社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「一般市民への老衰死に関するインターネット調査」今永光彦、外山哲也(2021)『日本在宅医療連合学会誌』第2巻・第2号

2024-02-27 12:33:50 | 医学

インターネット調査を実施しその結果を用いて、一般市民は「老衰死」についてどのようなイメージを抱くかを論じている。

引用

・「老衰と死亡診断されるのに妥当だと感じる年齢の目安について」は、90歳以上が最多で、次いで85歳以上、95歳以上であった。

・先行研究を提示し…上記と同様の質問において、「年齢的な目安はない」が最も多く、次いで80歳以上、85歳以上、90歳以上であった。

・死に対する否定的態度である「死からの回避」のスコアが高いと、有意に老衰を志望診断時の死因として妥当と感じていなかった。

 

先日、ケアマネの更新研修を受け、認知症の方、精神障がいの方に親族がいなかった場合、医療的な処置を誰がどのように担えるのか?

という議論があった。長い時間議論が続き、ひとつの解決策として、ACP*)の活用が有効だという意見で一致した。

医療が進歩し、いろんな形での「生存」が可能となってきた。

個人的には本論文の調査結果で、90歳以上の死が老衰として妥当であるという意見が最多であったという結果が驚きであった。

私の父は84歳で亡くなり、死亡診断書としては「間質性肺炎の増悪」であるが、私としては「老衰」と受け止めている。

それはきっと父が、

「痛いのは嫌い」「管でつながれるのは嫌い」「よぼよぼで生き続けても恰好悪い」と、常々言っていたからだと思う。

だからこそ、「もう一回手術をするとよくなるかもしれません」「IVHをすることで生命が維持できるかもしれません」

「まだ80代前半ですから、手術適当だと考えます」という主治医の見解とは異なる選択をした(できた)のだと思う。

手術で症状が軽快しても、在宅酸素は持ち歩くことになるだろう。それは本人が望むことだろうか?またお腹を切ることになるだけで、

嫌ではないのだろうか?…この問いを、私たち家族は、数日間ずっと考え続け、そして看取った。

高齢でも健康で生き続けられればベストであるが、死は常に並走しているものである。それは私が仕事を通じて教えてもらったことである。

年齢うんぬんではないけれど、年齢を重ねていくからこそ、常にどう生きたいか、どう死にたいかを、口に出すことも大切なんだと

思っている。

*「ACPとは?」日本医師会ホームページより引用

ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのことです。
 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「福祉事務所ワーカーの専門性とは何か―現場から社会福祉主事のあり方を再考する―」高木仁根(2021)

2024-02-05 15:51:05 | 社会福祉学

『社会福祉学』第62巻第2号

福祉事務所ワーカーに求められる専門性について、「公務員の専門性」にも焦点をあて、現役ワーカーへのインタビュー調査をもとにその全体像の素描を試みている。

インタビュー調査対象者は3名と少ないが、その声を丁寧に分析、考察している印象を受けた。

 

引用

・最低生活保障は必ずしも経済給付だけを意味するのではなく、相談支援の実践と一体となった生活保護実践によって達成される。

・調査結果から導き出された概念的カテゴリー:面接、人権保障、連携、計画的実践、法適用、能率性、専門性の自覚、外部視点

・調査回答より:

「ケースワークをしたというより訪問数をこなして記録を書いて事務処理を早くするという方がやっぱり評価されるところに多少のジレンマを感じる」

「数字の評価となってしまって、日々の実践、目に見えない努力が軽視されていないか不安」

 

公務員のお給料は税金から捻出されているため、その公平性と効率性が求められているのであろう。

しかし一方で、公的な立場だからこそ、指導や強い忠告を率先して行ってくれる立場であって欲しいとも思う。

最近の私の勤務先での経験。いわゆる生保ビジネスで、管理人さんが経済的搾取をしているかもしれないとヘルパー事業所から連絡があった。

地域包括の職員は区の窓口にその報告について相談をした。「それでそちらはどう考えていますか?」としか聞いてこない。

虐待の定義として当てはまるのか?という外枠をとても気にしている。

「他の業務に追われ、このケースに関わる時間がないのかもしれない」と推測し、地域包括とヘルパー事業所で経過を慎重にみていた。

そして数日後、「そういえば、先日のケースは虐待の定義に入りましたか?答えは出ましたか?」と区から問い合わせが入った。

定義の範疇に入るかどうかがグレーであるが、食材を買うお金を奪われている様子であったため、

フードバンクと連携をしていることを説明すると、「では虐待という定義に入ったら、教えてください」と電話を切られた。

定義優先?地域住民の人権優先?どこに向かって仕事をしているのか。

本論文を読み、ジレンマを抱えながらも地域住民を向いて仕事をしている公務員の方々が、もっと報われそして増えて欲しいと切に思う。

そのためには何が必要なのか。現業員のたくさんの声なのか、地域住民からの感謝の言葉なのか、関係機関からの報告なのか…。

大きな組織であるがゆえに、難しいことなのだろうということだけは、理解できた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする