東大寺境内にある、正倉院正倉の瓦の葺き替えと各部所の補強工事が
平成23年秋に始まりました
工事の様子を公開する見学会が行われ、今回で3回目となります
1回・2回と応募し続けていましたが、抽選に外れ・・・
3度目でようやく願いが叶いました
当選ハガキを神棚に奉り、今日の日を楽しみに待ちました
今回は運よく、近くに住む妹と甥の分も当選です。
すっぽり、素屋根(工事現場の足場)に覆われた正倉院
あの校倉が見えない・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/a7/a449de64b0761129694be16d8669ab96.jpg)
中に入ると、建物を支えている柱が見えます
世界最強の免震構造と言っても差し支え無いでしょう。
自然石に乗せているだけの柱
石の形状に合わせて木の断面を加工してあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/28/8d75f3b78ea4c98451eb1626afac19b2.jpg)
美しい校倉
釘を使わず、木材を井桁に組んでいく工法
大学生の甥、「バームクーヘン」とつぶやきます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/76/758353a0feb87e5f96ed98ed41119482.jpg)
建物・北の端から見える杉本神社
水の神様をお祭りしています
鎌倉時代、落雷で燃えた時、ここに祭られている龍神が水を吐いて消し止めた
と言われています
ご神木の杉の木、相当傷んでいたらしく、切られていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0d/d3e6c44c52ca54144962e05b3a8d0061.jpg)
そして・・・宝庫の内部
ここは北倉
聖武天皇の遺品などはここで保管されていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/b6ece9f2998382d8aeed95efd92a408f.jpg)
中は二階構造になっていて、ガラスの陳列棚があります。
この陳列棚のガラスは明治時代に伊藤博文がドイツから取り寄せて
日本で作られたそうです
当時の日本には、大きな板ガラスを作る技術が無かったのですね
今回は陳列棚は解体されていて、資料を撮影しました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8b/ce2e6c01958a13fbee21de3ec1b0b81c.jpg)
瓦が全て降ろされた屋根
広い~!美しい!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b6/92cbebc6daab1aafe88e883478af9254.jpg)
作業する時の命綱を付ける金具だそうです
瓦を葺くと見えなくなるとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/68/7a83996ddc65be530059404d565a1757.jpg)
一番見たかった景色
遠くに見える、大仏殿
手前は、聖語蔵(経蔵として建てられた校倉)
外からは見ることの出来ない建物です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1a/f1b7b2495cbf2a965d6c5f452c07121f.jpg)
現在、宝物が保管されている西宝庫(東宝庫もあります)
毎年秋に天皇陛下の勅使によって開封されるのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/41/2bfac9b35cda91dc86fa460bc589311b.jpg)
取りおろされた瓦は目視及び打音検査により
再用・不再用の選別を行なうのだそうです。
新たな補足瓦の文様は天平時代の瓦を参考にされ
約3万7000枚の瓦を制作されるということです。
今回の瓦工事は、私の近所の瓦屋さんが担当されています
見学を終わって感じた事は、正倉院正倉は東大寺境内に有りながら
宮内庁の管轄です
その為、宮内庁の方々の説明、警備は皇宮警察。
なんだか、正倉院正倉はとても遠い処にあるのだと寂しくなりました
薬師寺東塔や唐招提寺金堂の修理見学会の時は、県庁の職員に説明
して頂き、地元の文化財なんだと嬉しかったのですが・・・
平家の焼き討ちや戦国時代の兵火からも奇跡的に難を逃れ、
素晴らしい宝物を守って来た建物をこんなにも近くで見学できた
事は本当に嬉しいです
後2回見学会があるそうなので、楽しみです
応募時期、方法などは宮内庁のHPに掲載されます
平成23年秋に始まりました
工事の様子を公開する見学会が行われ、今回で3回目となります
1回・2回と応募し続けていましたが、抽選に外れ・・・
3度目でようやく願いが叶いました
当選ハガキを神棚に奉り、今日の日を楽しみに待ちました
今回は運よく、近くに住む妹と甥の分も当選です。
すっぽり、素屋根(工事現場の足場)に覆われた正倉院
あの校倉が見えない・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/a7/a449de64b0761129694be16d8669ab96.jpg)
中に入ると、建物を支えている柱が見えます
世界最強の免震構造と言っても差し支え無いでしょう。
自然石に乗せているだけの柱
石の形状に合わせて木の断面を加工してあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/28/8d75f3b78ea4c98451eb1626afac19b2.jpg)
美しい校倉
釘を使わず、木材を井桁に組んでいく工法
大学生の甥、「バームクーヘン」とつぶやきます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/76/758353a0feb87e5f96ed98ed41119482.jpg)
建物・北の端から見える杉本神社
水の神様をお祭りしています
鎌倉時代、落雷で燃えた時、ここに祭られている龍神が水を吐いて消し止めた
と言われています
ご神木の杉の木、相当傷んでいたらしく、切られていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0d/d3e6c44c52ca54144962e05b3a8d0061.jpg)
そして・・・宝庫の内部
ここは北倉
聖武天皇の遺品などはここで保管されていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/b6ece9f2998382d8aeed95efd92a408f.jpg)
中は二階構造になっていて、ガラスの陳列棚があります。
この陳列棚のガラスは明治時代に伊藤博文がドイツから取り寄せて
日本で作られたそうです
当時の日本には、大きな板ガラスを作る技術が無かったのですね
今回は陳列棚は解体されていて、資料を撮影しました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8b/ce2e6c01958a13fbee21de3ec1b0b81c.jpg)
瓦が全て降ろされた屋根
広い~!美しい!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b6/92cbebc6daab1aafe88e883478af9254.jpg)
作業する時の命綱を付ける金具だそうです
瓦を葺くと見えなくなるとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/68/7a83996ddc65be530059404d565a1757.jpg)
一番見たかった景色
遠くに見える、大仏殿
手前は、聖語蔵(経蔵として建てられた校倉)
外からは見ることの出来ない建物です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1a/f1b7b2495cbf2a965d6c5f452c07121f.jpg)
現在、宝物が保管されている西宝庫(東宝庫もあります)
毎年秋に天皇陛下の勅使によって開封されるのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/41/2bfac9b35cda91dc86fa460bc589311b.jpg)
取りおろされた瓦は目視及び打音検査により
再用・不再用の選別を行なうのだそうです。
新たな補足瓦の文様は天平時代の瓦を参考にされ
約3万7000枚の瓦を制作されるということです。
今回の瓦工事は、私の近所の瓦屋さんが担当されています
見学を終わって感じた事は、正倉院正倉は東大寺境内に有りながら
宮内庁の管轄です
その為、宮内庁の方々の説明、警備は皇宮警察。
なんだか、正倉院正倉はとても遠い処にあるのだと寂しくなりました
薬師寺東塔や唐招提寺金堂の修理見学会の時は、県庁の職員に説明
して頂き、地元の文化財なんだと嬉しかったのですが・・・
平家の焼き討ちや戦国時代の兵火からも奇跡的に難を逃れ、
素晴らしい宝物を守って来た建物をこんなにも近くで見学できた
事は本当に嬉しいです
後2回見学会があるそうなので、楽しみです
応募時期、方法などは宮内庁のHPに掲載されます