先日、毎日新聞の「みんなの広場」に投稿された文(もうこれ以上沢田研二さんを責めないで欲しい)を紹介しましたが、11月1日にも、ジュリーに関する投稿が掲載されましたと、J友さんから教えて頂きました。
今は認知症になったお母さんの「死ぬ前にもう一度だけ、ジュリーのコンサートに行きたいんや。連れてってくれるか。」その言葉に泣きそうになりました。
歳をとっても、認知症になっても、お母さんの中に沁みついたジュリーの歌声は、死ぬまで消えないのだと思いました。日常は忘れても、多くの幸せな楽しいジュリーとの記憶は、お母さんの中にしっかりと根付いている。どうぞ、是非コンサートに連れて行って上げて下さい。
「お母さんがご機嫌ならそれでいい。」ずいぶん勝手と言えるお母さんの行動に、お父さんはなんて優しいの・・コンサートに行くのに家族に気を遣った昔が、多くのファンにあるのじゃないかしら。
お母さんは、もちろん日頃から家事をしっかりしていた人じゃないのだろうか。そんなお母さんだから、お父さんは快く行かせてくれるし、老いて認知症になった今でも、娘から連れて行ってあげたいと言ってもらえる。お母さんはとても幸せな方です。
今のジュリーの「君をのせて」、早くお母さんの耳に届くといいな。。
昨日のスージー鈴木さんの『沢田研二と書いてロックンロールと読むーー80年代から現在に至るまでの活動を辿る』を読んだJ友さんが、スージーさんに一言
『スージー鈴木さん、85年からドームまでが抜けていますよ。
特に「架空のオペラ」から「リアリイラブヤ」90年代のジュリーの歌声は、艶があって一番セクシー、
是非聴いて、みんなに紹介して欲しい。色んなものを読んでも、この時代が抜けている、
ホントにこの期間、ジュリーは何をしていたか知らない人が多い、、ライブに、アクト、トークショーと、ホントに多忙だったのに、残念でなりません。ジュリーも歯がゆい思いしていると思います』
ファンにとって85年から90年代は、多くの人が結婚、出産、子育てと重なった時期なので、行きたいのに行く事が出来なかったのは、本当に残念でした。90年代に入るとジュリー自身がTV番組から退きました。情報もないし、特に地方に在住だとコンサートもありません。40代のジュリーは「今が一番歌が上手いと感じている」と話していました。ジュリー自身、多くの方に聴いて欲しかったはずと思います。
あの時代のライブ、特に観た人が多くはないアクトシリーズなど、もっと聴きやすい値段で再版をして貰えるといいのにと思います。せっかくの古稀の記念に形のある物を、ライブ音源のCD化もして頂きたいです。
私なら、『万華鏡と読む』かな?いや、『ジュリーと読む』しかないでしょう。(以下、スージーさんの文章に触発されて書いてみた文章、長くてごめんなさい。Saoさんが一読くだされば充分です。コメント欄を荒す意図はありません。削除でもなんでも)
その生き方がロックンロールだと言って下さったのは、いいとして。
ジュリーは、ロックはもちろん、歌謡曲、シャンソン、オペラ、『素晴らしき天然』のような昔の歌、どんな歌も素晴らしい表現力で歌います。歌を表現するアイデアにも富んでポーズや演出にも長けているのは言うまでもないことですよね。大衆的でありながらどこか誰もよせつけないようなところがあるのも魅力のひとつかな。多くの名曲に恵まれて、1曲を7人もの作曲家で選抜した『時の過ぎゆくままに』をはじめ、ジュリーに魅了された作詞家作曲家をあげればキリがありません。
ジュリーは、自身で作詞も作曲もします。自分の『コバルトの季節の中で』『ダーリング』等のほか、ザ・ピーナッツそして後年椎名林檎が歌った『東京の女』、内田裕也に提供し自身も歌った『決めてやる今夜』、アン・ルイス『ラ・セゾン』など、数え上げればキリがありません。その活動はずっと続いており、『我が窮状』はじめ近年の曲は、ほとんど自身が作詞または作曲した、思いのこもった歌たちです。『I believe in music』はじめ諸々、訳詩も手がけてきたことも忘れてはなりませんね。
そんな歌手生活の中で、佐野元春や大沢誉志幸、伊藤銀二、井上陽水など多くの人々とコラボしたのは確かですが、どっちが得をしたのでもない、刺激し合ったにすぎないのではないかな?そして、ロックといったら内田裕也という御仁は、『湯屋ちゃん』聞いてみて~、ふたりは根っから仲えぇねんで~。今あげた人らも忌野清志郎も石井竜也も皆が比較に出そうとする人、誰もかれも、みんなジュリーを大好きやねん。私は、ジュリーがロックでないという人に反論する気はない、そう、それはジュリーのごく一面やもんね。
その演技力、反応力は昔からテレビ番組のコントコーナーにも活かされて、大昔『夜のヒットスタジオ』内にあったちょっとした芝居のコーナーから、『全員集合』で志村けんと、『夜はやんやん』であのねのね等と、あますところなく見る者を楽しませてくれました。
そして、トークが魅力的でもあるジュリーは、昔からラジオのパーソナリティーなども多く務めてきたし、1曲も歌わないトークだけのショーも20年も開いてきましたね。
自分の仕事のことから「佃煮とか焼き豚も作る」等の日常話、大好きな野球、サッカーのこと、震災や原発、憲法などを憂える思い、年を重ねることや人として生きることについて思うことなど、ネタの振り幅も広く、また何かを聞く者に強要するようなものでもありません。
東日本大震災の復興についても、当時「私はこれだけ寄付する」「私が集めて寄付する』等の有名人もあった中、ジュリーが声高に『この売上げの一部は・・』等と言ったことも聞いたこともありませんが、今年もまた3月11日に当時復興を願って新曲をリリースし、当時に作ったオリジナルのブレスの写真をジャケットにして新曲をリリースし続けているのもジュリーの一面です。
ジュリーはある時期から、美貌をいかした表現への評価を捨てることで、自分の真偽をはかろうとしてきたようには思います。ジュリーは常にその外見への評価と深い内面の中で葛藤を重ねてきた結果、美しくなければ沢田研二でないというならそれまで、と、外見へのこだわりを捨てたと思うの。そのかわり、そのなめらかで美しい稀有な歌声をいかした表現については、これからもやれるところまで続け、自身もファンも楽しんでいこうっていうことなのかなって思っています。今だって、その年令で自然で十分美しいしね。
最後に、ジュリーは、自分の事務所を持つ経営者の顔を持っています。上記以上の業績を持ちそして深い年令を重ねてきた沢田研二を、契約を守れないような場に出し続けることはできない。今回の件への是非はともあれ、その判断は経営者としてのジュリーが沢田研二を護ったのだと私は思います。
と、Saoさんやジュリーマニアの皆さんなら知っているようなことをエラそうに書き連ねましたが、今回の件が何だかいつまでも収まらないのは、結局、皆ジュリーを無視できないからですよね。私なんか、小学生以来、ジュリーにはいつも生活の中にあって育ててもらったぐらいに思ってますし~。(途中私も多少のブランクがあるのは事実)どこまでもついていくよ~。
沢田研二と書いて、大昔から人騒がせなジジィ~と読む?
やっぱり、私は、『沢田研二と書いて、ジュリーと読む』かな。
これからもSaoさんのブログ、楽しみに拝見します。
曲名等に ちょっとした思い違いというか・・。
あぁ アレのことね、とわかるので、たいした事ではないんですが気になってしまい・・。
(1) ・ 『素晴らしき天然』 ⇒ 美しき天然
・ 1曲を7人の作曲者 ⇒ 5人 (だったような?)
・ 『ダーリング』 ⇒ (ここは多分?)ストリッパー
(2) ・『白糸の滝』 ⇒ 滝の白糸
・ 『しあわせのかたち』 ⇒ 幸福(しあわせい)のスイッチ
・ 『夜はやんやん』 ⇒ ヤンヤン歌うスタジオ
ではないかと。
しかし、私の方が間違ってたり・・(汗)
突然お邪魔して本当に申し訳ないです。
せっかくいい文章を書いてくださってるので、と思ったまでで・・。。
Sao様 いつも読み逃げ申し訳ありません。
私のこういう書き込みで気を悪くされたら本当にごめんなさい。
『お初ですみませんさん』の仰る通り、ほんとですね間違いだらけだ〜、ストリッパーをダーリングと書いたのが、何より恥ずかしい!
ちなみに時の過ぎゆくままには、今ネットで検索したら6人の作曲家さんと書いてあったり。思い違い、うろ覚え、上から目線、読み返して穴があったら入りたいってやつです。
あぁもぅ、Saoさんどうかこの上は、全文削除で。
ほんと、これにてしばらく謹慎いたします。
Saoさんのブログファンの皆さま、ジュリーマニアの皆さま、ほんとにごめんなさい。
やっぱりジュリーですよね![我が名はジュリー❳
と。それぞれの沢田研二{ジュリー}が、あるのだし。週刊朝日読んで、フアンのこと書いてあるのは正直もう、お腹いっぱい!頭いっぱい!で
ざーっと流し読みして、ただ、(腰が痛い)の部分が、気になりました。saoさんお薦めのミッツさんのところは嬉しくなりましたね。フアンそれぞれがそれぞれの想いで応援していればと。
のの様、熱き心を受け止めました。
子供たちも巣立ちホッとした頃、このままでは自分もどうなるかわからない。病気になってしまうかも、ジュリーだっていつまで歌っていられるかわからない。後悔はしたくないと思い1人でもコンサートに足を運ぶ事にしました。80年代のジュリーは最高でした。流石に、数回はコンサートに行きましたが、無理をすれば行けないわけではなかったのに、忙しいからと自分に言い訳していただけだったのかもしれないです。もっと行けば良かったと、本当に悔やんでいます。
88歳のお母様は、家事をこなしながらも行かれていたんですね。そして、認知になってもジュリーの歌は忘れないで、死ねまでにもう一度ジュリーに会いたい。読んでいて、ジーンとしました。
今回のコンサートは、お母様の好きな風は知らない歌ってくれます。
大丈夫娘さんが願いを叶えてくれますよ。
コメント、どうもありがとうございます{/kaeru_fine/
ただ今、長崎に来ています。
ジュリー、咳かぜをひいたとかで、苦しそうでしたが、途中から声も出るようになりました。
心配しましたが、終わってみれば良かったです😃
申し訳がありませんが、帰ってから
ゆっくりコメントを入れさせて頂きます