長野周辺の山歩きと山野草

長野県北部を中心に山歩きと野草の開花状況を報告しています。植物の不思議な生態についてもレポートしています。

善光寺の歌碑@長野市

2009年04月23日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

今回は、善光寺歌碑の特集

東庭園に小林一茶と種田山頭火の句碑があります。一茶の句は、身近な鳥や動物がうたわれていて大変わかりやすいものです。一方、山頭火の句は、代表作「分け入つても分け入つても青い山」もそうですが、五七五ではなく、俳句独特のリズム感が崩されて親しみづらい部分があります。


小林一茶の句碑(4月11日撮影)

 解説板引用ーーー
春風や牛に引かれて善光寺
開帳に逢ふや雀も親子連(づれ)

小林一茶(1763~1827年)は、長野県信濃町柏原の生まれで、庶民に親しまれる数多くの俳句を作りました。この二句は一茶が善光寺奉納句として書いたものです。ーーー



種田山頭火句碑(4月11日撮影)

 解説板引用ーーー
八重桜うつくしく南無観世音菩薩像
すぐそこでしたしや信濃路のかっこう

種田山頭火(1882~1940年)は山口県の生まれで、「歩行禅」という言葉を好み、俳人として全国を漂泊しました。昭和十一年(1936年)には善光寺に参詣しました。ーーー

 句碑の側面の解説引用ーーー
漂泊の俳僧種田山頭火今を距(へだた)る六十年の昔善光寺に参詣
随喜讃佛の旅日記を遺した 茲(ここ)に自筆日記の一節と吟詠二句を拡大刻字して碑をつくり奉献する
平成八年五月二十八日  三河知多山頭火の会ーーー

括弧内は筆者付記



仁王門の西に良寛の詩碑と稲畑汀子の句碑があります。良寛は曹洞宗の僧侶で和歌や漢詩に巧みでした。稲畑汀子(1931年1月8日~)は高浜虚子の孫だそうです。


良寛詩碑
碑には
「再遊善光寺
曾従先師遊此地回首悠々二十年門前流水屋後嶺風光猶似昔日妍
良寛」
と書かれています。

碑の裏面の解説引用ーーー
良寛詩碑
この漢詩は良寛さまが四十二歳のころ帰郷の途路二回目の善光寺参詣の折におつくりになられたものです

   再び善光寺に遊ぶ
曾て先師に従って此の地に遊ぶ
首を回らせば悠々二十年
門前の流水屋後の嶺
風光猶似たり昔日の妍

平成三年三月建之
長野良寛会
大本山善光寺大本願ーーー

詩碑の裏面一部引用ーーー
良寛詩碑について
ものの真髄を体し古道を生きた永遠な真生命の良寛さま 長野良寛会の先達故小池與一先制の「長野の地に良寛さまの詩碑建立」の願いを私たちのものとし広く県下の心ある方々のお布施によりここに良寛さまの徳を偲び現代に生きる童心の拠処となることを願い善光寺大本願法主一條智光上人台下のご好意によって境内地に詩碑を建てるものであります。

かつて先師に随行してここに来たことがあるが振りかえってみれば、二十年余りも昔のことだ
門前の川の流れも 建物のうしろの峰も
そのたたずまいは まだ昔のままのような美しさだーーー


稲畑汀子句碑

解説ーーー
よべ星と語りし秋を惜しみ発つ
昭和五十五年秋於善光寺
稲畑汀子詠ーーー
「よべ」とは夕べのことです。


私も負けずに短歌を・・・

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   l    春  l 
   l    霞  l
   l  回 後  l
   l  向 峰  l
   l  柱 よ  l
   l  に り  l
   l  寄 そ  l
   l  り び  l
   l小 添 え  l
   l川 い 立  l
   lあ 祈 つ  l
   lき る    l
   lら      l
   l       l
 ーーーーーーーーーーーーー
 l            l
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