BLOG ㈱中元建築設計事務所

建築設計・監理、構造設計、耐震診断、補償コンサルタントの仕事をしております。

EPO中部北陸交流会に参加して

2012年02月10日 | Weblog

久々の投稿です。
環境省中部環境パートナーシップオフィス(EPO)主催の交流会に参加した時の報告です。石川県中小企業家同友会の環境ビジネス研究会のメンバーとして参加しました。

日時:2012年2月3日(金)~2012年2月4日(土)
場所: 福井県若狭町中央公民館 視聴覚室 
内容:「福井の木質バイオマス利用 見学交流会」
宿泊:自然食の農家民宿「まつぼっくり」

2月3日(金)朝、「諸江の湯」駐車場に、8時50分集合。環境ビジネス研究会のメンバー3名で若狭へ出発。積雪注意で安全運転で出かけましたが、時間に余裕を持って出発したので、お昼前に昼食を取り、開催時刻の約一時間前に現地に到着しました。

第一部の見学会「若狭町バイオマスタウン構想見学」がいきなり中止。大雪対策のため、若狭町の職員が対応出来なくなったとの事。資料による説明を受けましたが、資料を見ていると、なお更、見学出来ない事が残念に思えました。

第二部は、「福井県木質バイオマス利用研究会」からの「提言書」の発表が、県の県産材活用課の職員から、また、「マキキュート・コンソーシアム」の報告が、㈲JASTYの山口氏と「森と暮らすどんぐり倶楽部」の松下氏からありました。
「提言書」の発表は、その地域のデータ、調査結果のデータ等に基づいて作成され、内容的にはとても良い「提言書」になっている印象でしたが、発表に於いては、せっかく整理した調査結果のデータ等を数字の羅列ではなく、グラフ等を利用すればもっと解りやすい発表になったと思います。
「マキキュート・コンソーシアム」の報告会は、薪ストーブと太陽熱で、暖房と給湯を行うシステムで、将来的には地域熱供給システムの可能性もあるとの事。技術屋の山口氏、自然を愛する松下氏、また、NPO・建築士・機械メーカーなどと連携したプロジェクトで、地域でどんどん進めて頂きたいと思いました。 
第三部の懇親会・意見交換会では、環境や自然に対して熱い皆さんは、発表者の山口氏や松下氏を質問攻めにし、環境の話は尽きませんでした。

翌日の第2日目は、「森と暮らすどんぐり倶楽部」の見学会を代表の松下氏の案内で行いました。
「森と暮らすどんぐり倶楽部」の紹介では、林業への挑戦・環境への貢献・自然体験受入・地域の活性等、様々な活動の紹介がありました。気になったのは、倶楽部ハウスの建物の断熱性が低く、せっかく薪ストーブを入れていても、温まらないイメージにならないかが心配な事。また、自然体験にも使用する手作りの小屋の構造が、地震・強風または大雪の時に、壊れそうで、もし子供達が自然体験に来ている時に大地震や強風が吹いたら大変な事に成らないか心配でした。

見学会も無事終了し、ドライブインで食事をした後、一路、金沢へ帰ってきました。大変有意義な2日間で、楽しく勉強させて頂きました。

チェルノブイリ原発事故

2011年04月26日 | Weblog
4月26日は私の記憶にしっかりと刻み込まれた日です。
それまでは、広瀬隆さんが「東京に原発を」と言って反原発を訴えていても、「この人、何を言ってるんだろう?」と、思っていただけですが、この日から「大変な事が起こったんだ」と思うようになりました。
「水洗トイレの無い(ボットン便所の)高級マンション」=「原発」
核廃棄物を処理する技術を持たないのに、見切り発車で進めた原発政策。
子や孫、何百年、何千年、もしかしたら何万年も先の子孫に負の遺産を背負わす事を、今生きている我々の世代が行ってしまているのかなって思います。
福島第一原発事故の対応をテレビで見ていて、なんとローテクか、薬品か何かで核の暴走を抑えたり、放射能を発しないように出来ないものかと思ってしまいます。
チェルノブイリでは25年も経って、未だに3千人?もの人たちが事故処理に働いていると聞きます。
福島第一原発事故の事故処理も、この先ずーと続くのでしょう。
3.11は津波と原発事故が多くの人々の記憶と歴史に刻まれた日になるのでしょね。

4.26は「良い風呂」の日でもあるそうです。

「新春講演会・賀詞交歓会」

2011年02月01日 | Weblog
 昨日、石川県中小企業家同友会の「新春講演会・賀詞交歓会」に参加してきました。
 講師は山口勉氏(『でんかのヤマグチ』(株)ヤマグチ社長)が東京から来る予定でしたが、この大雪で交通機関がストップし、金沢に来る事が出来なくなり、急遽、石川県中小企業家同友会の代表理事である玉田善明氏(玉田工業(株)社長)が、講師を務める事になりました。
 さすが、代表理事だけあって、この急な事態にも拘らず、約一時間の講演を「パッション(情熱)の大切さ」や「行動派の経営者が勝つ確立が高い」など、経営者がすべき事を分かり易く講演して頂きました。
 「新春講演会」の後の「賀詞交歓会」では、同じテーブルに初対面の方が何名か居たので、名刺交換をして、その方の業界の話や、個人的な趣味の話などをしていました。
 私が興味を持ったのが、IT関係の仕事の傍ら、ラグビー協会の理事をしている方のお話で、ラグビーの試合終了後、必ず両チームが一緒になり懇親会を開くそうです。ラグビーでは、試合終了の事をノーサイド(試合が終了すれば敵味方なしという意味があり、ラグビーの基本理念を表す言葉)と言います。この言葉は、私の好きな格闘技にも通じる、大好きな言葉ですが、ラグビーでは、実際に、試合の後、両チームで懇親会まで開いているとは思ってもいませんでした。
 我々の仕事に置き換えると、始めっから、ノーサイドで仕事をしたほうが良いのかな?

急行「能登」の思い出

2010年03月16日 | Weblog
先日は寝台特急「北陸」、急行「能登」のラストランで金沢駅が
賑わっていたようです。

私は、昭和50年から10年間東京に住んでいました。
帰省する時は、いつも急行「能登」か、急行「越前」を利用していたので、
懐かしく思いながらテレビのニュースを見ていました。

当時は、周遊券という切符が有り(今でも有るのか知りませんが…)
急行の自由席なら急行料金が要らなく、確か、往復の乗車料金よりも
安かった記憶があります。(記憶違いでなければ)
それで、若い頃は高価な寝台特急「北陸」には乗車した事が有りませんでした。

昨年のある日、たまたま、朝には東京に到着したい用事があり、
ちょっと贅沢に、初めて寝台特急「北陸」に乗りました。
それが、最初で最後になったわけです。

また、私が利用していた頃の急行「能登」や「越前」の座席は、
今のようなリクライニングでは無く、4人が向い合う硬い座席で、
寝るのに苦労した思い出があります。

ある時は、お酒を飲んで酔えば眠れるだろうと思い、飲み過ぎたのか、
列車の揺れのせいか、酔いで気分が悪くなり、逆に中々眠れなかった
事がありました。

次に考えたのが、寝不足で列車に乗ることです。
これは、ほぼ成功です。
しかし、やはり硬い座席で、座った姿勢で長時間寝るのは辛かったです。

ある時、上野から金沢に帰るとき、向かいの座席に綺麗な女性2人
(中学生か高校生位の娘とその母親)が座り、母親は気を遣ってか、
富山の泊で降りるまで、ズーと話しかけてくれました。
この時ばかりは、寝不足で乗るんじゃなかったと、後悔しました。

思い起こせば、急行「能登」や「越前」での思い出は、まだまだ沢山有ります。
やはり、年のせいでしょか…。



ジョーク話

2006年07月20日 | Weblog
世界傑作格言集HPより http://kuroneko22.cool.ne.jp/index.htm

ジョーク話を1つ

ある日の午後、一人の金持ちな弁護士がリムジンの後ろにふんぞり返っていると、二人の男が道の脇で草を食べているのを見かけた。
弁護士は運転手に止まるよう命令すると、外に出て彼らに声をかけた。
「なんで君らは草なんか食べているんだ?」
「食べ物を買うお金が無いんです」と貧乏な男が言った。
「それなら、私と一緒に家に来たまえ」
「だけど、私は妻と二人の子供がいるんです!」
「彼らも連れてきなさい」弁護士はもう一人のほうに向き直って言った。
「君も我々と一緒に来たまえ」
「しかし、私には妻と六人の子供がいるんです!」と二人目の男。
「一緒に連れてきなさい」弁護士はそう答えると、自分のリムジンに向った。
さすがに大きなリムジンでもそう容易ではなかったが、なんとか全員がリムジンに乗り込んだ。
車が発車すると、貧乏な彼らは言った。
「あなたはとても優しい方だ。私たち全員を連れて行ってくださるなんて……。本当にありがとうございます」
弁護士はリムジンの後ろにふんぞり返りながら答えた。


「問題ないよ、うちの庭の草は30センチ近くまで伸びてしまっているんだ」

以上

by.2番ファースト_D