This is the football !長野市で活動していた吉田サッカークラブです。

活動期間1997年4月~2021年3月です。活動時はチーム公式ブログ、休止後はサッカー関係の随想をつづっています。

残念、そこはハセベだ

2024年08月29日 | サッカー
すっかり前回の投稿から1年が経ってしまった。
その間に蹴球したのは4回
昨年末と4月になって旧友のチーム練習に参加
4月下旬と7月にパルセイロのサッカー教室に参加。7月は幼児から還暦ジジまでがいっしょになってサッカーするイベント。
別紙にその時の感想をまとめているがどれもがんばりすぎないでサッカーを楽しめた。
けがをしないようにとにかく慎重に慎重に。
急発進、急加速しない、方向転換はゆっくりと。
無理して足を出さない。
あと一歩を行かない。
長いボール、強いボールを蹴らない。
足はべた足で移動する。
しかし、できることを一生懸命に。
と、どっかのコーチが聞いたらキレそうなスローガンを自分に言い聞かせてボールを蹴った。
この安牌にしかも効果的にプレーするというのは実はとても難しい。
攻撃の局面では、ボールを受けるまでに自分の時間と空間を作り出し、次のプレーを見つけておく準備が必要になる。しかもダッシュしないで。
守備の局面では位置取りが重要になる。どれだけ相手の選択肢を消して追いつめられるか?
自分が攻守交替の原因になってしまったら、素早く取り返しに行く。
それを続けるのはとてもチャレンジングな事だ。
あとは周りを楽しませることも重要だ。
欲しがっている人にはやさしいパスを出してあげる。
サポートの位置にできるだけ顔を出す。
出しゃばりすぎずラストパス一個手前位までにする。
攻撃に偏っているときはそっと下がり相手3人位をケアする準備をする。
センターバックの位置で”残念、そこはハセベだ”遊びを楽しむ。わかる人にはわかる。
涼しくなってきたら、また何かの練習会に参加したいな。
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サッカーのプレー強度

2023年09月21日 | サッカー
サッカーをプレーすることは思ったよりも体の強さが必要だったということをあらためて感じた。
どれだけ他の事で体を鍛えていても、サッカーをする体力はサッカーをすることでしか強くならないというのは真実だ。
年間通じて週に最低1回蹴っていた事はその強さを維持するのに有効だったんだな。
走る蹴る競るは体にきつい。
今まであれだけ激しくプレーしていても肉離れになんてなったことなかったのに、1時間のサッカー教室で受傷してしまった。
幸いそんなにひどくなくて1か月位で直ったが、その後やっぱり心配でサッカーはできない。
まあ今年は酷暑すぎてそっちの面でも心配だったこともあるけど。
熱中症も毎年罹ってるからね。
サッカーのプレービジョンそのものは、20年近くの間チームメンバーと練習していた時間の成果は確実に体に残っている。
あのレベルの選手たちとボールを追いかけていた時間は大切な自分の資産だ。
スポーツの後の筋肉の疲労や痛みはスポーツの心地よさの一部でもあるけど、やっぱり怪我をして支障がでるのはいろいろともったいない。
怪我をしないでプレーできる出力をつかまないとサッカーに戻れないな。
そんな都合よくボールを蹴る場所ってあるのかな?
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チームを続ける事

2021年10月21日 | サッカー
秋になってツイッターなどを見ているとアマチュア社会人チームの存続の話題が流れてくる。
外の人になってしまったけど、だからこそ言える雑感などを。

1.選手集めについて

まずは所属選手が友達を連れてくるチームにする。
一人の選手の周りには少なくとも10人の選手がいるはず。仲の良い子を一人でも連れてきてもらえばすぐに人数は倍になる。

地元のサッカー協会の集まりや各種別の大会に顔を出して、近隣の大学、高校、中学、のサッカー部の先生や少年サッカーの指導者と仲良くなる。
可能ならば大会の審判なども引き受けて顔を覚えてもらう。
卒業生を紹介してくれることもあるし、部活止めちゃったけどそっちでサッカーやらせてもらえないかな、という話もある。
審判繋がりから選手を紹介してくれることもある。

ホームページ、ツイッター、ブログなどをまめに更新する。
現代はこれですね。ネットで探してきた選手は自分で探してくるから定着率も高いです。そのかわり活動内容を盛らない事。正直に書かないとすぐにうそはばれる。

選手を集めるのは代表とか役員の仕事ではなく、選手それぞれの仕事ということを理解してもらって、今まで書いたことをできる範囲でみんなでやる。
人が増えたために試合に出られなくなった。友達を呼んだら自分の出場時間が減った。そんなとき運営としては参加する大会を増やしたり練習試合を組んだりして出場する機会を増やしたり、監督は選手起用に配慮してなるべくたくさんの選手が試合に出られるようにする。
出場時間が減っても毎回来てくれる選手は本当にチームのことを考えてくれているし、出た時の準備も欠かさない大事な人材です。
自分がサッカーをして楽しむだけの選手は段々と来なくなります。

2.参加するリーグについて
リーグ運営に欲を言えば、GWやお盆、シルバーウイークを外して4月から11月まで月に2,3試合でトータル15試合位の日程が理想ですね。
北信リーグは理想に近いです。
そうすれば家族や自分の時間も作りやすいし、怪我などからの復帰も余裕ができます。
仕事の都合で夏までしか行けません、就活終わってからでいいですか?なんて選手にも対応しやすい。
長野県リーグの様に3か月で10試合というのは正直きついです。上位リーグとの昇降格試合のスケジュールがあるので仕方が無いですが。

3.スポンサーについて
社会人チームに入部した時点ですでにスポンサーがいます。
それぞれの勤め先がスポンサーです。生活できるのは仕事をして給料をもらっているからです。
自分がやりたいことをやるんだから自腹は当たり前でしょう。
そういう考えでスポンサーは募りませんでした。
今はアマチュアでもスポンサーが付いているチームの方が多い位になりましたが、僕らは趣味の余暇活動をしているので自腹でやる。
これはずっと守ってきました。

余談ですが
プロと言われているチームや選手の中でも、プロのはずなのに勤め先がある選手、バイトしている選手。それは本当にプロですか。
スポーツで飯を食うためには桁外れの才能と努力が必要だし、それ相応の覚悟もいる。
その覚悟の無い選手がサッカーが少しうまいというだけで余暇にお金を出してもらえる甘い環境にいることは、決してその人にとって良い事ではないと思うのですが。

4.チームには寿命がある
チームは生き物です。寿命があります。
見ていると3年目、5年目、10年目くらいに存続の危機が来ますよね。
うちはたまたま
3年目位にそれまで常敗チームだったのが、強力な学生たちが加入したことによって突然カップ戦で下克上優勝。
5年目、その勢いのまま地区の1部まで昇格
10年目前後から1部でも上位チームになり、初優勝した年に一発勝負でついに県リーグへ昇格。
その後3年周期位のリーグ降格の危機を、選手が多数入れ替わることによって脱出してきましたがついに昨年力尽きました。
という感じで、危機の際にちょうどチームのトピックが重なって乗り越えてきました。
同じ環境で人間の集中力や好奇心が続くのは3年位なのかもしれませんね。6.3.3学制はよくできているということですか。
寿命に抗うには常に若返りが必要です。

5.運営する人の心構え
僕は自分が楽しくなくなったら辞めようとずっと思っていました。
最初はせっかく楽しいサッカーができなくなったら困ると思い運営をやり始めました。その頃は試合はフル出場、審判もフル出場。シーズンオフは運営に奔走と休みなくサッカーに関わっていました。

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吉田サッカークラブの活動を停止します

2021年04月01日 | 2019試合結果
吉田SCのみなさん

2021年3月で吉田サッカークラブの活動を停止します。
いままで活動にご参加いただいたみなさまありがとうございました。
チーム活動を続けることができなかったのは私の力不足です。申し訳ありません。

チームの始まりがいつだったかはフレンド時代、その前史もありますので僕はよく知りませんが、日本サッカー協会へ初めてチーム登録したのが1998年(フランスワールドカップの年!)4月となっているので23シーズンを公式リーグで戦っていました。
北信リーグ3部から参戦を始めて、昨シーズンは長野県リーグ1部まで昇格できました。
その間一度も降格しなかったことは胸を張れる結果ですし、選手のみなさんの奮闘のおかげです。

私がチーム運営に携わるようになったのは2003年度からと思います。
先日数えたら、18シーズンの間にチームに登録した選手は200名近くに達していました。
選手登録をしないで練習や市長杯等に参加してくれた人を合わせると、さらに多くのみなさんとサッカーを通じて出会っていたんですね。
本当に楽しく貴重なクラブでした。

今後もよろしくお願いいたします。
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長野市長杯サッカー大会も中断となりました

2020年12月01日 | サッカー
毎年秋に開催される長野市長杯サッカー大会
正直、開催しようか迷いました。僕は大会委員長も兼ねているので。
気持ちでは6割やらないつもりでしたが、いろんな方から、
こんな時こそみんなで気を付けてやろうよ。
シーズン終わりにきちんと大会をやって締めようよ。
と後押しされたので開催に踏み切りました。
いつもはトーナメントなのをグループリーグにしてどのチームも最低3試合はできるようにしました。
グランドも天然芝を2面確保できました。
試合の日、集まってきた各チームのみなさんは楽しそうでした。
開催してもらってありがとう、よかったです!
と声を掛けてもらってこちらもうれしかったです。
どのチームも人数集めには苦労したようで、毎回朝はその話で盛り上がっていました。
規定も柔軟にして追加登録をしやすいように運用しました。
しかし
大会3日目の前日に長野市圏内の警戒レベルが4に上がってしまい、断腸の思いで中断を決断しました。
中断です。
3月には続きをやります!
春の自粛期間も思いましたが、やらないことは簡単だけど何も始まらない。
やっぱり出来ることを何かをやらないと何も進まない。
やるための苦労はいくら忙しくても楽しい。
ということでわたくし個人の引退宣言も部分的には撤回します。
このままでは終われません。
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