人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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おじさん達には到底ついていけないヤング・ファッションの「聖地」である渋谷の109における、テナント同志の激しい生存競争についての紹介記事なのだが、その中で紹介されている、かつては109に通う顧客だったのだが今や販売の側に移ってやり手マネージャーとなった25歳の女性店長のあり方の方に興味を引かれる。

ポップカルチャーの担い手がビジネスの担い手になる条件は何だろうか?そしてそのビジネスを大きく広げていき、産業としていく条件は何だろうか?日本におけるコンテンツ産業の規模は、GDPの2%程度であると言われるが(米国では5%程度という)、この規模が広がり、多くの若い世代がその担い手になるための条件は何だろうか?

いろいろと取り上げられるニートやフリーターの問題であるが、私自身も、身の回りの若者達には気が気でない思いをする。親達のように企業組織に属して頑張ろう、という気はさらさらなく、といって、日本が今後いかにして生きていくことができるのか、そして自分はどうやって今後数十年間食っていくのか、という危機感もなく、スキルを身につけるでもなく、「自分探し」をしながら親達の遺産を食い潰しているだけである。(まあ気持ちはわからないではないが。)

しかしそのような中でも、若者達の中から生まれてきている新しい文化があり、それは世界に進出もしており、そして今や日本の競争力の源泉であると見なされている。それが、マンガ、アニメ、ゲーム、若者ファッションなどのポップカルチャーである。しかし残念ながら、それらの活動がビジネスにつながる可能性は極めて低く、若者がそれらに熱中しても、オタクになったり、コギャルになったりヤマンバになったりするだけで、生活力が身につく可能性は極めて低い。

しかし、本特集で紹介されている女性店長石井さんは違う。「同じ世代の女の子が大学でチャラチャラしている間に彼女はプロになった」のだという。その商売の鍵は、1時間単位で客層の流れを読んで素早く売り場を変えていく対応力だという。「決め手は読みの正確さとスピード。理屈はいらない。瞬間に流れをつかむ感性が武器だ。客と感性が響きあえば売り上げは爆発的に伸びる。売り手と客が同じ宇宙に漂う至福の時」・・・なのだという。イベントの盛り上げに近い。売手と顧客が同じ価値、同じ場を共有し、一体となった空間を作ること・・・

このような、「売手と顧客が同じ価値、同じ場を共有し、一体となった空間を作ること」は、オタク文化の中心に位置する、マンガの作り手と買い手が一体化する「コミケ」や、ゲームの作り手と遊び手が一体化する「オンラインゲーム」にも共通するものかもしれない。そこでは確かに、趣味が価値創造へと転化している。文化がビジネスに転化している。

新しい世代が新しい世代の価値創造を行い、新しい産業(おそらく、そのかなりの割合はコンテンツ産業)の担い手となっていくためには、このような場を通して、消費者が供給者へと転化していくことが不可欠なのだろう。

しかし、(時間・空間の中で)その場を共有する者の間でしか価値が生まれず、消費されないのでは、市場が広がらない。産業にはならない。世界に出てわたり合うことはできない。生涯にわたって自分の能力を深め、活用し、職業的キャリアを形成していくことはできない。それでは家計や国家を成り立たせる基礎にはならない。


何が必要だろうか?それは、生産と消費の活動の中から本質を抜き出すことであり、技術として純化することであり、普遍化することだろう。たとえば、渋谷ファッションをファッションの新しい文法に高めることにより、ファッションの概念とプロセスを変え、世界のファッション産業を変えていく。あるいは、ゲームへの新しいセンスを、ゲームと人間の新しいインターフェースに高めることで、ゲームの世界を変えるのみならず、コンピュータと人間の関係を変えていく(任天堂のWiiのように)。あるいは、アニメの新しいセンスを技法化することで、映像及びその派生映像の制作方法を劇的に変え、映像コンテンツ産業を変えていく。

そこで必要になるのは、アニメだったらアニメの価値の源泉(リソース)を徹底的に見極めていくこと・・・アニメが大きな価値を生み出すとしたらそれは何によってなのか?アニメの価値はどのような構成要素から成り立っているのか?そして自分はどの要素に関して才能があり、貢献することができるのか?ストーリーづくり?独自の哲学?盛り込まれる歴史的・民俗的イメージの収集?最新ITを駆使した制作技術?

また、アニメが顧客に受け入れられ、広がっていくプロセスについても徹底して見極めていくこと・・・誰が何回この作品のどこを見る?誰が受益者としてお金の出し手になる?誰がプロセスを統括することになる?誰が創作行為に参加し著作権を持つようになる?

このように、文化の中身を分析的に突き詰めることによって、繰り返し性、再現性がきくようになり、価値のモジュールとなり、その価値はその場限りのものではなく、時空を超えて広がっていく。また、自分が少しでも秀でている能力、独自の貢献をできる領域が見つかってくるだろう。そしてビジネスになり、産業になり、生涯を通じての職業的キャリアになる。

このために、文化の担い手全員がコンセプト化、普遍化の作業を行う必要はない。誰かが先行してフレームワークを作り、後の人はそれに続けばいい。フレームワークを作るとは、あるコンテンツが生まれて価値を生み出す、要素とプロセスを、一つの大きな地図にして見えるようにすること。そして、その中でどのように役割分担がなされ、どのようなスキルを発揮するのか、見えるようにすること。

いずれにしても、共通のフレームワークができるまで、まずは各担い手が率先して、コンセプトの突き詰めと普遍化を行っていかなければならないだろう。それができるかどうかによって、文化が産業になるかどうか、趣味が職業的キャリアになるかどうか、が決まってくる。実は、このようなコンセプト化と普遍化に関して、ソフトウェア産業では30年来様々な試みが行われてきた。そして巨大なビジネスになったが、それでも課題は山積している。ましてや、渋谷ファッション産業において、あるいはアニメコンテンツ産業において、このような普遍化はこれからの課題であると認識している。

なお、米国のドラマ制作などでは、はるかに標準化、分業化、システム化が進み、その結果として優れたコンテンツが生まれ、ビジネス化されていることは明らかであると思う。ソフトウェア産業が米国に先行され置いていかれたように、コンテンツ産業も置いていかれるようなことがあってはならないと思う。そのためにも、コンテンツ産業の中核を占める放送産業における水平分業化(コンテンツ制作、配信プラットフォーム、伝送インフラの水平分業化)が進むことは必須だろう。



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