社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

『認知症ケアで大切なことー介護場面における「ケア対コントロール」と日常会話』佐藤眞一(2019)

2022-05-25 16:32:33 | 心理学

『学術の動向』2019.5

 

認知症の人が感じる苦痛、介護する側がいつの間にか抱いている「支配すること」で得る満足感について、

事例を用いて論じている。

学術的な用語があり、読み進みにくい部分もあるが、「ハッ」と気づかされる論文である。

 

引用

・介護の場面では、自立の危機にある介護される側の高齢者は、人間としての対等性を前提として他者と関わろうとしても、それが叶わないことによって苦しみが生じる。

・人間関係一般における親密さは、ケア(care)とコントロール(control)の二側面からの説明が可能と考えた。ケアとは、相手を心配し、世話をすることを表しており、情緒的側面にも物質的側面にも関連する概念である。(中略)一方のコントロールは、相手に対する支配、管理、監督、制限、抑制、強制、束縛、高速などに関連する行動の背後にある心理的規制である。(中略)同じ行為であっても、相手がそれを愛情のある世話を認識するか、自由を奪う束縛と感じるかは、両者の関係性の質そのものを示している。

 

本論文では、ケアの提供を受けたものは、何かを返したいという気持ちになる。しかしケアを受ける高齢者は、金銭的にも物理的にも返すことが困難であり、「ケア」であるはずの行為にも心理的な苦痛を感じる…ということも紹介されている。そして、行動に見合ったお返しが得られない介護を提供する側は…。

互いの関係性がバランスの取れたものであれば、支配されている/支配しているという感情は抱きにくいであろう。

介護職に就く人が、いつの間にか「ケア」から「コントロール」に移行してしまうことは、他の職種よりも低賃金であることがその要因のひとつになりうると感じた。

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『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」-あいまいな喪失ー』 ポーリン・ボス(南山浩二訳) 再掲載

2022-05-07 12:52:27 | 心理学

今朝の読売新聞に表記の本が紹介されていた。

新型コロナウイルスの終息が見えない昨今、この考え方が注目されているとのこと。

2012年に本ブログで紹介した記事を再掲載。

↓ ↓ ↓

米国の家族療法家(心理学の専門家)による書物。
「死別」に限らない「喪失」の存在に注目し、「喪失をした証」(*死の場合は葬儀が存在し、それがある種の喪失の証となる)がない場合の喪失へのアプローチについて臨床経験を踏まえて報告している。

引用
・曖昧な喪失には、二つの基本的な種類がある。第一のタイプは、死んでいるか、生きているかどうか不明確であるために、人々が家族成員によって、身体的には不在であるが、心理的には存在していると認知される場合である(例:離婚家族、養子関係の家族)。第二のタイプは、人が身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知される場合である(例:アルツハイマー病、アディクション、慢性精神病等)。

・医師は、しばしば、未解決の深い悲しみの徴候を伴う患者に、抗うつ剤を処方する。しかし、薬物療法は、確かに大きの場合有益であるが、曖昧な喪失とともに生きなければならない家族成員を助けるのに十分ではないかもしれない。


学生時代の恩師が東日本大震災後に、支援に向かったソーシャルワーカーにスーパービジョンを行った際、本書の理論を用いたという。
津波等で家族の行方が分からない状態で過ごしている方たちは、まさに「あいまいな喪失」の只中であろう。
どこで/なにで気持ちのギアチェンジをしたらよいのか、死別とはまた違った形での喪失へのケアが必要なんだと気付かされた。

老いや慢性疾患による生活上の不都合も、あいまいな喪失に含まれるであろう。
そうとらえると、喪失に関する知識やケアの技術は、どの領域の援助者にも必要不可欠である。
頭の片隅に…だけでもいいので、「喪失は死別に限らない」と是非知っておいて欲しいと思う。

 

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