只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

爽やかな日和となりました。

2016-10-24 11:09:44 | 日記

【「困ったことが起きた・・」と思っているのは
  思考ですね。縁で起こる当たり前の現象を
  あれこれと自分勝手に創作するのです。
  そして苦悩になるのです。(笑)】



私(思考)が創っているバーチャルな世界と、
“今この瞬間・無思考”にあるリアルな本当の世界を
しっかり見極めればお気楽そのものになります。

頭の中で創作しているのがバーチャルな世界です。
リアルな世界を現すことはできませんが、言葉で表現すると
無思考で“只”とも“空”とも“無”とも表現できます。

真実世界はリアルな世界で“今この瞬間・無思考”です。
考え思いの無い“純粋な今”ということですね。

なんやかんや自我が言っても“純粋な今”はわかりません。
その人が自我無く“感じる”しかないのです。

もちろん、そこには心配、不安、苦悩、恐れは無く
楽しみも喜びもありません。
おわかりのとおり、平安であり“絶対安心”の境地と言われています。

一方、この幻想世界は思考が創作したものですから、
心配、不安、苦悩、恐れ等が有り、楽しみも
喜びも、何でも有りの世界ですね。

また私(思考)は楽しみや喜びだけを望み、心配、不安、
苦悩、恐れを排除したがるのです。

ここで私(思考)のことは置いて、なぜこんなことが
起こるのかということを説明しておきます。

一言でいうと相対世界だからです。
例えば、楽しみを求めるから苦しみが付いてくるのです。
苦しみがあるのは楽しみを求めるからです。

ですから、苦があるから楽がある、
楽があるから苦があるのです。

求めること望むこと無く“只”楽しいければ、
一瞬一瞬の“喜怒哀楽”ということです。

とにかく事実には「苦楽」は“無い”のですから、
穏やかでお気楽な気分でお過ごしくださいね。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

  『人間にとって戦争は殺しあいだから悪いに決まっています。
  しかし殺され掛かった時とか、攻めてきた時は最早理屈の時ではなく、
       正々堂々と戦うしかないのです。
   さもなければ蹂躙されて滅亡するしかないのです。
   動物が獲物を襲うことは善悪の話しではありません。
  襲われる側は勿論のこと、襲う方にも生命が掛かっているので、
    生命現象の営みであり一現象に過ぎない
のです。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
すべては自然で“自由自在”ということで、
これというものは“無い”のです。

繰り返し述べますが“無い”ものを「有る」に
創作するのが思考というもので頭の中ということです。

この「思考癖」を落とさないかぎり、
いろんな相対を創りだし永遠にエンドレス状態ということです。
つまり解決できないということです。

「善悪」は事実には“無い”ということがわからない限り、
善い悪いの思考から永遠に迷わされるということです。

ですから弛まぬ“只なる実践”ですね。