なりすけのとらばか日記

なりすけのトレーニング日誌、レースレポートなど

社会人になったなりすけ2001年まで

2005年09月25日 07時53分38秒 | トレーニング日誌
96年(就職1年目)

就職後初レースは6月の日産カップ。
3月まで父の看病。
その後もとても忙しく
トレーニングほとんど出来ていなかったが、
仲間がゴールで「良く戻ってきたな。また頑張ろうな」
と言ってくれてすごく嬉しかった。
だから、まだ続けているんだと思う。

97年

この年ようやくロングデビューを果たす。
国内でいたらいつ出れるかわからないから
ニュージーランドへ行く。デビュー戦のくせにあまりつらくなかった。
そして、帰国後,アイアンマンジャパンに申し込んだら見事当選。
アイアンマンジャパンでハワイの出場権獲得する。
まさにシンデレラボーイだ。と感心した。
佐渡Bタイプにも出場。年代2位に入る。
10月のハワイは612位だったが、ランでなんと3時間17分の快速ラップ。
ランの順位は90位。ぶったまげた。

98年

あまりぱっとしない年だった。
宮古島初出場で101位。
あとはイワタで8位というくらい。

99年

大ブレーク元年。
スイムが別人のように速くなって宮古島登場。
前年58分かかっていたのが、なんと48分で泳いでしまう。
55位になり、初のシード獲得。
しかし、このあと大スランプ。
でも、9月の佐渡Aタイプ初出場で19位にはいる。
自分ではこの19位が今までの中で一番嬉しいゴールだった。
スランプ乗り越えて結果を出すのはすごく感動した。

2000年

この年今の奥さんと出会う。
奥さんの父が闘病中でこちらに専念する事が多かった。
宮古島にも出たがはっきり言って完走できればいいや
くらいのレベルで出場した。
84位で来年につなげる事ができた。
宮古島以降調子が良く9月には佐渡の日本選手権に出場する。
BIKEで大幅にコースミスしてしまいレースにならなかったが
自分を成長させるには高いレベルに立たなければいけないと感じた。
いくらレベル低いところでお山の大将でいても
世間的には認めてもらえないもんね。

2001年

復活元年。
この年はオフも順調に過ごし、宮古島4度目の参戦。
スイムはまあまあで上がり、バイクで30位まであがる。
ランで維持したかったが順位をおとしてしまう。
55位でゴールする。
6月にアイアンマンアジアに挑戦するが宮古島の疲労が抜けきらず
80位と惨敗。
しかし、9月になり波崎のミドルでパンクしながらも年代3位。
その次の週のイワタのハーフで優勝し、レベルアップした事を実感する。

大学時代のなりすけ

2005年09月25日 07時49分11秒 | トレーニング日誌
大学1年

この年からトライアスロンはじめる。
スイムが遅くて1500mで45分もかかっていた。
先輩が出ていた波崎のハーフに感動して
来年は波崎に出る事を目標にする。

大学2年
波崎のハーフがオリンピックディスタンス変わってしまい
しょうがなく変わりに湘南ハーフに出場する。
参加者30人ぐらいの小さな大会だが
初ハーフで優勝してしまう。
長い距離への適正があるんだと認識する。
いつかはロングに出るぞと決意する。

大学3年

来年ロングに確実に出るために
佐渡のBタイプに出場する。
なんかとても楽しかった。
トライアスロン部の7代目の部長もつとめる。
なにをするでもなく、皆と楽しくやれればいいやと思ってやっていた。
本当に楽しかった。

大学4年

この年はデュアスロンでブレークする。
年間ポイントランキングトップを突っ走る。
しかし、父が病に倒れ看病をしながらのシーズンとなる。
それが6月にガンとわかる。
父を励ます意味で頑張っていたが、
9月の群馬CSCの大会で自分がぶっ倒れてしまい、
「ここで自分が倒れたら何にもならない」と思い。
ポイントランキングの優勝をあきらめて看病に専念する。
他の大会もほとんど回避する。(ポイントランキングは貯金がきいて3位)
佐渡のAタイプも当選したが、こんな状態だったので
キャンセルする。


トライアスロンデビュー前のなりすけ

2005年09月25日 07時45分08秒 | トレーニング日誌
小学時代

5年の1学期まで剣道やる。4級の腕前。
5年の途中から野球はじめる。5年時は5番か6番。
6年時は4番を打つ。ポジションはピッチャー、キャッチャー、サード。

中学時代

中学時代は弱小チーム。ほとんど勝てない。
その中でも私は1番キャッチャー、3年の時はサードとして活躍。
俊足強打の1番として頑張る。ピッチャーが悪く勝てなかった。
その当時の思いがあって、個人種目のトライアスロンをはじめるきっかけとなる。
野球ではそういう思いができなかった。

高校時代

高校時代は帰宅部。
とにかくスポーツをやらされるというのが嫌だった。
だから、家帰って自分で走っていた。
地元の春日台走友会に入って走っていた。
今思えばあんなハチャメチャな練習やっていて速くなるはずが無いと思う。
毎日全力疾走。今は絶対に無理。
2年の時には陸上部奴にも勝っちゃって校内10kmマラソン10位とかなちゃったけどね。
3年の最後の方になると絶対に大学で何かを
本格的やりたいと思うようになる。
しかし、勉強もしてたわけでもなく。
浪人生活することになる。


浪人時代

一応勉強はじめる。でも仕方がわからない。
それでも1年経てば英語だけはすごく得意になる。
おかげで和光大学に合格する。
浪人中も毎日30分だけ走りつづける。