独立した息子が残しておいた本を整理していたら吉川英治の「宮本武蔵」の文庫本がでてきました。
私も高校生の頃、友人たちの間でこの小説が話題になり、学校の図書館から借りて夢中になって読んだものでした。当時は受験勉強の最中であったので、その妨げになると思いながらも止められず、赤い布表紙のそれらの長篇本を次々と借りては読んだ思い出があります。
今になってゆっくり読む時間ができ、もう一度読んでみようという気になり、今回読み始めました。
爽やかでポジティブな武蔵という好漢の成長物語であり、又八というネガティブな青年を周囲に配した比較的シンプルで分かりやすい登場人物の性格や人間関係が展開されます。かつて希望に溢れた高校生の心を捉えたのは無理もないように思えます。そして、話の筋が次々に展開していくので、先へ先へと読み進めたくなる痛快活劇としての側面ももっています。
さらに随所に、抜書きしたくなるような人生観や処生観が出てくることも魅力です。例えば、今読んでいるあたりでも次のような文章がありました。
「人間の眼に映って初めて自然は偉大なのである。人間の心に通じ得て初めて神の存在はあるのだ。だから、人間こそは、最もおおきな顕現と行動をする-しかも生きたる霊物ではないか。
-おまえという人間と、神、又宇宙というものとは、決して遠くない。おまえのさしている三尺の刀を通してすら届きうるほど近くにあるのだ。いや、そんな差別のあるうちはまだだめで、達人、名人の域にも遠い者といわなければなるまい。」
「俗生を救うためにある霊山が、人を救うどころか、却って俗生の人に飼われて、からくも布施経済の習慣によって生きているという現在の風を思いあわせると-武蔵は無言の碑の前にあって、無言の予言を聞かないではいられなかった。」
「危かしくってはらはらさせられるが、ほっておいても決して危なくないのが酔っぱらいである。しかしそれを、危なくないからといって、見ている世の中では面白くない。やはり危がったり、危なそうに見せたりする中が、世の中の至妙であるし、遊戯の世界の滋味でもある。」
写真は、「武蔵」とは何の関係もありません。前掲の「凍結滝登攀」で撮影した雪の中の焚き火です。