社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「春ちゃんは元気です」 松田のぶお 文・絵(2013) 文芸社

2015-05-31 21:16:09 | その他
ご自身のお子さんの実話をもとに、絵本で闘病生活の様子を綴っている。
漢字にふりがながふってあるので、小学校低学年から読むことができる。
難しい医学用語もすごく丁寧に、子どもにも分かるように書かれている。


白血病は本当に酷で、人をどこまで苦しめるのかというくらいに、どん底まで(もっともっとその底まで…)人を落としこむ。
病にかかったのが子どもであれば、本人はもちろん、周りの人にとっても、なんとも言いがたい酷さがある。

今日も元気でいられたこと、今日も家族といられたこと、今日も自宅のベット(布団)で眠ることができること。
そんなことをしみじみと感じさせられた。

春ちゃんは元気です
クリエーター情報なし
文芸社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「病気の妻を亡くした認知症高齢者のグリーフワークへの支援」渡邊章子、諏訪さゆり(2015)

2015-05-30 17:07:41 | 看護学
『認知症ケア事例ジャーナル』 第7巻第4号

有料老人ホームでの事例報告。
対象者が表出する言葉や行動について、グリーフワークの先行研究に示されている様態と丁寧に照合されている。

引用
・記憶障害が配偶者の師の受け入れを困難にし、つらい死別体験に何度も直面する苦悩が明らかになった。
・ホームにおいて認知症高齢者のグリーフケアを遂行するには、当事者混乱の時期への適切なかかわりと、ホーム入居者が阻害要因となった場合の対応策の検討が必要であることも明らかとなった。


 高齢者が集団で生活をしている施設等では、ピアサポートが期待しやすい一方で、他の入居者がグリーフケアの阻害要因となることが指摘されていた。
特に互いに認知症があれば、何気ない言葉には悪意はないことも多いであろう。当事者を支援することと同時に、他の利用者への働きかけもまた、大切となってくる。
集団生活がもたらす各々の影響を、今一度整理する必要があると感じた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「老いてさまよう 認知症の人はいま」 毎日新聞特別報道グループ 編著(2015)

2015-05-26 11:40:16 | その他
認知症高齢者とその家族を取りまく現状について、新聞で組まれた特集記事をまとめたもの。
住み込みでの取材等、リアルで身につまされる光景が綴られている。

引用
・(訪問介護は名ばかりで、十分なケアが行き届いていないと認識しながらも、そこを紹介する行政幹部の声)
 「自分の親なら、預けられない。でも社会資源として使わざるを得ない」
・昨年、認知症で行方不明者届が出された人は1万322人に上り、388人の死亡が確認されている。
・(認知症行方不明者の公表について、個人情報保護法が壁となり、公表に消極的である現状に対して)詳細な内容を公にした埼玉県の上田清司知事は「当事者が救われて有益なら個人情報保護からの面からも問題はない」と強調した。


出歩かないように、個室の部屋にはカギを掛ける。やがて、出歩く体力もなくなり、ベットで終日過ごすようになる。人手が足りないため、排泄のケアが不十分で、皮膚トラブルの発生はもちろんのこと、部屋中に異臭がこもり不衛生な環境が出来上がる。
これはまれに起こる現象ではなく、結構起こりうる現象であろう。手をかけ時間をかけ、その人に向き合い思いをよせ、心のこもったケアをすることは本当に難しい。特に施設でのケアは、「最低限、これを提供しよう」と消去法的な考えでケアを提供しがちであろう。そうしないと全ての人に均等なケアは提供できないのだから。

高齢社会となり、認知症の方が増え、これからの社会はどこに向かっていくのだろうと、しみじみと考えさせられた。

老いてさまよう 認知症の人はいま
クリエーター情報なし
毎日新聞社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死別を体験した子どもによりそう~沈黙と「あのね」の間で 西田正弘・高橋聡美著(2013)梨の木舎

2015-05-16 10:13:19 | その他
子ども向けのグリーフサポートセンターを運営している方の書物。
理論と実践(当事者の声)をわかりやすくまとめている。
子どものグリーフをサポートするために大事にしたい19のことがまとめられている。これは死別体験をした子どものみならず、より広い対象者においても参考になる項目であると感じた。

引用
・(子どもの悲嘆反応の)多くは、大人の悲嘆反応と共通するものですが、トイレに行けなくなったり、自分でご飯を食べられなくなったり、親から離れられないなどのいわゆる赤ちゃん返り(退行減少)は、子ども特有の反応とも言えます。その根底には「不安感」があるようです。
・自死では。社会的な要因も相まって様々な問題が生じますが、死の本当の原因がわからないことが多いだけに、遺された遺族は果てしない「なぜ」と向き合うことになります。
・喪失体験と言ったときに、死別だけがとりわけイメージされやすいですが、喪失は死別だけではなく、離別や引っ越しなども喪失になります。(中略)そう考えた時、喪失体験を持たない人はいません。


「グリーフを抱えた子どもたちは、かわいそうな子ではありません。(中略)「かわいそうだ」と思うのは周りの人たちの感情であり、子どもたち自身は「悲しい」「つらい」などの気持ちはあっても、「かわいそうな子ども」とは思っていません。

…という文脈がある。感覚として理解はできるが、もう少し自分の中で咀嚼が必要な事柄である。
悪意はなく、蔑む意識もなく、率直な思いとして、「気の毒だから、かわいそうだから。何か力になれることはないか?」と思う人もいるだろう。私もその節はある。
共感という枠組みに、「かわいそう」という感情は適切ではないのかもしれない。こちらの尺で相手の立場を位置づけてしまうことの警笛として、筆者は説いているのかもしれない。


死別を体験した子どもによりそう―沈黙と「あのね」の間で
クリエーター情報なし
梨の木舎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「孤独死を防ぐ 支援の実際と政策の動向」中沢卓実/結城康博 編著(2012)

2015-05-15 13:33:11 | 社会福祉学
孤独死を未然に防ぐ、もしくは早期に発見できるような取り組みについて、様々な職種が事例を通して報告している。
相談に来るのを待っているだけでは、予防はできない。押し付けではないアプローチが求められる。それを体現している事例報告もあり、参考になった。

引用
・孤独死の背景には高齢の単身者の増加や地域社会での孤立、家庭関係の希薄化、そして経済的な貧困が浮かび上がる。さらに、少子化が進むなか、いずれは高齢者にある若年層の孤独・孤立や貧困を見過ごすことはできない。


本書では、スーパーの出入口によろず相談窓口をつくった、ある地域包括支援センターの取り組みが紹介されている。団地の敷地内にスーパーや金融機関が存在するため、一見便利な環境であると思われがちであるが、自宅とスーパーを往復するだけで生活が成り立ってしまい、人と人との関係が希薄であるという見方もできるという。
単身者等に、老いていくことに対する準備、その上で人とのつながりが必要であること等を知ってもらうために始めたという。

社会福祉士がその活動の中心となっていたようだが、まだ社会福祉士の認知度は高くない。
そのため、法的な相談もできますよと行政書士さんを招き、血圧をはかることができますよと看護師さんに来てもらい…どんな人でも関心を寄せそうなところから切り口を開いていく。その後具体的な支援が必要となれば、関係機関に社会福祉士がつなげていく、結果その人は、地域でのつながりを作っていくことができる。

社会福祉士としては、教科書にまんま載っているような活動であるが、実際にここまでもっていくのは本当に大変であろう。
財源、場所、人手…地域を動かすことは、地域のつながりを強化することにもつながると思うが、本当に難しい。


孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向
クリエーター情報なし
ミネルヴァ書房
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『「分ける」契機としての教育』星加良司(2015) 「支援」編集委員会 支援Vol.5生活書院

2015-05-12 11:49:48 | その他
「わけること、わけられること」をテーマとした雑誌?に収められている。
教育の場において行われている、選別化、個別化等について、主に障害者(児)教育の面から論じている。
障害の有無という面のみならず、広く人が住まう社会に置き換えて考えることができた。

引用
・義務教育は原則としてすべての子どもに提供されるものであり、それは結局すべての子どもが教育可能だという前提に立つものだから、恣意的な選り好みは基本的には認められない。しかし、実際にはその「最低ライン」において「選別」は行われている。
・仕事に役に立つ能力を持った人が社会から求められ、大学はその指標として役に立つ教育評価を求められ、そのためには教育内容そのものを見直すことが必要となる。すると今度は、そうした内容を「教育可能」な人を入学させることが必要になり、そのためには高校の教育内容と教育評価をそれに合わせて調整する必要が出てくる。そして、この構造は初等教育、はては家庭における幼児教育にまで遡っていく。


その人の個性を見つけることは、同時に他者との「違い」を見つけることにもなる。
個性を活かそうと「特別な教育」を施そうとすると、それはすでに「わけること」につながるのかもしれない。
わけられた環境で能力が開花できれば、与えられた環境はその人に合った環境であったと、肯定的に捉えることができる。
ではそうならなかったら、わけかたは過ちであったと簡単に言えるのであろうか…。

環境のもつ力と、他者をわけようとする社会システムと、それに適応しようとする人たちと…。
本当に色々と考えさせられる…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「孤独死のリアル」結城康博(2014)講談社現代新書

2015-05-06 09:40:48 | 社会福祉学
筆者が実践や研究を通して目の当たりにした、高齢者等の孤独死の現状を報告
一般購読者向けということで、理論を固めて伝えるのではなく、現状のままを書き綴っており、読みやすい。

引用
・「孤独死」について、全国の自治体で統一した定義はまだない。本書では、おおよその共通認識とされている、「自宅で誰にも看取られずに亡くなり、その死が数日後に発見され、自殺や犯罪を除く遺体」という亡くなり方を、「孤独死」と呼ぶこととする。
・独り暮らし高齢者の数は、(中略)総人口比でみると、1980年にには133人に1人だったのが、2010年には27人に1人、2015年には、21人に1人ということになる。
・孤独死問題への対策は、①「予防的視点」(孤独死を未然に防ぐ対策)、②「事後的視点」(やむなく孤独死しても、早期に発見する対策)の2つに分類できると考える。
・独り暮らし高齢者を中心とした孤独死対策でポイントとなるのは、「買い物」「食事」「交流」の3つの場が、住宅地に整備できるかということである。これらは徒歩圏内に整備されなければならない。
・通常の見守り活動や対応などは、非公務員の包括支援センター職員や、自治会役員・民生委員などの民間人などによる互助組織が担うにしても、最終的な判断は自治体職員や警察官といった公務員が行い、責任を担うという体制が必要であろう。一部にクレームをつける住民がいたとしても、公務員が対応すれば納得、信頼されることが多い。
・今後、孤独死する人が増えていくとともに、孤独死で親族を亡くす人も増えていくだろう。第一発見者となった場合のカウンセリングなども含めて、孤独死対策は、遺族に対するケアもふまえて考えていく必要があるだろう。


単身者であっても、本人の覚悟と周囲の理解、協力があれば、自宅で最期を迎えることは可能であろう。それは私も、実践から学んだことである。
しかしそれは「孤独死」とは紙一重で、いまは「家で最期を」と腹をくくっていても、数分後には不安に駆られ、「病院や施設などの人がいるところで…」と思いながら死を迎えた場合、本望ではなかったという解釈で、「孤独死」となってしまうかもしれない。

また人の家に立ち入ることは本当にシビアな問題で、支援者側が「緊急時」と判断しても、高齢者本人がそうと感じていなければ、大げさにいえば「不法侵入」に触れる事柄かもしれない。そういったことを踏まえると、筆者が指摘するように、非公務員や民間人だけでも支援は限界があり、そして介入を足踏みさせてしまう要因にもなりえるだろう。

躊躇しすぎず、でも立ち入りすぎず…。「自宅」での支援は本当に難しい…。


孤独死のリアル (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする