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夢二(2017年6月・元町映画館にて)

2017年06月21日 | 映画

明日の22日も、2時50分から元町映画館で「夢二」の上映があります。


日曜日に元町映画館で「夢二」を見てきました。同じ日にTOKIOでジュリーは音楽劇、こちら関西の神戸では「夢二」の上映、ナマのジュリーに、名画座で若き日のジュリーも観られる私達ファンはラッキーだよね~ と、心からそう思いました。

セピア色の映画の導入部には、チラチラと古い映画特有のバチバチが映像に飛んでいて、ニュープリントされているはずだけど、これはわざとですか?→公式サイト

スタッフの紹介には 俳優には表方、スタッフには裏方と出てきて、大正時代が舞台というレトロ感を増していました。登場した夢二を演じるジュリーは、いくつもの鮮やかな紙風船を追いかけて、夢かうつつか・・・そんな世界の中にいることを暗示しているよう。

そう、この映画全体が夢かうつつの世界で、殆ど現実感がない。夢二は現実の人物なのに。

筋はあるようで、無いようで、前見た時には全然気にも留めなかった、所々に大正の時代背景(大逆事件)などが織り込まれている。夢二が大逆事件で疑われていたとは知らなんだ。もちろん、関係なかったそうですが、竹久夢二に政治とか思想など有りそうにないです。

玉三郎さん(昭和天皇みたい、ソックリ)演じる、稲村御舟は速水御舟のパロディなんだろうか、彼は中央画壇の重鎮らしい。対する夢二は女子供にはキャーキャーと人気はあるけど、中央画壇には認められていない。そんな画家として認められたいという、夢二の焦燥感が生み出した、幻の物語なんだろうか、これは。と、今までにも何度か見て、やっと初めてそういう感想が産まれました(^^;

女優陣は皆美しく、その着ている着物もこだわったものになっていて、たいそう華やかで見る目を楽しませてくれます。よく見れば、女優たちは何故か同じ着物を着ていたりする。どの人も夢の世界の住人に相応しい艶やかな美女ぶりで、夢二にもて遊ばされたり翻弄したりと たいそう忙しい。顔の無い後ろ向きの夢二の絵を肉体化した白い着物の女の後姿が度々現れるのは、夢二の心象風景を現わしているのか?

多分、観る側はそういうことを色々考える必要は無いのだと思う。ここで繰り広げられる、美女たちと夢二の交遊、原田芳雄演じる怪しすぎる脇屋との対面、そして殺人鬼を演じて似合いすぎて怖い「太陽を盗んだ男」の大監督、長谷川和彦の意外な怪演に拍手を送るべきだろうと思う。ジュリーとはNHKドラマで共演した、麿赤児さんの「幸福な市民」とは180度違う演技も見ものです。

ジュリーは、好色で勝手気ままで、何を考えているのかわからない夢二を、軽~い男に演じている。夢二というよりもやっぱり沢田研二、かな。 この作品の夢二に色っぽく、翳があるのは、ジュリーが演じているからこそ。 43歳のジュリーは、その表情にそれまで辿ってきた年齢なりの翳りと疲れを帯びてはいるが、かつての華やかさを失ってはいない。今も昔も40代であの華やかさと色気を持つ人は他にいるだろうか。「夢二」という時代に愛された画家、時代の寵児であった夢二を演じるのにふさわしいのは、やはり沢田研二だと思う。特筆すべきは、同じころに演じた「妖怪ハンター ヒルコ」の主人公とは、全然違うジュリーであるという事。

その他、私の目を惹くのは金沢の様々な美しい景色と建物で、ダンスの場面では今はないロケ地の洋館の美しさにうっとり!こんなに美しい建築が無くなっているなんて、ああ~ もったいないな!

華麗な衣装の美男美女らが、複雑に絡みあう様は、どこの場面を切り取っても1枚の絵のように完成しつくされて、そのスタイリッシュさ美しさに、清順美学が凝縮されている。

 最後にススキ野原での独白は、ジュリー演じる源氏物語の光源氏の最後のシーンを思い出しました。

 

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