只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は雨模様ですと、私という自我が言っています。笑

2016-10-22 08:51:44 | 日記
昔懐かしのミゼット三輪小型トラックです。
よく畑で横転していましたね。
それで荷物降ろして「ヨイショ」と起こしていらっしゃいましたよ。笑




【5月5日は子供の日です。
 こどもの成長を祝う日ですが、事実は5月5日ですね。
 真実は5月5日も無く“只の日”です。】

この私達の幻想世界と真実世界を見極めることが、
人生を謳歌することができるのです。

私みたいに借金があってもなんら気にすることも無く
“お気楽”に生きていくことができるのです。(笑)

もちろん返済していくことは必要ですが、
思考を持ち出す必要は無いのですね。
なぜなら“今、今、今”しかないので問題はまったく無いのです。

過去や未来を持ち出す思考があると、
問題は無いのに問題をわざわざ創り苦悩するのです。(笑)

繰り返し述べますが、思考自我とはそういうもので
非常に厄介なのですね。

ですから私や僕という自我と決別しなければ、いつまでたっても
自分と一体化しているのです。

自我という苦悩製造機を壊し、二度と苦悩を製造しないよう
しなければ“安楽”は訪れないのです。

そして、この苦悩製造機を壊すのは自分しかいないのです。
自分と一体化している自我を切り離すのは
容易なことではありませんが、本来が“真の自分”ですから
出来ないことはないのです。

真の自分”を覆いかぶしている自我を剥ぎ退ける
只なる実践”を絶えず継続ということです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


   『文字とも思わず絵とも思わず、何とも思わず、
  見ているとも思わずに「只」ありのままに。ここが縁に任せる。
   その物自体になることです。この着眼を体得すれば、
  修行が本格的になっていくのです。やはり努力であり菩提心です。
  真剣に即今底のみに在ることです。「今」です。たったの「今」です
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
実践の着眼(的)を言ってらっしゃるのですね。
自分を持ち出さないこと、空から浮かんだ念を掴まないこと、
“今、只、自然”に任せることです。

ですから何も手をつけない、努力しない努力をやり続けることですね。
何も難しくしないことです。

浮かんだ念を掴んで思考を持ち出すと、
せっかくの実践が空想化してしまいます。

“只やる”“今から離れない”“自然と一体化する”
この努力をすることによって“絶対安心”の境地が訪れるのです。