只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

朝一は雲ひとつ無い晴天でした。

2016-10-25 09:51:51 | 日記

【『お元気ですね~』と言ってくれる人も思考自我ということです。
これに良い事や悪い事の疑念が無ければ別に問題は何もありません。
問題が有るとすれば自分の中にある自我が活動しているということです。】



やはり「借金をすると大変だな~」と思考自我が
言っています。(笑)
しかし事実は『借金は借金』で何も無いのです。

この世界では、借りた物は契約通りに返せばいいので
問題はありません。

貧乏であるところは、そのようにして財産を
築いていくのですね。

それを思考自我は「大変だな~」と言い、
貧乏であれば「お金が無い…」と悩んでいるのです。

また高級車を乗り回し、贅沢三昧しながら
「お金が無い…」と言っている思考自我もいます。(爆笑)

またお金がたくさんある方が「お金はたくさん有る」と
言ってるところ見たことありません。
ですからすべて自己都合なんですね。

私(思考)にすれば『借金も財産のうち』と、
このように自己都合を言っているのですね。(笑)

とにかく、1秒先は誰もわからないのですから
気にすることなど必要は無いのです。

ですから思考が出るような世界ではなく、成るように成る、
成らないことは成らないのが事実です。

借金やお金持ちとか、お金が有る無いを超えて行った
ところが“絶対安心”の境地となります。




只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


 『戦争は悪ですし、殺し合いは悪です。では何故そんなことをするのかです。
    それは万事が無自性空であり因縁所生の法だから、
  縁の実体などは何も無いので、縁次第でそう言う危険なことも
    起こると言うことです。縁に善悪はないのです。
  たまたま縁に拠っての様子が、戦争となったり殺戮になったりするので、
      悪の代表となって現れた時です
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
たまたま人の縁に拠って、現れた様子の事を述べられています。

事実のまま過ごされていると、
その様な自然の縁のままと言うことです。

私(思考)が立ち上がると縁により戦争になったり
するのです。逆に私(思考)が静まり返ると
縁により争いが収まったりするのです。

ですから私(思考)の精神を統一する必要性があるのですね。
精神が統一されれば、仏教でいうところの涅槃寂静の世界であり、
心が静まり返った穏やかな気分で過ごすことが出来るのです。

そのために常に“只なる実践”です。