鹿とお散歩 奈良大和路

大好きな鹿・奈良公園・大和路を気ままに歩いた記録です

あべのハルカス 東大寺展

2014-04-30 13:59:52 | 美術館

あべのハルカス美術館 開館記念特別展「東大寺」に行って来ました。
5月18日までですが、のんびりしていると終わっちゃいます!



お釈迦様がお出迎えしてくださいます。
甘茶を掛けることもできるのです!



テラスの庭
桂・ケヤキなどの落葉樹の根本にはアジサイ、山吹、シャガなど季節の花が植えられているので
ここが16階だというのを忘れてしまいますね。

さすが16階、生駒山~二上山まで見渡せます



この五劫思惟阿弥陀様が二体並んで展示されているのです!!
それぞれ、一般公開されていないので、同時に拝観できる機会もありません
頭の大きさ、手の合わせ方も違うのですね・・・
可愛らしいし、大好きな仏像の一つです

五劫(ごこう)は数の単位で、人間界の43億2000万年が「一劫」となります
この阿弥陀様は、気の遠くなる程長い時間修行されて、伸びた髪がこんな形に
なったそうです



知足院のお地蔵様にもお会いできました

展示会の構成は

第一章:東大寺創建と東大寺の伝説
第二章:教学興隆
第三章:復興の歴史

第二章は「学問の寺」としての側面にスポットをあてたセクションとなっています。

このセクションの展示で、東大寺は大仏さまだけのお寺で無いことがわかります。

あべのハルカス美術館は一般的な美術館と違い、平日の開館時間が夜8時まで。
(土・・日・祝日は夕方6時まで)

私は金曜日夕方6時に行きましたが会社帰りの方達で賑わっていました。

2014 盆藤展

2014-04-29 09:10:31 | 奈良公園
国際奈良学セミナーハウスで開催中の
盆藤展に今年も出かけました

(5月3日まで開催)

会場の入り口に立つだけで、甘~い花の香り。

まるで、花のシャワー(樹齢80年だそうです)















良い香りに誘われて蜂たちも・・・

ニホンミツバチ



マルハナバチ




豪華な藤の足元には可憐な山野草
こういった設えが嬉しいです



花はもちろんの事、鉢、花台がまた見事!!
今年で8回目の開催ですが見飽きる事は無く、毎年楽し見です


奈良八重桜

2014-04-28 18:13:11 | 奈良公園
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
                      
                       伊勢大輔

百人一種でも有名なこの歌に詠まれてるナラノヤエザクラ
・・・奈良に咲く八重桜 ではなくて桜の品種の名前です

枝先にボールのように、たわわに花を付ける一般的な八重桜と違い
繊細で可憐な八重桜です



つぼみはピンク
花が咲くと白からピンクに変わり、散り際は濃い紅色に変化します
散り方は、花ごと落ちるのです(花弁が散らない)

咲き始め



咲き終わり



ソメイヨシノのような華やかさはありません
葉陰にそっと咲きます



実は、私も最近まで、奈良に咲く八重桜の事だと思っていました
私の母は、幻の桜だと思っていたのです

奈良八重桜の会の方々が、この桜の魅力を伝えて下さっています
そのお蔭で、可憐で由緒ある桜の事がわかってきました

27日、興福寺会館での講演会に参加致しました



会館は三重塔の奥にありますから、この景色は会館に来た時の楽しみ♪



興福寺と奈良の八重桜との繋がり・・・
この桜の故郷ともいえるのが興福寺だったのですね!
境内にも沢山植樹されています。

この桜は全ての桜の中で、一番遅咲きなので、連休明けまでお花見できます。

平城京天平祭

2014-04-26 19:58:40 | その他
南都銀行・本店に展示されていた「平城京・天平祭」の案内

天平行列は500人規模と聞いています
実はまだ、一度も見た事がないのです・・・

忠実に再現された衣装
小道具も全てスタッフの手作り(でも本格的!!)
平城遷都1300年祭に始まりましたが、その後毎年グレードアップを重ね
益々見応えある内容になっていってる様子です。








平城遷都の詔(みことのり)

 方に今 平城の地 四禽図に叶い 三山、鎮を作す 亀筮並に従う 宜しく都邑を建つべし

まさにいま へいじょうのち しきんとにかない さんざんしずめをなす
きぜいならびにしたがう よろしくとゆうをたつべし

意味は・・・
平城の地は、東西南北の守護神(四神)に守られ、. 三方山々に囲まれた縁起のよい 土地である。
占いに従ったものだ。さあ共にいい都づくりをしよう

パネルを撮影しました



真ん中の方、元明天皇ですね
奈良時代は、女帝が活躍された時代でもありました



遷都の詔は奈良の平城京→京都・平安京に遷都した時も発布されました。
・・・がその後、発布されてません。
今でも京都の友人は、
「東京遷都の詔」が発布されてないから、今でも都は京都だと言ってます(笑)

東京遷都の詔、聞いてみたかったな・・

でもどんな理由で、発布しなかったのでしょうか・・・?
不思議ですね。
(・・・きっと京都の人たちへの気遣いなのだと私は思います)