長野周辺の山歩きと山野草

長野県北部を中心に山歩きと野草の開花状況を報告しています。植物の不思議な生態についてもレポートしています。

善光寺地震の爪痕@長野市

2009年04月13日 | 善光寺
御開帳中の善光寺 御開帳リンク 善光寺リンク

今回は、善光寺地震の爪痕のレポートです。なお、掲載した写真は全て2009年2月10日のものです。
善光寺地震についてウィキペディア


地震横死冢
 石碑に書かれた説明によると・・・
 弘化四丁未年(1847年)、御開帳中に起きた善光寺地震(推定マグニチュード7.4)の犠牲者、数千人の霊がまつられています。地震発生後、上田の土屋仁輔は大八車に物資を積んで駆けつけ被災者の救援と犠牲者の埋葬に尽力したそうです。この塚は土屋仁輔の発願によるものです。1997年、御開帳の年に善光寺大地震百五十周忌供養を行い改葬したそうです。

 1847年5月8日(旧暦 弘化4年3月24日)夜八時(or 9時)を過ぎた頃、大地震が発生しました。この日は御開帳の期間に当たり、善光寺周辺は大変混雑していました。町では家屋が倒壊焼失し多大な犠牲者が出ました。善光寺では如来堂、鐘楼、山門は倒壊しただけで焼失を免れました。


割れた石灯籠
 石灯籠の笠の部分が壊れています。これは善光寺地震の爪痕です。境内にはたくさんの石灯籠がありますが、笠がかけたり破損した灯籠が数多く見られます。
 この近くの欠けた灯籠には「寶?四甲戌年正月吉・ 嘉永七甲寅年十一月再興」と書かれていました。1754年に建立し、1854年末(あるいは1855年始)に再建したということです。1847年の地震後は混乱していたのでしょう。その約8年後になってようやくこの灯籠も再建されたと推測されます。


本堂の柱の傷
 この柱は本堂正面の西端にあります。柱の傷は、地震の衝撃で釣り鐘が落ちた時にできました。
 現在ある釣り鐘には
「昭和二十四己丑歳天台會」
とありますので、この釣り鐘が柱に傷を作った訳ではありません。
 銘文を全文記載します。


 銘曰
龍鐘再就 聲振大千
顕界幽界 聞者澄神
慈悲護念 群霊脱淪
離苦得楽 皆令安穏
鯨音普傳 四生覺眠
萬邦和懌 悠久無邊

昭和二十四己丑歳天台會
善光寺住持大僧正恭順



私が勝手に翻訳させてもらうと・・・
「ここに鐘が再び置かれ、その名声は世の中全体を元気づけた。
この世もあの世も、それを聞いた者は静かに澄み切った心になった。
その慈悲は人をお守りくださり、集まった魂はさざ波を抜け出て、
苦を離れ楽を得、皆を安らかで穏やかにさせた。
梵鐘を鳴らした音は遠くまで伝わり、命あるものは全て眠りから覚め、
全ての国が和して喜ぶこと、長く久しく果てしない。」
という感じでしょうか。


本堂東側の柱
 柱の上部に亀裂があり根元がねじれて台石からずれています。ねじれだけではなく、本堂正面の柱は台石から手前にずれて少しだけ飛び出ています。材木の狂いという可能性は残っていますが、これも地震の爪痕という見方もあります。



善光寺地震でできた断層

ひまわり公園  地図
 善光寺から南西に約1kmのひまわり公園には2.5mほどの段差があり、東側が低くなっています。これは善光寺地震の断層の跡です。合同庁舎前信号の西にある笠間稲荷付近にも断層の跡が見られます。