こんばんは。
どうしても今日中に書いておかないといけない気がするtomoです。
今、医者から帰ってきました。
で、運転最中書いておかなくちゃと思ったことがありました。それは私の二人の子供です。
両方とも、3000gを超える大きさで生まれました。が、二人には共通点があります。数秘術が二人とも同じ数字だってことではなく、(生まれた日にちがランダムなのに、同じ数字なんですよ)、二人とも仮死状態で生まれたことです。
上の子の時は気が動転しました。私も大出血で貧血で立っていられないほどなのに、自分の子が生まれた時泣かなかったこと、何度もひっぱたいても泣かなかったことだけは覚えていました。
私は生んだ時、出血が2リットル以上あり、生んでしばらくたった後、看護婦さんに猛烈なパーンチ!(o゜Д゜)=======O三★)゜◇゜)三★))゜□゜)三★))゜○゜)を食らっていました。
「今は寝ない。」
「寝ないのよ、わかる?寝ちゃだめ」
「こら、起きなさい。寝ちゃだめ。」
何度も続く往復びんたに私もめげて、
「すみません。ごめんなさい。」
「ほんと、すみません。ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、謝ってばかりいました。ですが、既にその時は叩かれていないと、気が遠くなって意識がなくなるのです。なので、なんだかわかんないけれど、子供生んで、なんでひっぱたかれているんだろう、私悪いことしたのかと思っていました。
子は2週間近く、酸素テントの中。
私はと言えば、本当は、ひっぱたかれている間、危篤状態だったそうです。で、バイタルが落ち着いたので、スタッフは引き上げたそうです。
なのに、私は酸素マスクが嫌いなので、知らぬうちに酸素マスクをはずして寝ていたようでした。
夜中、響き渡るうるさい騒音。私の周りでとてつもないうるさい状態が起きている物音がし、私の頭の上で誰かがずっと会話をし続けていました。私はうるさいと思いながら、時折寝ていました。(実際には誰もいなかったそうですが、私は時折、自分に話しかける人の存在がいたのを覚えています。結構しつこく、酸素マスクをしろと言っていました。)
翌朝、酸素テントのわが子を見て、気が動転しました。動転して貧血起こしてめまい起こして、40度の熱を出しました。で、実家に電話をしました。亡くなる前2ヶ月の父しかいませんでしたが、私は父に言いました。どんなに気が動転したか。
父は亡くなる少し前に私に言いました。
「お前があんなに動転したのを見たのが初めてだ。だが、お前が生きてて良かった。それに、子供だって大丈夫だ。」
そして、二人目。やはり、わが子は産声を上げず、看護婦さんに思いっきり逆さにされてぶん殴られても黙っていました。で、やっと産声を上げたといって、看護婦さんが連れてきたのが生まれて5時間後。その回は出血も少なく安産でした。
が、私が胸に乗せている間に看護婦さんが見に来ました。途端真っ青になりました。
そうです。2番目の子の唇が真紫になっていたのです。その時、息をしていなかったそうです。
で、看護婦さんが慌てて、2番目を連れて行って、強引な処置をした結果、2番目は無事回復しました。それから60分後、還ってきた彼氏は、既に普通の赤ちゃんでした。
で、じゃぁ、何か障害があるのかっていえばないです。今はごく普通の男の子たちです。元気でやんちゃで、何も問題がありません。
ですが、二人の子があの時、スリーピングベイビーだったのかどうかわかりませんし、両方とも無痛でしたので、麻酔薬の問題、私の常備薬の問題・・・色々要素はありますが、既に真相は闇の中。
そして二人の皇帝と大王が繰り広げる平等に扱ってくれ闘争が勃発しているのです。この仮死が後々どんな意味合いを持つのか、私はこの先について考えています。
お父さん、あの時はありがとう。
tomo@バビロニア王国アレクサンダーとローマ帝国アウグストス一騎打ち、毎朝5時から好評勃発中
どうしても今日中に書いておかないといけない気がするtomoです。
今、医者から帰ってきました。
で、運転最中書いておかなくちゃと思ったことがありました。それは私の二人の子供です。
両方とも、3000gを超える大きさで生まれました。が、二人には共通点があります。数秘術が二人とも同じ数字だってことではなく、(生まれた日にちがランダムなのに、同じ数字なんですよ)、二人とも仮死状態で生まれたことです。
上の子の時は気が動転しました。私も大出血で貧血で立っていられないほどなのに、自分の子が生まれた時泣かなかったこと、何度もひっぱたいても泣かなかったことだけは覚えていました。
私は生んだ時、出血が2リットル以上あり、生んでしばらくたった後、看護婦さんに猛烈なパーンチ!(o゜Д゜)=======O三★)゜◇゜)三★))゜□゜)三★))゜○゜)を食らっていました。
「今は寝ない。」
「寝ないのよ、わかる?寝ちゃだめ」
「こら、起きなさい。寝ちゃだめ。」
何度も続く往復びんたに私もめげて、
「すみません。ごめんなさい。」
「ほんと、すみません。ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、謝ってばかりいました。ですが、既にその時は叩かれていないと、気が遠くなって意識がなくなるのです。なので、なんだかわかんないけれど、子供生んで、なんでひっぱたかれているんだろう、私悪いことしたのかと思っていました。
子は2週間近く、酸素テントの中。
私はと言えば、本当は、ひっぱたかれている間、危篤状態だったそうです。で、バイタルが落ち着いたので、スタッフは引き上げたそうです。
なのに、私は酸素マスクが嫌いなので、知らぬうちに酸素マスクをはずして寝ていたようでした。
夜中、響き渡るうるさい騒音。私の周りでとてつもないうるさい状態が起きている物音がし、私の頭の上で誰かがずっと会話をし続けていました。私はうるさいと思いながら、時折寝ていました。(実際には誰もいなかったそうですが、私は時折、自分に話しかける人の存在がいたのを覚えています。結構しつこく、酸素マスクをしろと言っていました。)
翌朝、酸素テントのわが子を見て、気が動転しました。動転して貧血起こしてめまい起こして、40度の熱を出しました。で、実家に電話をしました。亡くなる前2ヶ月の父しかいませんでしたが、私は父に言いました。どんなに気が動転したか。
父は亡くなる少し前に私に言いました。
「お前があんなに動転したのを見たのが初めてだ。だが、お前が生きてて良かった。それに、子供だって大丈夫だ。」
そして、二人目。やはり、わが子は産声を上げず、看護婦さんに思いっきり逆さにされてぶん殴られても黙っていました。で、やっと産声を上げたといって、看護婦さんが連れてきたのが生まれて5時間後。その回は出血も少なく安産でした。
が、私が胸に乗せている間に看護婦さんが見に来ました。途端真っ青になりました。
そうです。2番目の子の唇が真紫になっていたのです。その時、息をしていなかったそうです。
で、看護婦さんが慌てて、2番目を連れて行って、強引な処置をした結果、2番目は無事回復しました。それから60分後、還ってきた彼氏は、既に普通の赤ちゃんでした。
で、じゃぁ、何か障害があるのかっていえばないです。今はごく普通の男の子たちです。元気でやんちゃで、何も問題がありません。
ですが、二人の子があの時、スリーピングベイビーだったのかどうかわかりませんし、両方とも無痛でしたので、麻酔薬の問題、私の常備薬の問題・・・色々要素はありますが、既に真相は闇の中。
そして二人の皇帝と大王が繰り広げる平等に扱ってくれ闘争が勃発しているのです。この仮死が後々どんな意味合いを持つのか、私はこの先について考えています。
お父さん、あの時はありがとう。
tomo@バビロニア王国アレクサンダーとローマ帝国アウグストス一騎打ち、毎朝5時から好評勃発中