これは「色即是空」と名づけた第65作目の木刻画です。F20号シナベニヤキャンバス、ミクストメディア、60.5×72.5cm。
司馬遼太郎の時代小説「峠」のなかに、主人公河井継之助が刺客に襲われたとき、己を無にして自分の中を風が吹き抜けると感じて窮地を脱出する場面がありますが、そこを読んでいて着想した作品です。
柳澤桂子・堀文子の「生きて死ぬ智慧」を読む機会があって、私は般若心経の一節「色即是空、空即是色」を次のように解釈するようになりました。
即ち、ビッグバン理論によれば、137億年前にビッグバンがあって、これにより宇宙が出来上がったそうです。そのときに発生した膨大な量の元素粒子が次第に寄り集まって自然界の形あるものを構成しました。そうした自然界の形あるものは分解されて元素粒子に戻ったり(色即是空)、戻った元素粒子が別の形あるものを再び構成したりします(空即是色)。この科学的事実を般若心経は言い当てているように思われます。
私達の肉体もそうした形あるものの一つですから、肉体は滅びてもそれを構成していた元素粒子は無くなりません。つまり酸素や水素、炭素・・などに分解されて残ります。そして、そうした元素粒子はまた形あるものを構成します。元素粒子レベルで見れば、私の肉体も自然の一部、自然と一体のものであり、互いの間に一時的な境界があるに過ぎません。
こんなことから、自然と一体と感じたときの主観を、私の中を風が吹き抜け、鳥が通り抜けると表現してみました。
また、自分という3次元の実体を、異なる2つの方向から見た2次元像の合成によって象徴してみました。
司馬遼太郎の時代小説「峠」のなかに、主人公河井継之助が刺客に襲われたとき、己を無にして自分の中を風が吹き抜けると感じて窮地を脱出する場面がありますが、そこを読んでいて着想した作品です。
柳澤桂子・堀文子の「生きて死ぬ智慧」を読む機会があって、私は般若心経の一節「色即是空、空即是色」を次のように解釈するようになりました。
即ち、ビッグバン理論によれば、137億年前にビッグバンがあって、これにより宇宙が出来上がったそうです。そのときに発生した膨大な量の元素粒子が次第に寄り集まって自然界の形あるものを構成しました。そうした自然界の形あるものは分解されて元素粒子に戻ったり(色即是空)、戻った元素粒子が別の形あるものを再び構成したりします(空即是色)。この科学的事実を般若心経は言い当てているように思われます。
私達の肉体もそうした形あるものの一つですから、肉体は滅びてもそれを構成していた元素粒子は無くなりません。つまり酸素や水素、炭素・・などに分解されて残ります。そして、そうした元素粒子はまた形あるものを構成します。元素粒子レベルで見れば、私の肉体も自然の一部、自然と一体のものであり、互いの間に一時的な境界があるに過ぎません。
こんなことから、自然と一体と感じたときの主観を、私の中を風が吹き抜け、鳥が通り抜けると表現してみました。
また、自分という3次元の実体を、異なる2つの方向から見た2次元像の合成によって象徴してみました。