日の出てくるのを辛抱強く待ったのです。


ところが、反対に家では寝たくても眠れない人がいました。
父です。胃潰瘍の検査で開けてみたら、胃がん。1/3だけ残して切開。大黒柱である重圧も、仕事の責任もあったのでしょう。眠れなかったんです。

彼氏はよく唄っていました。

「よーるがまーたくるー。よーるがまーたくるー。」

北杜夫にくりそつな父が歌う歌は、小林旭。で、何度も執拗に同じフレーズを繰り返す父。父は痛みで自分を抑えることができず、しかも、不安を抱えて、既に自分の中が暴走している状態でした。

私はだからこそ、父を寝かせようと、一階のキッチンでこっそり本を読んでいたのです。2階の自分の部屋で何かやると、父に響くようでした。


・・・・・・・それから私は、睡眠障害になり、高校の時に貰い始めた薬で、医師が薬剤投与の間違いもあって中毒症状になったりしました。でも、相変わらず、夜は私の友で、朝日は私を助けてくれる神様でした。


父が、末期の癌になった時、私の中毒はマックスでした。父は最期まで自分がきちんとありたいと願う人で、モルヒネを使って痛みを抑えた時に、自分がかなり寝過ごしたり、朝と夜を間違えてしまうのを本当に嫌う人でした。
ある日、私は父の部屋から聞こえる声を聞きます。

「よーるがまーたーくる。俺を泣かせに、よーるがまーたくるー」


父にとって夜は安眠できない、そして、痛みと言う現実、自分の生命への不安と向き合う一番きつい時だったんだと思いました。昼間は仕事でまぎれても、夜はやってくる。



いつしか・・・・・年月は経って・・・

私は幽霊と言うものに夜、起きている最中には襲われないようになりました。で、夢の中で見る様になってしまいました。
そして、今、痛みと怒りで暴走する時、私はふと、勝手に口ずさむのです。





「夜がまた来る。思い出つれて 俺を泣かせに 足音も無く」




tomo
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お手伝いしてくれる魔法の手

2007-06-27 13:34:52 | まだ解明されない不思議な出来事
こんにちは。

tomoです。暑いとヒットポイントにクリティカルヒットを受けます。

昨日家族でYOUTUBEを見ていた際に(うちには、リビングにサーバーが一台あって、それをテレビで見れる)、思い立ってプリキュアってものを見たのです。
えらく、有名だけれど知らないのは、何としても悔しい。ポケモンはよくアメリカで見ていたので、別に・・・なのですが。(どっちかというと私は遊戯王が好きでした)

キュアレモネード キュアルージュ・・・・

主人に、

「じゃぁ私、キュアポーション」

と言ったら、「君はやっぱりどうしてもファイナルファンタジーから抜け出せないんだね」と言われました。_| ̄|○

ゲームの原点は、やはりFFⅡから始まって、ドラクエに行ったので、FF色が濃いのです。今はもうしませんが。

で、問題は、キュアポーションではなく、水道の栓です。


昨日割と忙しく夕飯を作っておりました。両手に鍋を持って、向かった先がシンク。で、水道の栓を見つめました。

「うわぁ、どうしよう、鍋どっちか、片付けないと片手空かないよ。水どうやってだそう・・・・」

見つめること3秒後。


いきなり、水が流れ出しました。








普通はこの展開で驚きますが、私はすごく有難かった。本当に有難かった。で、その時息子たちがなにやら熱心に見ていたのが、「おじゃる丸」。

昨日の番組は、カズマのお母さんが、超能力で洗濯物をたたもうとか、冷蔵庫のドアを開けようとするものでした。結局はうまくいかない。

でも、タイムリーな話題に少しうれしくなりました。

「そうよね、世の中の奥さん、皆超能力が欲しいと思うわよねぇ。奥様は魔女になりたいわよね。」



と、思ってふと、さっきのことを思い出した。

「違う。私じゃない。私が蛇口ひねったんじゃない」


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

おったぬきかぁ・・・・・・それとも傘小僧か・・・・・・・・・

水道の栓は、現実にお財布に響きます。開けっ放しが無人の時の場合だと、かなりかかります。たまに水を飲みたいとかいうなら別ですが・・・・

私はしばらくお手伝いしてくれる魔法の手が、余計なことをしないように、見張ったほうがいいかもしれませんね。

でも助けてくれてありがとう。

tomo@おばさんの底力思い知れ!

PS:しかし、最近の女の子戦隊もの、かなりすごいですね。なんというか、技も凄いが、威力も吾空や吾飯とかベジータ並みです。
思わず息子に、「最近の女の子は強いねぇ」と漏らしてしまいました。

男の子の戦隊物は、男の子がするんじゃなく、すでにレッドだのイエローだのって、結構成長した男の子たちです。既に高卒くらい。なのに、キュア戦隊、なりは年長から小学生で、やること、出るパワー、大人顔負けです。

ジェンダーについて、やはり真剣に見直す時期が来たんですね。国も考え直さないと。日本の強い女のパイオニア的存在の私としては、本当に痛感しました。
コメント (2)
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