社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

人生のエンディング⑩ 終末医療2 (朝日新聞 10月30日付 朝刊)

2008-10-30 21:00:47 | その他
施設で迎える「最期」について紹介。

自宅でもなく医療機関でもなく、いわゆる「生活の場としての施設」で過ごす人が増え、その延長として、施設で最期を迎えることを希望する人が増えているとのこと。


タンの吸引や酸素吸入など、医療者にしか行えない行為が発生した場合、看護師が24時間常駐していない施設は対応に苦慮するであろう。
以前勤務していた在宅療養支援診療所は、有料老人ホームとグループホームの協力機関として、訪問診療を行っていた。
おそらく、一番最初の組織同士の契約時にきちんと役割分担の提示をしなかったのが原因だとは思うが、「ケア」についてよくもめていた。
施設側は、「協力機関なんだから、看護師さんは電話をすればいつでも来てくれる」と認識し、2時間おきにタン吸引のための電話をかけてきた。
診療所とすれば、タン吸引は医療行為ではあるのの、「自宅」で生活している人にとっては家族が担える「日常生活上のケア」に過ぎない。診療所は、在宅での患者400人強を抱える中で、タン吸引のためだけに一施設に訪問することは、物理的にも不可能であった。
本記事にも触れられていたが、施設の機能として、そして協力機関の機能として、互いの役割を十分に認識し合い、その上で患者さんを施設でも看取ることができるか?という判断をしなければならないだろう。多機関が関わることの難しさが、ここにあるのかもしれない。

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人工呼吸器装着患者と関わって-重症患者の“人間の尊厳”を考える- 黒坂和子(1997)

2008-10-27 22:19:23 | 社会福祉学
『ソーシャルワーク研究』 Vol.22 No.4 1997

医療機関SWによる論文。
人工呼吸器を装着した3患者を通して、その生きがいやソーシャルワーカーとしての関わりについて模索し、その模索のなかから、人間の尊厳について追及している。

引用
・人工呼吸器装着状態は、いわば慢性経過の死をむかえる、ターミナルケアといえる。
・(事例紹介を受けての文章⇒)人工呼吸器の装着は、いわばターミナルケアの状況であるにもかかわらず、死は突然もたらされたのである。


この当時は、制度上の問題があり、今よりも人工呼吸器装着患者の在宅療養が困難であった様子。筆者は、「在宅療養を実現できること自体、恵まれた環境といえるのかもしれない」と書いている。
現在はどうであろうか?
制度上の整備はなされ、そして病院も援助者も積極的に在宅療養をすすめている。
そのなかには、二の足を踏んでいても、「説得」されて、在宅療養へ向けて準備をする患者・家族もいるだろう。
医療技術が進歩する一方、私は医療改革は偏った状態のままですすめられていると感じてしまう。
「より長く生きる」ことも大切だが、「より楽しく、そしてよりラクに生きる」ことも大切だと思う。
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緩和ケアとソーシャルワーク 田村里子(2002) からだの科学227

2008-10-26 10:32:49 | 社会福祉学
この領域でのパイオニアということで、いちいち納得させられた。
そしてソーシャルワークが分かりやすく、かつアカデミックに書かれている。
ソーシャルワークの可能性について、とても考えさせられた。

引用
・緩和ケアは、がん患者の身体、心理、社会、スピリチュアルにわたる全人的な苦痛を専門職による多角的なアプローチによって緩和し、QOLの高い生活をおくることを支える。ソーシャルワークは心理・社会・スピリチュアルな領域にアプローチし、苦痛の緩和を意図する。

・ソーシャルワークのテーマはつねに、“状況の中の人”の適応と、それへのコーピングを高めることである。

・ソーシャルワークにおいてことばは、行為そのものであり(中略)…。ひとはことばによって自分を表現することで自己を解放し、他者に自己を開示する。


ソーシャルワーカーが社会的側面を支援することは、制度やサービスを紹介することである…と、多くの書物に書かれており、また「そうだろう」と認識もしやすい。しかし心理的側面を支援することは、「そうだろう」と分かっていても、また「そうありたい」と願っていても、他職種に圧倒されてその手段がとても分かりにくかった。
ソーシャルワーカーにとっての「ことば」は、単に「思いを知る」ための手段ではなく、患者さん・家族との協働作業をすすめる上での重要なツールであることを知らされた。
「ソーシャルワーカーは、話を聞くのではなく、聞かせてもらうのだ。だからこそ、対応や反応を返さねばならない」という、大学時代の恩師の言葉を思いだした。
「ことば」を介して関係を築き、支援をし…「ことば」を大切に扱える、ソーシャルワーカーは単なる情報紹介屋ではなく、そこにこそ重要な役割があるのだと思う。
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人生のエンディング⑨ 終末期医療2 (朝日新聞 10月23日付 朝刊)

2008-10-23 14:44:46 | その他

記事の中で、「かかりつけ医」と「病院」とは「連携」、「かかりつけ医」と「訪問看護」の関係は「情報交換」と表現されている。

私は、「連携」という表現はとてもあいまいで、とても危ういと感じる。

現状では、「病院」からの依頼で「在宅での看取りの準備」に入る「かかりつけ医」が多いであろう。依頼をされた時点で、「バックベット」として関わってもらうことを約束するが、いざという時にその約束が果たされないことがある。
そこには、「約束をした、しない」ではなく、「病院対応のレベルか、そうではないか」の温度差があると思う。
80代の方が38℃台後半で熱発され、ご本人やご家族が入院加療を希望されても、実現しない場面に遭遇したことがある。
それは「症状」そのものに限らず、「介護体制」的に経過をみることが困難だったのだが、病院はそういった背景を重んじることは少ない。

記事には、「医療行為をどこまでおこなうか」といったことを本人や家族があらかじめ決めておくことが必要と指摘している。
医療者等は、「症状」と「医療行為」を具体的に提示し、そして「それはどこで受けられるのか」といったことを、説明することが必要である。
そして「いつでも入院は受けますから」という言葉ではなく、互いに密に話をしながら、パイプを強化していくことが必要だと感じる。


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アンケートによる緩和ケア病棟承認施設におけるソーシャルワーカーの実態調査

2008-10-20 22:19:44 | 社会福祉学
 正司明美 【日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団】2001年度調査研究報告

ホスピス・緩和ケアのおけるMSW業務のガイドライン作成をめざして、MSWの実態調査を把握することを目的としている。

MSWへのアンケート調査と同時に、緩和ケア病棟責任者によるMSW業務への認識についての調査も実施している。
その結果から「MSW不在の理由については、人件費など病院の方針」が多かった。「MSWの専門性や資格について明確にしなければ、配置はすすまないのではないか」という指摘もあった。


在宅医療では「緩和ケア」は提供される医療サービスの一つであり、特化している診療所もあれば、「ワン・オブ・ゼム」的な診療所もあるだろう。

一方で、「緩和ケア」の定義そのものを、「終末期」とイコールにせず、「様々な専門家やボランティアがチームを組み、自力だけでは自立(自律)することや、自分の尊厳を守ることが難しくなってしまった人々の、自立(自律)を支え尊厳を守り、共に生きること」(山崎章郎)とする人もいる。
在宅で展開されている医療サービスについて考えると、山崎氏の定義する「緩和ケア」が、私としてはとてもしっくりとくる。

この論文で明らかになったSWの実態は、必ずしも緩和ケア承認施設に限られたものではなく、広く医療機関におけるSWに通じるものがあるだろう。
いわゆる「在宅ホスピス」でのSWの実態は明らかにされていないが、「在宅療養支援診療所」に所属している以上、「看取りケア」や「死後のケア」は必須の業務であるハズだ。
それらはどのような位置づけとなっているのだろう?看護師の役割?医師の役割?
誰が担っていてもいいが、必要としている人たちを見逃してはいけないと思う。
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「人生のエンディング⑧ 終末期医療1」 朝日新聞 10月16日付朝刊

2008-10-18 10:00:18 | その他
昨年5月、厚生労働省は終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインを作成した。そして日本救急医学会も延命治療を中止する手順を示した指針を作成した。


厚労省のガイドラインによると、患者本人の意思決定確認ができず、家族もいない単身者は、医療・ケアチームで判断して、終末期医療の方法を決定することになった。
これまでは、認知症等の単身者の方針決定は、暗黙の了解で、医療者(援助者)が決めざるを得ない状況であった。組織同士で「やりにくさ」を感じながら、話し合いをし、決めていたところも少なくはないだろう。これが明確化されたことで、医療者(援助者)が守られる部分もあると考える。
しかし「その人にとっての最善」を他者が決めることは、あくまでも「推測」に基づいたものに過ぎず、どうしてもグレーな部分は残るだろう。
「意志表示をしなかったことへの弊害」ではあるだろうが、お互いに気持ちよく支えあうためには、自身の意志表示を事前に残しておくことは、ひとつのマナーになってくるのかもしれない。
そして援助者は、その意識づけをしていくことが、重要な任務となるだろう。
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在宅緩和ケアの実践からみるコミュニティケア 横山幸生(2004)

2008-10-12 22:31:36 | 社会福祉学
『ターミナルケア』Vol.14 No.1 JAN.2004

在宅緩和ケアを実践している診療所に勤務する、ソーシャルワーカーの方が書かれたもの。
かつては施設に従事されていたようで、施設ケアと在宅ケアの違いを述べ、その上でソーシャルワーカーから感じた、在宅緩和ケアの課題を提起している。

筆者が所属している診療所は、プライマリーチームと緩和ケアチームが協働し、ケアを提供しているとのこと。
他機関・他職種が関わるからこそ、「連携」を意識し、カンファレンスや勉強会を定期的に行っているとのこと。

筆者は、ソーシャルワーカーの役割を、「療養生活の不安を早めに察知し、積極的傾聴、社会制度の活用などにより、サポートしてくことが大切」としている。


主に、所属組織の実践内容について書かれており、ソーシャルワーカーとしてのそこでの役割や、果たすべき役割について掘り下げられていないのが、少し残念。

患者さんや家族が生活し、そして援助者が活動の場としてする「コミュニティ」の「チカラ」を判断し、そこに不足しているもの、さらに引き出していくべきものを見つけることもソーシャルワーカーの役割の一つであろう。
それが「社会資源の発掘」「社会資源の活用」「社会資源の開発」と呼ばれているものだと思うが、一組織に所属している以上、手を出せることには限界があるのもまた、確かなことである。民間の事業所であれば、なおのことである。
「声をあげていく」「行政などに訴えていく」…そういったことが手段の一つではあると思うが、そこまで手を出せるくらいの「人手」が、在宅医療の領域で確保されているだろうか?
所属組織の枠を超え、地域に貢献をしていこうとするならば、技術もしかり、「人手」も必要となってくるのではないだろうか。
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診療所利用患者へのソーシャルワーク介入システムの検討(副題は字数の関係で省略)

2008-10-01 15:33:49 | 社会福祉学
村田 真弓 『第28回 日本医療社会事業協会 抄録』

残念ながら学会での発表は聞けず、抄録から。

沖縄県では2002年から、浦添市役所内にメディカルインフォメーションセンターを設置し、ソーシャルワーカー(市内の病院からの派遣)と保健師が対応している。
目的としては、ソーシャルワーカーの介入機会がない診療所利用患者と市民全般に対する、相談窓口となり、相談支援ならびに地域のネットワークを進めること…とのこと。

紹介されている「相談支援業務実績」では、福祉関連に関するのものは低かったが、役割期待として「保健・福祉・医療制度や施設に関する相談」が高かった。

結論として、当センターの設置により、診療所利用患者や市民の不用な不安や病院ショッピングが取り除くことができる。行政サイドからとらえてみると、行政への信頼という波及効果とともに、医療費の節減といった実質的な効果をもたらすことができるとしている。


抄録からの読み取りであるため、調査方法の詳細や人件費捻出の詳細など、知りたい部分はまだ多くあるが、行政機関にこのようなソーシャルワーカーがいることはとても大切だと思う。
介護保険が始まる前は、その質の差はあれど、市役所(区役所)の高齢者担当や保健所が、よろず相談の拠り所になっていたと思う。現在は、行政はサービス提供者の後ろに隠れ、先陣を切って地域をコーディネートしている印象はない。包括支援センターにその役割が期待されているが、アレモコレモも転嫁され、現場のスタッフは首が回らないという話をよく聞く。
「ちょっと気になるから、これについて知りたい」「どこで聞いたらいいのか分からない」など・・・ほんの些細な疑問や不安を解消する役割こそ、縦割り行政ではない、違った形の行政に担ってもらいたい。
赤ん坊は保健所、子供は児童相談所、高齢者は包括支援センター、障害者は福祉事務所…こんな分け方を知っているのは、おそらく医療や福祉に従事したことがある者だけであろう。
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