ぴよこ日和

いらっしゃいませ。
きたむーです。
お芝居、ライブ、お笑い大好きです。

韓国で行っちゃいました その17

2007年03月30日 | 行った
「共同警備区域・板門店」

映画「JSA」で有名な板門店。
韓国と北朝鮮の正に国境、境い目、38度線です。
ここは個人で簡単に行く事が出来ない場所です。
しかも韓国人は行けません。
パスポートを何度もチェックされ、しかも「ここで何があっても一切文句は言いません」と言う誓約書にサインまで書かされて、いよいよ板門店の中に入ります。

ここは南北休戦会談場の中です。
韓国兵が2名、微動だにせず立っていました。

このテーブルと、立っている韓国兵の間は決して通ってはいけないと、予め注意を受けていましたが、
うっかりな観光客が通ろうとして韓国兵に威嚇されていました。
うっかりさんは泣き顔でしたが、緊張の足りない日本人だなーと思って同情も出来ませんでした。

          真ん中にあるマイクから向こう側が北朝鮮です。
          

窓から外を見ると境界線がみえました。
このコンクリートのラインが韓国と北朝鮮をわけているのです。
軍事境界線ですね。
この写真で言うと、右側が韓国、左側が北朝鮮になります。


          このテーブルは北朝鮮側にあった物。
          
          これには決して触ってはいけませんと言われました。
          もちろん物を置くのもアウト。
          もし、韓国側の人間が触ってこのテーブルに傷が付いたら、
          北朝鮮側が喧嘩を吹っかけて来るかも知れないからです。
          コワイコワイ。

韓国と北朝鮮の境い目に立つうちのダンナさん。

立ちましたよ、北朝鮮の地へ。

10分程で南北休戦会談場を退出。
本当に分刻みで動かなければなりません。

次は自由の家と呼ばれる展望台に登っての見学でしたが、
ここでの見学はかなりの緊張を強いられました。
ここにはバッグやポーチなどの持ち込みが禁止されています。
カメラ、ビデオカメラ、双眼鏡、望遠鏡の持ち込み、使用は出来ますが、
ケースは外して剥き身での持ち込みです。
ぴよこなど持ち込めるはずもありません。

こちらは北朝鮮側の板門閣と呼ばれる所。
入り口に北朝鮮の兵士が立って監視をしています。見えますかねぇ。

兵士だけでなく、この建物には沢山のカメラが設置されていて、こちらを監視しているそうです。
ここに向かって指を指したり、手を振ったりしてはいけないと注意がありました。
指を指すと「韓国に来た外国人が北朝鮮の悪口を言っているという証拠になるから」と言われ、
手を振ると「韓国に来た外国人達は北朝鮮に憧れて手を振っているのだと言う宣伝になるから」と言われました。
なんだかもう、子供の喧嘩の言いがかりのようですが、
そういう細かい部分まで注意を払っていないと、関係が悪くなるかも知れないという事だそうです。
それから走ってはいけないとも言われました。
走る事は両方の兵士を緊張させる事なのです。

          見えているのは北朝鮮の村です。
          ただ、人は暮らしていないそうで、
          北朝鮮が対外的に見せるために作った宣伝村と言う所です。
          立っている高い柱の先には、北朝鮮の国旗がはためいています。
          
          横幅が32mもあるでっかい旗だそうですが、
          残念ながらこのカメラごときではきちんと写すこが出来ませんでした。
          ただ、オペラグラスを用意して行ったので、
          肉眼ではハッキリ見る事が出来ました。

あちこちに韓国兵が立っています。
黒いサングラスをしているのは、北朝鮮側に視線を読まれないため。


          バスに乗り込んで移動です。
          ここからはバスからの撮影になります。
          
          パンフレットには韓国兵と北朝鮮兵が
          並んで警備をしている様子の写真がありますが、
          「ポプラ切断事件」と言う事件の後は、
          北朝鮮側に出入りする事が禁じられているそうです。
          北朝鮮兵も板門閣の前に立っている人以外、
          見る事は出来ませんでした。

そのポプラ切断事件のポプラがあった跡。

下の丸い円が、同時のポプラの幹の大きさだったとか。

          この橋は帰らざる橋です。
          
          1953年の停戦後、捕虜達の交換が行なわれた際、
          捕虜達は北か南かを選び、選んだが最後
          2度と帰れなかったために付いた名前です。
         
これが通行パス。

常に服の一番目立つ場所に付けておかなければなりませんでした。
これを返して共同警備区域を後にしました。

本当に1日たっぷり、緊張のツアーでした。
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韓国で行っちゃいました その16

2007年03月30日 | 行った
「都羅山駅」

ツアーはガンガン進みます。
簡単に訪れる事の出来る場所ではないので、時間は非常に細かく制限されています。
ここに居られたのも15分程度。


          中に入るとソウル駅ばりのきれいな駅でした。
          もちろん、今は誰も使っていない駅なのですが・・・・
          

ここから平壌へ行く電車が、いつか発車するのでしょうか。


          今はもちろん、誰もホームに入る事は出来ません。
          厳重に警備されています。
          

京義線 鉄道連結(ムンサン-ケソン)路線図と書いてあります。


韓国と北朝鮮が統一して、この鉄道が走るとするでしょ?
すると中国からロシア、そしてヨーロッパまで列車で行けるようになるんですね。
するとですよ。
飛行機に乗らなくても、私はヨーロッパまで行けるんですね。
飛行機嫌いの私にとって、これがどんなに素晴らしい事かお分かりでしょうか?
統一は私の願いでもあります。
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韓国で行っちゃいました その15

2007年03月30日 | 行った
「都羅展望台」

トラ展望台と読みます。
ここでは北朝鮮の風景と非武装地帯を見る事が出来ます。


望遠鏡に群がる人々。
ここに来る時は双眼鏡などを持って来た方が良いと聞いていたので、私はオペラグラス持参。

ここから見える景色は北朝鮮です。見えている山々は北朝鮮の山。
床に黄色い線が引いてあって、そこから先では撮影禁止でした。
黄色い線の内側、駐車場は撮影OKでした。
この写真は黄色い線ギリギリで撮ったものです。

「分断の終わり 統一の始まり」と書かれています。


やはり願いは統一なのです。
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韓国で行っちゃいました その14

2007年03月30日 | 行った
「第3トンネル」

ツアーで次に訪れたのは第3トンネルです。
地下73mの所に位置し、軍事境界線を越えて400m程韓国側に掘り進まれていたそうです。
朝鮮戦争後、北朝鮮側が韓国を侵略しようと掘り進めたトンネルですが、
もちろん北朝鮮はその事を認めてはいません。
韓国側が、石炭を掘るために掘ったトンネルだと言っているそうですが、
地質は花崗岩で石炭などが取れるはずのない地質だというオチ付。
全く、子供の言い訳ですな。

現在までに4つのトンネルが発見されているそうですが、
実際には20以上はあるんじゃないかと言われているそうです。
この第3トンネルは1978年に発見されたそうです。
もう極々最近の事ですよね。
なんかもうホントに北朝鮮って色んな意味でコワイです。

ここでは、この入り口と駐車場だけ写真を撮っていいと言う事で、入り口をパチリ。


トンネルの中は撮影不可。残念。
まず、トロッコみたいな乗り物に乗ってこのトンネルの中まで入って行きます。
地下73mの場所に着いたら、トンネルの中を軍事境界線の手前まで歩いて行きます。
大体2m×2mのトンネルなんだそうですが、きちんと整備されている訳でもなく、
むき出しの花崗岩がゴツゴツしている、とても狭い場所でした。
頭を打たないように全員ヘルメット着用。
私はまだ大丈夫でしたが、うちのダンナさんは背が高いのでトンネルの中ではほぼ頭を横向きにしていました。
首が痛そうでした。気の毒。
背の高い欧米人の方達も辛そうでしたね。

このトンネルは、もちろん今は北朝鮮に通じていません。
1m程のコンクリートの壁が3つ作られていて、
北朝鮮兵はもちろん、毒ガスなどが通って来られないように万全の体制を敷いているとの事でした。

こちらは駐車場に置かれていた統一のモニュメント。


望んでいるのはやはり統一なのですね。
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韓国で行っちゃいました その13

2007年03月30日 | 行った
「自由の橋」

北朝鮮から流れてくるイムジン川は、韓国に入って韓江に流れ込みます。
映画「パッチギ」で流れたザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」に心を打たれ、
いつか見てみたいと思っていた川でした。

そのイムジン川にかかる唯一の橋が自由の橋です。

朝鮮戦争の休戦が締結された後、戦争捕虜がこの橋を通って帰って来たと言われています。

この板張りは、その当時のままのもの。
実際にここを捕虜が歩いて来たと思うと、なにかしら複雑な気持ちになりました。


橋は途中で途切れています。
今はまだ、この橋を通って北朝鮮に行く事は不可能です。
しかし、突き当りには北朝鮮にいる大事な人達に向けたメッセージが数多く残っていました。
統一を願う朝鮮民族の想いが渦巻いているようでした。


橋のたもとにあった望拝壇。
ここに立って韓国の人々は何を思うのでしょうか。


今回はDMZと板門店のツアーに参加したので、単に観光気分で行く場所ではない所に数多く行けました。
いつものように、楽しいばっかりじゃない「行っちゃいました」シリーズになりますが、
しばらくお付き合い下さいませ。
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韓国で行っちゃいました その12

2007年03月30日 | 行った
「南山ゲストハウス」

今回の韓国旅行では、ソウルに長期滞在するというので、
とにもかくにも洗濯の出来るホテルを探そうとインターネットで調べまくりました。
そこでヒットしてきたのが南山ゲストハウスです。


洗濯はもちろん、インターネットも無料、朝食のサービス有、ウォータークーラー有、ピックアップまでしてくれてツインの部屋が40000Wでした。

ずっと同じ部屋に泊まっていましたが、その間は掃除とタオル交換はしてくれるものの、シーツ交換はされていないようでした。
部屋にはシャワーとトイレが付いていますが、浴槽はありません。
洗面台はあります。
テレビ、ドライヤーなどもあります。

洗濯機は2階にありました。
洗濯物を干す場所も、少しでしたがありました。
他に洗濯物を干している人もいるので、譲り合って利用しました。
同じく2階には共同のキッチンもありましたが、狭いので使い勝手はあんまり良くなさそうです。

パソコンは2台ありました。
どっちも日本語が使えます。
パソコンのあるコーナーに、各種パンフレットが置いてあって便利です。
公衆電話もありますので、韓国のテレホンカードを使って電話もかけられます。

8時から18時までの間はフロントには若いお兄ちゃん達がいます。
このお兄ちゃん達が車でピックアップしてくれたり、出掛ける時に送ってくれたりしました。
4~5人のお兄ちゃんが、ローテーションで回しているみたいでした。
常に2人はフロントにいるようにしているみたいで、どの人も英語・日本語が達者。
どのお兄ちゃんも感じのいい人達ばっかりでした。

難点は坂の上にある事。
夜はピックアップはナシなので、自力で歩いて帰るのですが、
どっと疲れた日にはちょいと辛い時がありましたね。
それ以外は非常に気に入ったので、またソウルで長期となると利用すると思います。
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