長野周辺の山歩きと山野草

長野県北部を中心に山歩きと野草の開花状況を報告しています。植物の不思議な生態についてもレポートしています。

往生地公園-往生寺-小丸山公園-善光寺雲上殿@長野市

2009年04月20日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

2009年4月18日、善光寺-湯福神社-往生地公園-宗栄寺-往生寺-小丸山公園-霊山寺-善光寺雲上殿-桜坂-善光寺というルートで歩いてきました。マップ


道標
 忠霊殿の西方にある出口に道標がありました。書かれている文字は「右ざいごうみち 左とかくしみち かるかやみち」


湯福神社(4月3日撮影)
 五穀豊穣・生業繁栄の神様。古来より善光寺の氏神・鎮守の神として、また戸隠神社の守護神の一つと称されているそうです。境内にケヤキの大木があります。


往生地公園
 桜の花は散り始めていました。かなりの大木です。満開のときも良いですが、お花見するなら散り始めている時もおつですね。


宗栄寺
 桜の木があって市街地の見晴らしの良い曹洞宗のお寺。


往生寺の六地蔵と桜 往生寺リンク
 桜は満開でした。ここにも回向柱が設置されていました。夕焼の鐘があります。
 

往生寺からの展望
 往生寺の裏手には観音山(575m)があります。そこに登る途中には西国三十三カ所、坂東三十三カ所を表す石仏が点々と置かれていました。観音山の山頂には観音さまの石仏といくつかのベンチが置かれていました。さらに葛山方向への登山道につながっています。


小丸山公園からの展望
 善光寺忠霊殿の塔が目立っています。この近くの歌ヶ丘には多数の歌碑があります。


活禅寺上からの展望
 手前が活禅寺で中央の木々が茂っている所が善光寺です。活禅寺は座禅をするお寺です。


雲上殿からの展望
 散り始めた桜をシルエットにしてみました。


雲上殿と桜
 雲上殿は納骨堂です。お花見は静かに楽しみましょう。雲上殿は散り始めで、その下につながる桜坂ではほとんど散ってしまっていました。

仏足石  信州善光寺@長野市

2009年04月19日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

今回は山門の向かって左側にある仏足石についてです。大勧進の入り口手前にあります。


仏足跡(仏足石)
 解説版の引用ーーーお釈迦様の足跡を石に刻んだものです。古代インドで仏像が造られるようになる前から、お釈迦様を表す象徴として礼拝の対象とされてきました。ーーー引用終わり
 石の上に立ち説法した時、瑞祥七相が線彫りになって残ったものが仏足石という設定です。この石に礼拝すると今までのけがれが一切消えてしまうという信仰があって善光寺にも仏足石が設置されています。


仏足石
 お釈迦様の足裏の文様を瑞祥七相というそうです。その名前を写真に書き込んでおきました。
 かかとから~ 五つの山の両脇から雲がわき、その間から太陽が出ています。その上に仏・法・僧の三宝を意味する模様があります。ここまでを梵王頂相(ぼんのうちょうそう)といいます。その上に千本の矢が付いた矢車、千輻輪相(せんぷくりんそう)があり、その上親指側に、魔物を寄せ付けない法力を表す金剛杵相(こんごうしょうそう)があります。その隣には、不滅の生命力を表すといわれる魚がいます。ヒンズー教の神、ヴィシュヌが魚に変身したという伝説もあります。魚の隣には宝物が入った宝瓶相(ほうびょうそう)、そしてホラ貝。これはホラ貝の音が広がっていくように仏法を広めるという意味があります。親指に月王相(げつおうそう)、その他の指に卍花文相(まんじかもんそう)です。善光寺の仏足石では親指も卍花文相になっているように見えます。
 参考資料:やさしい仏像の見方(西村公朝・飛鳥園著 新潮社)
 知らないまま見るよりも瑞祥七相の意味を知ってから実物を見たほうが心に強く残ります。ただ、御開帳の現在、さい銭がたくさん石の上に乗ってしまっていて模様の様子が良く分からなくなっています。

善光寺・親鸞聖人像@長野市

2009年04月17日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

 善光寺は、現在天台宗の大勧進と浄土宗の大本願が管理運営しています。しかし、誰でもお参りできる無宗派のお寺と位置づけられています。

 善光寺の本堂近くに浄土真宗の宗祖親鸞の像がありますので報告します。

親鸞聖人像
案内板の要約ーーー鎌倉時代、親鸞聖人が旅の途中で善光寺に参詣された時、善光寺如来様の御前に松の枝を供えられたと言われています。これにちなんで本堂内の大きな華瓶(けびょう)には、「親鸞聖人お花松」(または、親鸞松)と呼ばれる松の若木が今も欠かさず供えられています。ーーー

 本堂に入ってすぐ、びんずる尊者の左にその大きな花瓶はあります。つい、見過ごしてしまいますが、この松にはそんないわれがあったのですね。鎌倉時代からずっと続けているのでしょうか。寺社には想像がつかないほどの長大な歴史があります。

古大穴神社-薬師山-天上山-二本松峠@千曲市

2009年04月16日 | 山歩き
4/13 千曲市森の杏を見に行ったらもう散っていました。頂上部分だけがまだ咲き残っているという状態。なので急遽里山登りに変更
古大穴神社-薬師山(437.3m)-土口塚古墳-五量眼塚古墳-天上山(694.6m)・坂山古墳-二本松峠というルートでした。時間があればさらに鞍骨城、あるいは倉科まで行っているところでした。


古大穴神社


新緑と千曲川
 "新緑"と言っても、木々はやっと新芽を出し始めたばかり。生命の躍動を感じてうれしくなります。左に通っている道路は高速道路の長野自動車道で、この山の中を薬師山トンネルが通過しています。


薬師山
 このお堂の中には薬師三尊像の座像が安置されています。三体とも薬つぼを持っておられました。これはちょっと珍しいでしょうか。


土口塚古墳
 前方後円墳です。”方”から”円”の向きに撮った写真です。古墳を縦断する形で登山道があって、赤松等の樹木も多数生えています。お墓ということを考えると、真上を歩いて良いのか?という疑問もありましたが、前方後円の形が実感できました。
 ここは、昭和57年~61年に遺跡調査が行われました。
全長67.7m 後円部径40.5m 前方部幅30.5m
後円部高8.1m 前方部高3.9m
 全面に葺石が施され、墳頂部と中段に合わせて700本の埴輪列があったと推定されています。二基の石室が発掘されたということですが、誰の石室かなど不明ということです。
築造年代は五世紀半ばあたりとされ、千曲市の森将軍塚古墳(四世紀代)より新しいと推定されています。


天上山(694.6m)・坂山古墳
 天上山の山頂に石が積まれた構造がありました。これが古墳石室ということでしょうか


林の間から見る松代
 皆神山が見えました。今回のルートで広く見渡せる展望の良い所はありませんでした。


二本松峠
 四つ辻になっています。右は千曲市倉科1km、左は松代清野1.5km、直進は鞍骨城850m、鏡台山6kmです。時間の関係でここで引き返しました。


親水公園の桜
 古大穴神社近くに沢山川の親水公園とグランドがあります。そこに咲いていた桜。もうちょっとで満開でした(4月13日時点)。

善光寺地震の爪痕@長野市

2009年04月13日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

今回は、善光寺地震の爪痕のレポートです。なお、掲載した写真は全て2009年2月10日のものです。
善光寺地震についてウィキペディア


地震横死冢
 石碑に書かれた説明によると・・・
 弘化四丁未年(1847年)、御開帳中に起きた善光寺地震(推定マグニチュード7.4)の犠牲者、数千人の霊がまつられています。地震発生後、上田の土屋仁輔は大八車に物資を積んで駆けつけ被災者の救援と犠牲者の埋葬に尽力したそうです。この塚は土屋仁輔の発願によるものです。1997年、御開帳の年に善光寺大地震百五十周忌供養を行い改葬したそうです。

 1847年5月8日(旧暦 弘化4年3月24日)夜八時(or 9時)を過ぎた頃、大地震が発生しました。この日は御開帳の期間に当たり、善光寺周辺は大変混雑していました。町では家屋が倒壊焼失し多大な犠牲者が出ました。善光寺では如来堂、鐘楼、山門は倒壊しただけで焼失を免れました。


割れた石灯籠
 石灯籠の笠の部分が壊れています。これは善光寺地震の爪痕です。境内にはたくさんの石灯籠がありますが、笠がかけたり破損した灯籠が数多く見られます。
 この近くの欠けた灯籠には「寶?四甲戌年正月吉・ 嘉永七甲寅年十一月再興」と書かれていました。1754年に建立し、1854年末(あるいは1855年始)に再建したということです。1847年の地震後は混乱していたのでしょう。その約8年後になってようやくこの灯籠も再建されたと推測されます。


本堂の柱の傷
 この柱は本堂正面の西端にあります。柱の傷は、地震の衝撃で釣り鐘が落ちた時にできました。
 現在ある釣り鐘には
「昭和二十四己丑歳天台會」
とありますので、この釣り鐘が柱に傷を作った訳ではありません。
 銘文を全文記載します。


 銘曰
龍鐘再就 聲振大千
顕界幽界 聞者澄神
慈悲護念 群霊脱淪
離苦得楽 皆令安穏
鯨音普傳 四生覺眠
萬邦和懌 悠久無邊

昭和二十四己丑歳天台會
善光寺住持大僧正恭順



私が勝手に翻訳させてもらうと・・・
「ここに鐘が再び置かれ、その名声は世の中全体を元気づけた。
この世もあの世も、それを聞いた者は静かに澄み切った心になった。
その慈悲は人をお守りくださり、集まった魂はさざ波を抜け出て、
苦を離れ楽を得、皆を安らかで穏やかにさせた。
梵鐘を鳴らした音は遠くまで伝わり、命あるものは全て眠りから覚め、
全ての国が和して喜ぶこと、長く久しく果てしない。」
という感じでしょうか。


本堂東側の柱
 柱の上部に亀裂があり根元がねじれて台石からずれています。ねじれだけではなく、本堂正面の柱は台石から手前にずれて少しだけ飛び出ています。材木の狂いという可能性は残っていますが、これも地震の爪痕という見方もあります。



善光寺地震でできた断層

ひまわり公園  地図
 善光寺から南西に約1kmのひまわり公園には2.5mほどの段差があり、東側が低くなっています。これは善光寺地震の断層の跡です。合同庁舎前信号の西にある笠間稲荷付近にも断層の跡が見られます。