只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

野菜作りも害虫との戦いです。笑

2016-10-04 08:48:55 | 日記

今回も丹田呼吸法を詳しく説明してあるネットを
ご紹介します。
基本は“只なる実践”ですので、この丹田呼吸法を大いに
活用してください。

『そんな時こそ、丹田が鍛えられしっかりと防御力を高まって
いくことが大切になります。そもそもそうしたエネルギーの
奪い合いに巻き込まれなくて済むようになっていくので、
とても心身が楽になっていくのです。

奪おうと無意識に思っている人も「この人からは奪えないな・・」と
察知すると、そういった話題をなぜかその方に触れられない、
この人には止めておこうと、なぜか思ってしまいます。

これもいわゆる丹田の力によるものです。丹田が強ければ強い程、
周囲の影響を受けにくくなり、争いごとの前に既に勝敗が
決してしまっているため、そもそも争いにならないのです。
争いがなくなれば、平和で穏やかな時間をそれだけ多く過ごすことが
出来る様になります
丹田を鍛えることで目の前の世界を穏やかで平和なものに
することが可能となります。まずは目の前の世界を一つ一つ、
丹田を鍛えて平和にしていきませんか?』


このように丹田を磨いていくと、今までの汚れが落ちていくのですね。
これと同じく、曇った鏡を磨いていくと
ピカピカになってくるのです。

また洗濯物を洗って干すと爽やかな仕上がりとなります。
廊下等を拭き掃除すると汚れが取れ、
歩く足の裏の感触が気持ちよくなりますね。

ですが、思考は目には見えない事は信じないで、
排除までするから一向に埒があかないのです。

このブログで言っていることは、すべて見えない事は
信じないで“一旦やってみる”ということです。

今まで丹田を鍛えていないから、「思考癖」から
心を振り回され苦悩が出てくるのです。

ぜひとも丹田呼吸法をマスターされ
「思考癖」から“おさらば!”してくださいね。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・自分の良心のままに只在ることを言うのです。…前回まで

  『眼の侭にとは、見た物事に対して囚われないで、
     素直に「只」見て終わることです。
     理屈も批判も好き嫌いの念も無く、
    さらりとし淡々とした境地のことです。
     耳も他の覚知もそうするのです。
    これが本来であり大自然の「道」なのです。
  ところが囚われるために本当の道が分からなくなってしまったのです


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
前回も言いましたが、眼の侭も聞いた侭も
そこに「思考癖」が無いということです。

これがさらりとして淡々とした境地であり、
本来である大自然の流れと言われています。

しかし、ここに「思考癖」が入り邪魔すると
大自然が壊されるのです。

この迷いの「思考癖」が入るスピードは
約0,001秒の速さです。

その入る瞬間を確認できると消えていきますので、
常に“実践”が必要ですね。