長野周辺の山歩きと山野草

長野県北部を中心に山歩きと野草の開花状況を報告しています。植物の不思議な生態についてもレポートしています。

森の光物語@国営アルプスあづみの公園・堀金穂高地区

2010年12月20日 | スナップ
2010年12月19日に国営アルプスあづみの公園・堀金穂高地区に行ってきました。
16時30分~20時00分 入園料280円(大人) (月曜日休園)


イルミネーションセンターコート
 入園してすぐの広場です。ハートのイルミがあったりして(写真には写っていません)記念撮影によいです。


流れる光のトンネル


展望テラスから
 クリスマスソングが流れると池周辺のイルミネーションの色が変わります。でも人が多くてその最中は撮れませんでした。音楽が終わると、この写真のように白と青がベースのイルミになります。


池のそばから




光の中の二人
 シルエットのカップルを狙って撮りました。ちょっと待ってみたのですがなかなか良いシーンにめぐりえませんでした。寒くて寒くて・・・我慢の限界でこの2枚で諦めました。


音楽が流れたとき
 園内にクリスマスソングが定期的に流れ、それに合わせてイルミネーションがカラフルになります。
マライア・キャリー All I Want for Christmas Is You
Wham! Last Christmas
山下達郎 クリスマス・イブ
 など


たくさんの人
 日曜日のため大勢の人がイルミネーションを見に来ていました。





 所さんの目がテン!の情報。イルミネーションを見たとき、子供は心拍数が大きく上昇するそうです。子供はファンタジーに心から感動するのです。おとなも心拍数が上昇するもののほんの少しだけ。飾り付けが大変だとか、電気代がどうのと純粋に感動できなくなっているのですね。
 おとなになってだいぶ経つ私も全然感動出来なくなっていました。寒いなぁとか手がかじかんでレンズが交換できんとか「♪兄は夜更け過ぎに~ユキエに変わるだろう」の替え歌思い出したりして全然ファンタジーにひたれませんでした。

久米路峡・山清路 - 金戸山(766.5m)

2010年12月07日 | 山歩き
2010年11月24日に久米路峡・山清路へ
2010年12月5日に山清路 - 金戸山(かなとこやま 766.5m)に登ってきました。

2010年11月24日 久米路峡

佐久間象山のお手植えの楓
 もう落葉していました。


山頂の社
 お手植えの楓の先は立ち入り禁止でしたが頂上にはこんな社(やしろ)がありました。


山頂直下の祠



2010年11月24日山清路

山清路の石仏
二十八番 橋立寺 三面六臂馬頭観音
栗本弥右衛門(寄進者)
きりのうみ たちかさなるは 雲のなみ たぐいあらじと わたる橋立

 展望台へ登る途中の石仏です。山清路には石仏がたくさんあります。解説板には次のように書かれていました。
山清路から金戸山にかけて百体のうち82体が発見される。
寛政十年(1798年)から文化七年(1810年)頃の建立
山清路は秩父三十四番、南会から金戸山までは西国三十三番金戸山から鷺の平までは坂東三十三番が点在する。
種類は聖観音が39、千手観音26、如意輪観音が7、三面六臂馬頭観音2、不明8である。
番号の見えるものは49、寄進者ある物16(内石工名1)、御詠歌は全部にあるが完全に読めるのは少ない。
会の牛越某な3人が眼病になり観音様に祈願したら治ったので寄付を集めて建てたという伝説がある。
平成2年10月 生坂村教育委員会



展望台から犀川
 左側は国道19号です。犀川は平ダムにより水を湛えています。


犀川の紅葉


二十六番 岩井堂 下影森 聖観音
 解説板には「たづねいり むすぶ志ミずの いわやどう こころのあかを すゝがぬはなし」と書かれていました。多くの場合「いわやどう」ではなく「いわいどう」です。


第二十二番 童子堂 聖観音
 ごくらくを ここにみつけて わらう堂 のちのよまでも たのもしきかな
林 貞四郎(寄進者)
童子堂は「どうじどう」と読みますが、昔は「わらうどう」とか「わらしどう」と呼ばれていたのかもしれません。石仏は欠けていました。


十八番 神門寺 如意輪観音
 ただたのめ ろくそくともに だいひをば ごうとにたちて たすけたまへる
田屋村(八坂) 石工 常右衛門
 これが石工が寄進した石仏のようです。かなり良い状態で残っていました。


こうもり岩と二体の石仏
十九番 竜石寺 十一面観音
村 吉五郎(寄進者)
あめつちを うごかすほどの りうせきじ まいるひとには りしょうあるべし

二十番 岩ノ上堂 聖観音
宇留賀 弥祖治(寄進者)
こけむしろ しきてもとまれ いわのうイキ たまのうてなも くちはつるみを

ここから先の登山道は急斜面になっていて危険です。昔は金戸山の登山道と繋がっていたようですが崩落したのですね。


山清路2号洞門
 崖が崩落し道路が傷んでいるため現在使用されていません。


島台の松
 鷺の平の対岸です。犀川に麻績川が流れこむところにある島に生えた松


山清路
 水神岩
 解説板に書かれていた一部の引用
 
山清路という地名は、昔この附近に山(三)清寺という寺があったことからつけられたといい、今も寺堂跡がある。
 山清路の名勝は明治以降、犀川下りの人々により有名となり、昭和三年新愛知新聞社主催により、信濃十名勝の第二番に選ばれた。昭和六十二年には、朝日新聞社、長野県、テレビ信州、森林文化協会の公募により長野の自然100線の一つに認定された。


 現在はそれほどの名勝という雰囲気は感じられないのですが、当時川下りの舟から見たら、この高くそびえて切り立った水神岩とその上流にある猿飛岩はさぞかし立派に見えたことでしょう。
 


2010年12月5日

会神社
 ここから登り始めて鷺ノ平に下り国道19号を歩いて戻るルートを採用しました。鳥居横に巡礼記録帳がありました。ここの解説板には次のような記述がありました。文中のふりがなは私がつけました。
山清路 金戸山(かなとこやま)の百体観音
南会から上の久保街道(いのくぼかいどう)、新切街道を金戸山へ登ると西国三十三番が道端やその周辺に点在しています。金戸山頂から鷺ノ平へ下りる道には坂東三十三番があります。頂上周辺には西国、坂東合わせ約50体の観音様が見られます。山清路の国道からの遊歩道沿いに秩父三十四番のうち10体余りが見ることができます。種類は聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音、不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)、准胝観音(じゅんていかんのん)などがあります。百番供養塔のうち会側が寛政10年(1798)、鷺ノ平側が文化年間(1804~18)であることから、その時代に近在の寄進者により建てられたものと考えられます。石工は八坂村(現在の大町市八坂)田屋の常右衛門以外知ることができません。



枯葉に覆われた参道に佇む石仏
 山頂の手前350m位のところ、トトの口と呼ばれるあたりの石仏です。秩父のとは違ってこちらの石仏には解説板がつけられていないのでよく分からないのですが八番と彫られているのはわかりました。西国の八番と言えば長谷寺です。


御嶽神社跡
 石段だけが残っていました。


四阿からの展望
 この四阿には「かなとこやまひなんじょ」と書かれていました。避雷針付きの四阿です。


岩かげに安置された二体の石仏


展望
 眼下には犀川の蛇行が。


石仏と北アルプス
 おもいっきり逆光なのでカメラ付属のストロボ使用です。正面からのストロボでは石仏の凹凸がわからないですね。


二体の石仏


石仏
 今回出会った中で私が最も好きなお顔の石仏 坂東十三番 浅草寺


大岩の上の石仏
 大岩の上には三体の石仏がありました。そのうちの二体。石が割れ修復された跡がありました。でも、その修復が良くなかったのか、ろくろ首のようになってます。


大岩の上の石仏
 もう一体です。


石仏の表情
 クローズアップ。先日、NHKの番組「あさイチ」で無意識顔についてレポートしていました。日本女子大学の研究で、無意識にとってしまう表情には人に話しかけやすい印象を与えるポジティブタイプと、とっつきにくい印象を与えるネガティブタイプがあるそうです。この観音様は悩みを聞いてくれそうな表情ですよね。ほほがふっくらで口角があがっていて典型的なポジティブタイプのお顔です。


枯葉が降り積もる参道を登って行ったときの足音↓

京ヶ倉(990m)~大城(生坂村)

2010年12月02日 | 山歩き
2010年11月30日 万平登山口から京ヶ倉(990m)~大城を縦走し眠峠に下りて国道19号から万平登山口に戻りました。

おおこば見晴台から
 山間を蛇行する犀川と北アルプスの展望が素晴らしいです。生坂ダムが見えます。ダム湖は水鳥が多く見られ水鳥公園が設けられています。
解説板には
おおこば見晴らし台
眼下に生坂ダム・水鳥公園をはじめ、裏日岐の日岐氏館跡・正福寺跡・日岐城・白日方面が、南方には表日岐が見える。国道沿いには小舟の集落が見える。

と書かれていました。
 このあたりから稜線までヒカゲツツジが特に多くあるそうです。花の時期は4月下旬から5月上旬頃らしいですね。花が咲いているときにまた訪れたいと思いました。ヒカゲツツジは谷沿いの岩壁や岩尾根などに生育するそうです。まさに山の花。日当たりがよくない所にもあるのでこの名前がついたといいます。


登山道から京ヶ倉(990m)
 険しく登るのも大変そうに見えますがそれほど労せず登れました。双眼鏡で山頂付近を見たら大きな蚊柱が立って黒い煙のように見えました。


剣刷山(けんすりやま)の山頂から
 尾根上の分岐点で京ヶ倉と逆の南方に行きます。山頂には標識はありませんでした。犀川はほとんど見えないのですが眺望は良いです。


北アルプスと犀川の蛇行
 犀川の蛇行が印象的で不思議な景色です。
 

とどの背岩
 えぇ!?こんなつるつるした急斜面を登らなけらばならない?ムリだー!と思ったら岩の左手に巻き道がありました。ネーミングがうまいですね。ほんとトドの背中のよう。小さな石が混じった砂岩の一枚岩なのですね。


京ヶ倉の山頂
 生坂山脈の最高峰で標高990m。戦国時代は番兵の見張り所でのろし台だったそうです。「ここからは上生坂万平の居館をはじめ、生坂村、明科町、安曇、筑北方面の山城がよく見える。」と解説板に書かれていました。立派な山頂標がありました。「大城・京ヶ倉を広く世に出す会」というのがこの石碑を設置したようです。そこには「吾里や飾り兜を姿にて 犀水」という生坂村出身の法学者・加藤正治氏の俳句が刻まれていました。「吾が里は高いところから見るとまるで端午の節句に用いる飾り兜のようだなぁ(感嘆)。」といった句。おそらく2枚上の写真の景色を見て詠んだと思われます。


京ヶ倉からの展望
 犀川と湯の沢温泉
 山頂近くの赤松にホシガラスが来ていました。器用に足で松ぼっくりを押さえ、力強くつついて種を食べていました。


大城(標高約980m)
 村指定文化財に指定されています。本郭の広さが15mX13mで北側の下に郭(くるわ)が三箇所あります。そのうち「大城二のくるわ」には解説板が設置されていました。丸山氏の本城、仁科氏第一の要害でしたが、天正十年(1582)秋に小笠原氏に攻められて落城したそうです。


物見岩
 戦国時代に見張り台として使われていた岩です。


物見岩からの展望
 生坂草尾方面がよく見えます。写真の中程、犀川の河畔に白く四角い建物が見えます。この施設は広津発電所です。


筑北方面の展望


はぎの尾峠
 山の中では珍しくたくさん看板がありました。まるで別荘地の入り口のようです。解説板には
昭和40年まで大乗や入山方面へ行く重要な生活道路の峠道であった。明治以降は入山分校の生徒が昭和40年まで上生坂の本校へ、また、生坂中学校への通学路でもあった。尾根を北へ歩くと眠峠を通って込地方面へ下る。

とありました。昔はこの峠を超えて通学していたのですね。毎日大変だったことでしょう。



 枯葉の中に秋の斜光。この雰囲気がとても好きです。


グレースの森記念林
 森林整備に対する寄付を活用し設置されました。森林の機能を十分に発揮し次の世代に健全な森林を引き継ぐコンセプトの記念林です。


イワカガミ(イワウメ科イワカガミ属)
群生地がありました。寒くなると葉の色が暗赤色になります。凍らないように葉の中の成分を変えた結果赤くなるものと考えられます。暖かくなるとまた緑色の葉に戻ります。



 林道「雲根線」の写真です。この山域はこのような細かな礫が含まれる砂岩が多く見られました。



 顔の黒い羊。体は厚いセーターを着ているようで暖かそう。でも顔と足は素肌?このアンバランスはどういう事でしょう。冷え性にならないのでしょうか。


お地蔵様
大城登山口にあるお地蔵様は、木の祠に安置されています。正面の戸は開けられますが普段は閉められているようです。疫病や災難が続いたとき、土の中に潜ってお経を唱え続け成仏した往生したとの言い伝えがあるとのことです。