只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

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2016-10-19 10:05:55 | 日記

【つらい、苦しいと思うときは“真の自分”ではなく
 私、僕と言う思考自我です。】



泳ぐことは難しいことではありません。
平泳ぎは、水の中で手と腕、足を
バランスよく動かせばいいのです。

はたしてこれを聞いただけで泳ぐことが
できるでしょうか?

以前にも書きましたが、『うまく泳げる方法』と
いう本まで出版された方が、プールで溺れて
亡くなったということがありました。

なぜこんなことが起こるかですが、これは理屈には
詳しいが“実践”はしていないということです。

この本の前編で、私は泳ぎ方を口で話す、
文字で描いて説明することは出来ますが、
実際には泳いだことはありませんとすれば正解ですね。笑

只、この世界では残念ながらこの『うまく泳げる方法』と
いう本は全然売れません。(爆笑)

この“只の道”は何と言っても“実践”の継続です!
教えの道標を示されたら、それに向かって
“只、一直線”です。

うまく出来ようが出来まいが、空から浮かんでくる念を
スルーするのです。
強大な思考癖がすぐそばにいますから、
この思考癖を遠くに引き離し寄り付かなくするのです。

そうなった状態が“絶対安心”の境地で
お気楽そのものです。

そこに辿り着いて人生を謳歌してください。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『認識したらもう迷いが始まってしまうのですから、
  もはや解決がつかないのです。認識の一歩手前のところを
  探求していくのが禅です。だから字を読んで、字だと思ったり、
   文字の意味を考え始めたらもう駄目です。
   空想が始まっているのですから。それで一回この体を捨てないと、
  見ながら見ることを止め、聞きながら聞くことを止めることは
  出来ないのです。そこで「只見る」「只聞く」ことが一大事となるのです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
空から浮かんだ念を掴んだらもう迷いが
始まってしまうのです。

ですから幻想の心配、不安、苦悩、恐れ等を
掴まない以前に心を置くのです。
そこが“一心”とも“無心”ともいいます。

ご承知のとおり、文字の意味は無く
実体も無く幻想ですね。

しかし、この文字を幼少の頃から慣れ親しんで
きましたから、『ねこ』と書くと猫と文字が
空想と一体になるのです。

ほとんどの人が『ねこ』と書くと線を描いている
事実とは気がつきませんね。

猫、犬、豚、うさぎと空想して文字や絵を
描いてもいいのですが、これは空想の文字や絵であると
“自覚”出来れば、他の心配、不安、苦悩、恐れ等も
起こらないということです。

これを見極めるため常に“実践”です。