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「追憶」ニーナ!

2012年09月11日 | JULIE メモリーズ

関西テレビの人気番組「よ~いドン」の火曜日の恒例企画
「年代別 あの頃ソング」(多分こんな名前) 
ジュリーは1970年代のヒット曲で、よく出てくるの。 放送時間が朝10時からだから、いつもは仕事で見られないのだが、今日はお休みだから見られるわ~(^。^)  と、楽しみにTVの前で待っていたが、なかなか「あの頃ソング」の時間にならない。 

で、ちょっと席を外して戻ってきたら、ヒデキの1974年9月のヒット曲
「ロ~ラ~!!」とやってる。え?! ジュリーの曲もこの頃はヒットしてたな・・・と慌ててTVを見たら

1974年9月のヒット曲

 3位「傷だらけのローラ」

 4位「追憶」  

ガァァァァァァ・・・・ン ジュリーの「追憶」の放送はもう終わっていた
Σ(゜д゜lll)ショッ~ク ガッカリ・・・見たかったのに 
いつも、曲のジャケ写と曲がほんのちょびっと流れるだけ、それでも見たいの.。
結局、1974年9月の「あの頃ソング」の結果は  
①ふれあい 中村雅俊  
②精霊流し グレープ 
③傷だらけのローラ 西城〇樹 

④追憶 沢田研二  
⑤岬めぐり 
えーと?`s(-・-;) …忘れた、調べる気もしない

 

もう38年も前のヒット曲ですが、この「傷だらけのローラ」には、一言いいたい。 
ジュリーが「ニーナー!」と歌ったすぐ後に「ローラ!」よ?マネしていると言われても仕方がないでしょう。 (ニーナは6月、ローラは8月発売) 実際、マネだと当時言われていた。 前から作っていた曲と言い訳してたけど、嘘付け~と思ってた

 

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当時の言い訳↓

『「ちぎれた愛」、「愛の十字架」に続く愛をテーマにした絶唱型の楽曲。前作「激しい恋」より先にレコーディングされていたが、秋向けの曲との判断からリリースの順番が入れ替えられていた。 リリースされて2週間余りでオリコンの第2位にランクされた。前作の「激しい恋」に続き、今度は中村雅俊の「ふれあい」に阻まれて第1位の獲得はならなかったが、100位以内の登場週数で「ちぎれた愛」の22週を上回る24週の長期にわたる35万枚近いロングセラーを記録した。

この曲で『第25回NHK紅白歌合戦』にトップバッターとして待望の初出場を果たす。
初の海外進出作品として、1975年1月17日にフランス語版のレコーディングが行われ、2月15日にはカナダ、フランス、スイス、ベルギーの各国で発売された。特にカナダではヒットチャート第2位にランクインされた。国内でも1975年4月15日にフランス語版の「LOLA」がリリースされている。』

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しかも、フランスで発売て、まったく 誰かさんのマネ、後追いしてるやん!
カナダのヒットチャート2位?! 初めて知りました。へー・・・・ おそらく、その順位は日本国内で さほど話題になっていないはず・・・??(゜∀。) ジュリーがフランスのヒットチャートに入ったときは、ちゃんと NHKが夜のニュース番組で取り上げてくれたも~ん♥ 
芸能ニュースじゃないのよ!NHKよ! あー、もう38年も前ですけどね・・・

 
紅白「追憶」はこちら→ http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ2NDEyMzI4.html  
CMが邪魔ですが・・

ジュリーは綺麗で熱唱ですが、途中で余計なテロップや、わけわかんないコメントがある不思議なYoutube

快傑ゾロみたいな、紅白のローラを貼りたかったが、削除されていた。
https://youtu.be/e4vz294LxLA 

そういえばタロー氏、この頃彼のプロデューサーされていなかった? 
誰かこの頃のことを聞いてください。

 

 

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② コバルトの季節の中で「ザ★スター 沢田研二」

2012年09月11日 | JULIE メモリーズ

途中になっている「コバルトの季節の中で」ですが・・・ ネガティブなお話ですいません。 
前の「大麻事件」の話もですが、これも楽しい話題ではありません。m(_ _)m まあ、こういう話も昔々あった、ということでお許しください。 今回の「コバルトの季節の中で」、何か参考になるものをと捜したら、1977年に出版された「ザ★スター 沢田研二」に詳しく書かれていました。

この本は、1976年1月9日から、9月24日までスポーツニッポン紙上に掲載されたものです。 ジュリーの日常生活と同時進行でレポートされ、ジュリー自身が話をする形式で、一部は関係者の話になっています。 
最初はスターのジュリーの日常を追う、という企画に過ぎなかったと思うけれど、1975年末の新幹線東京駅事件、76年5月の新幹線社内の事件と、はからずも 二度にわたる事件のリポートになっています。 図書館で借りられたら読んでね。

      

           

ジ ュリーは長く芸能生活を送っている大スターにも関わらず、こういった類のジュリー本人が話すという本は、あとは「我が名はジュリー」くらい? 
でもジュリーは「我が名はジュリー」は失敗だった、なんて言っていませんでしたか・・・ なんでかな? 今、ジュリー本人が自分を語る本、1990年代以降の自分誌が読みた~い! 他人の主観の入った本はいらない、信用できないし。

明日は具体的な新聞記事に続く・・・・ 

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