地方小都市暮らし@寧舎

25年に亘る山里暮らしを経て人口7万人弱の地方の小都市に移り住みました。そこでの新しい暮らしを綴ります。

喫煙事情

2005-02-25 10:21:25 | 日常生活
 自治会の全員が集まる定期的な会合に、1月1日の元旦祭と2月初旬の契約というものがある。昔の分校を改装した公民館で行われる。他に、地区運動会や各種スポーツ大会の準備の打合せなどがあるが、これは役員だけの集まりであり、全員が集まるのは、この2つだけである。

 元旦祭は、新年のあいさつを一同に会して行おうというもので、朝9時から1時間ほどの集会である。一杯飲んで、帰省した子供たちなどのことや、昨夜の初詣のことなどが話題になる和気あいあいの楽しい会合である。契約は、翌年度の各種役員を選出するための会合であり、役員の押し付け合いがあって揉めることが多い。その後に酒宴となり、3時間近い会合となる。

 ところで、こうした会合に40人以上の戸主たちが集まるが、恐らく10人くらいを除いて他の全員が喫煙者である。都市部に比べて喫煙率が非常に高い。冬場であるため、公民館の窓や出入り口は閉め切ったままである。そのため、1時間もその中にいると、非喫煙者である私などは頭痛に悩まされる。家に帰ると、タバコの臭いの染み付いた服を全部交換する羽目になる。これは、冬の葬式手伝いでも同様である(2004年12月の記事「葬式」を参照ください)。

 家族の中にタバコを吸う人が全くいない家などは殆どないので、非喫煙者とはいえども、タバコの煙に対して耐性を持っているらしい。そのため、集会で喫煙を止めて欲しいと私のように切実に感じる人がいない。公共の閉鎖空間での喫煙が禁止される世の中になっても、気の弱い私は耐えるしかないようだ。

 公民館での受動喫煙は諦めるとしても、我が家への喫煙者の来客には閉口する。こうした土地柄であるから、多くの人がなんの躊躇いもなくタバコに火をつける。こうした人が来ると、台所の換気扇をオンにしたり、2階への通路を締め切ったりするが、それでも、その日一日はタバコ臭くなる。

 私は自宅で一人で仕事をしている関係上、職場にありがちな喫煙環境の問題がないので、前述の集会と来客とを除けば、通常はタバコに悩まされることはない。ところが最近、息子の一人がタバコを吸うようになったことが分かり、複雑な思いをしている。   

祭幹事

2005-02-20 19:02:20 | 地元習俗
 地元の氏神様の祭礼を執り行う裏方の役目に、「祭幹事」というものがある。2年任期で氏子が持ち回りで勤める。春と秋の2回の祭りと、元旦の祭りとを執り行うことが主なる仕事であるが、社殿の補修なども、場合によっては計画しなければならない。私は氏子ではなかったが、15年ほど前に一度、祭幹事をやった。

 杉木立の石段を50段ほど登った場所に社殿、神楽殿、社務所がある。春と秋の祭りでは、石段の下の鳥居に幟旗を立てたり、付近の掃除をしたりする他、神楽の奉納を行う踊り手に対して酒食の接待を行う。踊り手は「役者」と呼ばれ、地元の若い衆から選ばれる。

 社務所には電気は来ているが、水道はなく、山から水を引いてある。ガスはなく、囲炉裏に炭をおこして煮炊きをする。役者(10人弱)や来客(地区の各種役員10人前後)に昼と夕に出す食事(祭幹事15人くらいの分も含む)のうち、お赤飯は別当と呼ばれる役の家で作ってくれ、うどん汁や煮物を祭幹事(大半が男)が囲炉裏でつくる。酒の燗をつけ、役者や来客に勧めるのも、祭幹事の仕事だ。春3月の祭りでは、未だ根雪があちこちに残り、水仕事はつらい。今でも、こうした情況はそんなに変わっていないのではないかと思う。

 役者や小学生(当日、神社の境内で舞う)が、祭りの前の数週間、夜に公民館に集まって、役者の先輩から、踊りや笛、太鼓の稽古をつけて貰う。若い衆も小学生も人数が減っており、当時も人集めに苦労していたから、今ではもっと大変だろう。

 祭囃子がDNAを刺激してわくわくするし、役者の着ける年季のいった衣装やお面が魅力的だし、鳥居の付近には屋台なども出て、雰囲気は上々であった。しかし、私には15年前に祭幹事をやったときの印象が、どうもよくない。何か惨めな印象が残っている。役者の中に酒癖の悪いのがいて、すべての片づけを終え、社務所のガタピシする雨戸を閉めた頃には、真夜中を過ぎていた。役者のなり手がいなくて、役者がいなければ祭りが行えないというので、役者の機嫌を損ねないように、祭幹事たちが若い衆をおだて挙げていたのが、後味を悪くしているのかもしれない。

 今でも、春浅い3月に神社の森から笛太鼓が聞こえてくると、胸うきうきするものがあるが、裏方の煩わしさも一緒に沸いてくる。これは自分の包容力の無さゆえかもしれない。きっとそうだ。恥ずかしいので、こんな記事は削除しようかとも思ったが、まあ、これも飾らない自分だ、せっかく書いたのだから残しておこう。

心の解放

2005-02-13 09:14:03 | 心の解放
 「街を散歩しながら茶目っ気を出して探すと、こんなに面白いものがあるよ」という観点から撮影された写真がいろいろ発表されている。例えば、顔に見えるマンホールや、本来の意図とは違った変な看板などの写真だ。赤瀬川原平という芸術家の路上観察というのが有名だ。

 心を自由にして、固定観念に囚われない心で周囲を観察をすると、意外に沢山あるらしい。仕事で忙しい人や、何かで頭が一杯の人には見つからないものらしい。

 私は自分に「明日のことを思い煩うな」「くよくよするな」と言い聞かせることがあるが、性格のせいか、はたまた、この言葉が否定的な表現のせいか、どうも効き目がない。それよりも「心を解放しよう」という能動的な言葉の方が、自分には効き目がある。この言葉が浮かぶと、胸が大きく開き、気持ちが明るくなり、見えないものが見えてくる。茶目っ気をだして、周囲を観察する気になる。

 添付の写真は、そんな効果が現われて見つけたものの一つである。鳥に犬のようなものが噛み付こうとしているように見えませんか?(写真をクリックすると大きくなります)

水源ごみ投棄

2005-02-04 19:04:04 | 日常生活
 私の家の水道は、町の管理で、沢の水を浄水池に汲み上げて簡単な浄化処理を行って簡易水道として供給されているものだ。塩素を僅か投入してあるとのことだが、水道水からそれを感じることはなく、真にうまい水だ。尤も、大雨で沢の水が濁ると、風呂に貯めた水道水が薄茶色になることがある。しかしそんなとき飲んでも、特に変な味がしたことはない。

 こうした水道の水源となっている沢沿いに、車が一台やっと入れる山道が平行しており、こうした道際の斜面に、ビニール袋に入った布や紙、古くなった家電製品、壊れた家具、雑誌類、ビン、缶などが投棄されている。特に、不燃ゴミや特殊ゴミの回収にいろいろ制限がつくようになったころから、こうした投棄が目立つようになった。こうした投棄が行われた場所には、不法投棄を止めるように注意を促す看板が新たに立てられたが、投棄されたゴミはそのままになっている。

 その沢から引いた水道の水を飲んでいる人は、そうした投棄はしないだろうし、一方、こんな奥まった地域に縁のない人間が、車で1時間以上もかけてわざわざ捨てにくることも考えづらいので、犯人は恐らく、比較的近くに住んでいて、土地の事情にある程度通じている人間ではなかろうかと思う。

 いずれにしても困ったことだ。

足跡探し

2005-02-03 09:19:15 | 自然
 山の中の雪道を歩くときの楽しみのひとつに、動物の足跡探しがある。

 山道を横断するカモシカの足跡や、山道に沿って点々と続く猫の足跡。人間に似ているのですぐ分かる猿。いろいろな歩幅があり、また前足の位置に後ろ足がきれいに重なっている足跡。どの動物のものか分からない場合が大半だが、ウサギだけは分かり易い。

 ウサギは、まず前足2本を進行方向の直線上に前後に着き、その前足の前方に後ろ足2本を左右に広げて同時に着いて跳躍する、という歩き方(走り方)をする。したがって、ここに挙げた写真の場合、上方向に進んでいることになる。

 ところで、前足を前後に着くとき、左右2本の前足のどちらを先に着くか、ご存知だろうか。

 必ず右足を先に着きます。そのため、昔から右先(ウサキ)と呼ばれています。