岩本喜久子 『在宅医療助成 勇美記念財団』報告書(2008)
小児在宅ホスピスはなぜ必要か?そして現状として、なぜ普及していないのか?
こういった点について、各国の医療職、家族(遺族)へのインタビュー調査、文献研究、学会聴講などを通して、現状、問題点の整理、課題について述べている。
引用
・WHOによる「小児緩和ケア」…緩和ケアは病気が診断されたときからはじまり、子どもがその病気への直接的な治療を受けていなくても継続的に行われる
⇒(筆者追記)成人に対する緩和ケアは、「余命宣告を受けている」「ガン患者」を対象にしていることが多いが、子どもについては余命宣告は特に必要なものではない。余命宣告が難しく、長期的な緩和ケアが必要な病が多い。
・ホスピス先進国の英国でさえ、約1割に子供しか緩和ケアを受けられていないという調査結果がある。
・米国、英国、豪州における在宅ケア環境の共通点…成人の緩和ケアを必要とする患者層に比べて、小児患者は後回しになりがちである。
・諸外国のソーシャルワーカーの取り組み…疾患がもたらすストレス、疾患によってひき起こる生活障害が原因によるストレス、「死が近い」という状況がもたらすストレス…こういったストレスを軽減させ、精神的なケアを提供する。
・家族(遺族)、専門職双方から求められている今後の重要課題…「残された兄妹姉妹へのケア」
「子供は在宅療養という選択肢すらない。だから、どんなに状態が安定していても、障害児施設や長期入院が可能な病院があくまでは、退院を支援できない」と、小児専門病院に勤務する友人から聞いたことがある。
諸外国はそこまではいかなくとも、やはり成人と比較し、様々なケアが後回しになっているようだ。
それは全人口に占める割合が低いからなのか。それとも患児のみならず、父母、兄妹姉妹、祖父母などなど、ケアの領域が広範囲に及び、「難しい」からなのか…。
たしかに「判断や決断」にまつわることは、成人よりも擁護されるべき面が多い。そして臓器は小さく、医療技術的にも困難を来すと言われ、成長とともにその疾患の進行状況をアセスメントする必要があるため、「より専門化する」とも言われている。そのうえ、緩和ケアの定義は「余命宣告 疾患に限らない」となると、余計に混乱してしまうだろう。
しかしどんな人間であれ、根本にあるのは「生存権の保障」であり、「人間らしい生活を受ける権利」であろう。
ひとつひとつを整理し、ひとつひとつに取り組んでいくことで、「病気をしていても、自宅で過ごせる」ことが当たり前であって欲しい。
小児在宅ホスピスはなぜ必要か?そして現状として、なぜ普及していないのか?
こういった点について、各国の医療職、家族(遺族)へのインタビュー調査、文献研究、学会聴講などを通して、現状、問題点の整理、課題について述べている。
引用
・WHOによる「小児緩和ケア」…緩和ケアは病気が診断されたときからはじまり、子どもがその病気への直接的な治療を受けていなくても継続的に行われる
⇒(筆者追記)成人に対する緩和ケアは、「余命宣告を受けている」「ガン患者」を対象にしていることが多いが、子どもについては余命宣告は特に必要なものではない。余命宣告が難しく、長期的な緩和ケアが必要な病が多い。
・ホスピス先進国の英国でさえ、約1割に子供しか緩和ケアを受けられていないという調査結果がある。
・米国、英国、豪州における在宅ケア環境の共通点…成人の緩和ケアを必要とする患者層に比べて、小児患者は後回しになりがちである。
・諸外国のソーシャルワーカーの取り組み…疾患がもたらすストレス、疾患によってひき起こる生活障害が原因によるストレス、「死が近い」という状況がもたらすストレス…こういったストレスを軽減させ、精神的なケアを提供する。
・家族(遺族)、専門職双方から求められている今後の重要課題…「残された兄妹姉妹へのケア」
「子供は在宅療養という選択肢すらない。だから、どんなに状態が安定していても、障害児施設や長期入院が可能な病院があくまでは、退院を支援できない」と、小児専門病院に勤務する友人から聞いたことがある。
諸外国はそこまではいかなくとも、やはり成人と比較し、様々なケアが後回しになっているようだ。
それは全人口に占める割合が低いからなのか。それとも患児のみならず、父母、兄妹姉妹、祖父母などなど、ケアの領域が広範囲に及び、「難しい」からなのか…。
たしかに「判断や決断」にまつわることは、成人よりも擁護されるべき面が多い。そして臓器は小さく、医療技術的にも困難を来すと言われ、成長とともにその疾患の進行状況をアセスメントする必要があるため、「より専門化する」とも言われている。そのうえ、緩和ケアの定義は「余命宣告 疾患に限らない」となると、余計に混乱してしまうだろう。
しかしどんな人間であれ、根本にあるのは「生存権の保障」であり、「人間らしい生活を受ける権利」であろう。
ひとつひとつを整理し、ひとつひとつに取り組んでいくことで、「病気をしていても、自宅で過ごせる」ことが当たり前であって欲しい。