こんばんは。
tomoです。
心臓について話そうと思います。
多分明日都内の大きな病院に行くので、かなり緊張していると思います。明日いきなり入院は無いだろうと思いますが。
実は今回、心臓カテーテルの最中に右の冠動脈の一歩手前まで、カテーテルの管を進め、造影剤を注入するのですが、医師曰く、
「瞬きをする、あっという間に、管が引き込まれていった」
そうです。そして管は心くう内に入っちゃったのです。で、その管が破いたのか、元々血管が弱かったからか、冠動脈は乖離しました。
でも、ここでひとつだけ大きなラッキーなことがあったのです。
心くう内にカテの管が入っていたから、実はステントを入れることができ、私は命拾いしたのです。
もし、単に血管が弱かったとしましょう。普通だったら、造影剤の流れで乖離してたら、その場で死んでましたね。
乖離したのが、微妙に管のせいか、血管のもろさかわかりません。が、管が入っちゃったミスで、助かってはいるのです。
これ、ラッキーって考えるか、アンラッキーと捉えるかは、人それぞれ。
私があまり執刀医に怒りを感じないのは、この奇跡的な確立で助かっているから。私が怒りを感じているのは、苦しくて駆けつけた際に、「頭の風邪」と決め付けてろくな検査をしなかった某氏にあります。
私は次の検査。どうなるかわかりません。
本当にどう転ぶか、生きて戻れるのか、わからなくなりました。もはや誰も夢に出てこないのは、もう私がそばにいくからなのでしょうか。
ですが、この大きなギャンブル。
喜んで私はテーブルに着き、ダイスをふるでしょう。
いちかばちか、今までの人生ずっと、勘だけでやってきたもの。全額すっちゃうかも知れないけれど、家族のために、私の周りの人のために、私は万感の想いでさせていただきます。
今まで思えば、無茶な生き方でした。
でも、それは自分である意味冷静になっていて、どこまですると危ないかきちんとわかっているからなのでしょう。そして、生まれつき持つ強烈な生きるための気力と執着心。
鬱にならないのは、鬱になっている暇がないのです。強いのではないと思います。鬱になっても、痛みは消えません。
積極的に、失禁するほど痛いカテを終わらせれば、きっとドラスティックな痛みの消失が待っている・・・・・・と私は信じています。明けない夜などありません。きっともし、また再狭窄するかもしれません。
でも、いつか、私が子供の頃の悩みを捨ててアダルトチルドレンであった自分、ボーダーであった自分を脱ぎ捨てることができたように、私は自分が乗り越えていける、その先には、また元気な自分を思い描いています。
もう一度、元気になりたい。もう一度、思いっきり、遅刻を免れるために走ったり、笑ったり大声で歌いたいです。
痛くてもう受けたくないインターベンション。でもここで自殺したって、痛いのは同じ。自殺のほうがちょこっと短いけど、失禁ベースは同じ。
でも、その先にある笑顔に向けて、走らないわけにはいきません。臨死体験の先にあるお花畑は、私が本当に求めるリアルの、自分の笑顔、周りの笑顔。そして、私の家族の笑顔。
いっちょ、流れを大きく変えてみましょう。
私は私の心にこう書き出すことで暗示をかけます。そして、私の中で消えかかっていた生きる意思を再度燃え上がらせます。
奇跡的確立を生きてきて、また奇跡を起こして生き延びる。強運を引きよせて、私は健康になる。
明日、では、この調子でとりあえず行ってきます。
もう、かなりやばいので、即入院にならぬことを信じて。
明けない夜などありません。朝日は待てば必ず現れます。緊張して辛抱はいまだけ。
笑って話せる日が来るまで、私は生きる気力をこのように書いて、自分に刷り込んでいこうと思います。
tomo@はらたいらさんに、全部
tomoです。
心臓について話そうと思います。
多分明日都内の大きな病院に行くので、かなり緊張していると思います。明日いきなり入院は無いだろうと思いますが。
実は今回、心臓カテーテルの最中に右の冠動脈の一歩手前まで、カテーテルの管を進め、造影剤を注入するのですが、医師曰く、
「瞬きをする、あっという間に、管が引き込まれていった」
そうです。そして管は心くう内に入っちゃったのです。で、その管が破いたのか、元々血管が弱かったからか、冠動脈は乖離しました。
でも、ここでひとつだけ大きなラッキーなことがあったのです。
心くう内にカテの管が入っていたから、実はステントを入れることができ、私は命拾いしたのです。
もし、単に血管が弱かったとしましょう。普通だったら、造影剤の流れで乖離してたら、その場で死んでましたね。
乖離したのが、微妙に管のせいか、血管のもろさかわかりません。が、管が入っちゃったミスで、助かってはいるのです。
これ、ラッキーって考えるか、アンラッキーと捉えるかは、人それぞれ。
私があまり執刀医に怒りを感じないのは、この奇跡的な確立で助かっているから。私が怒りを感じているのは、苦しくて駆けつけた際に、「頭の風邪」と決め付けてろくな検査をしなかった某氏にあります。
私は次の検査。どうなるかわかりません。
本当にどう転ぶか、生きて戻れるのか、わからなくなりました。もはや誰も夢に出てこないのは、もう私がそばにいくからなのでしょうか。
ですが、この大きなギャンブル。
喜んで私はテーブルに着き、ダイスをふるでしょう。
いちかばちか、今までの人生ずっと、勘だけでやってきたもの。全額すっちゃうかも知れないけれど、家族のために、私の周りの人のために、私は万感の想いでさせていただきます。
今まで思えば、無茶な生き方でした。
でも、それは自分である意味冷静になっていて、どこまですると危ないかきちんとわかっているからなのでしょう。そして、生まれつき持つ強烈な生きるための気力と執着心。
鬱にならないのは、鬱になっている暇がないのです。強いのではないと思います。鬱になっても、痛みは消えません。
積極的に、失禁するほど痛いカテを終わらせれば、きっとドラスティックな痛みの消失が待っている・・・・・・と私は信じています。明けない夜などありません。きっともし、また再狭窄するかもしれません。
でも、いつか、私が子供の頃の悩みを捨ててアダルトチルドレンであった自分、ボーダーであった自分を脱ぎ捨てることができたように、私は自分が乗り越えていける、その先には、また元気な自分を思い描いています。
もう一度、元気になりたい。もう一度、思いっきり、遅刻を免れるために走ったり、笑ったり大声で歌いたいです。
痛くてもう受けたくないインターベンション。でもここで自殺したって、痛いのは同じ。自殺のほうがちょこっと短いけど、失禁ベースは同じ。
でも、その先にある笑顔に向けて、走らないわけにはいきません。臨死体験の先にあるお花畑は、私が本当に求めるリアルの、自分の笑顔、周りの笑顔。そして、私の家族の笑顔。
いっちょ、流れを大きく変えてみましょう。
私は私の心にこう書き出すことで暗示をかけます。そして、私の中で消えかかっていた生きる意思を再度燃え上がらせます。
奇跡的確立を生きてきて、また奇跡を起こして生き延びる。強運を引きよせて、私は健康になる。
明日、では、この調子でとりあえず行ってきます。
もう、かなりやばいので、即入院にならぬことを信じて。
明けない夜などありません。朝日は待てば必ず現れます。緊張して辛抱はいまだけ。
笑って話せる日が来るまで、私は生きる気力をこのように書いて、自分に刷り込んでいこうと思います。
tomo@はらたいらさんに、全部
