都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

日本建築家協会創立100周年事業 槇文彦記念公演:楽しめた、お元気そうで良かった

2017-04-16 05:06:08 | 都市開発

 無料でしかも大阪市中央公会堂で近く、内部見学もできるため参加。

 対談形式で倉方俊輔准教授が実際は司会進行で100周年事業との関連をとりまとめ。

 槇文彦の公演は、会の趣旨にあわせ、まずは建築家100年の歴史から。45分をゆったり講演、88歳でもあるがお元気。

著作は「漂うモダニズム」や「新国立競技場、何が問題か」を読んだ。( http://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/54a5a04c7748dcb3129262e632f7bf4a )社会学的な見地が広く、「知性」のある建築家で語り口は優しいが辛辣でもある。80年代のウォーターフロントのシンポジウムで、護岸の柵を作るなら駅のホームがもっと危険だ とか 今回も整いすぎた街並みは北朝鮮の軍隊行進のようだとの論評も。

 ニューリベラリズム( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9  )として、現在の金満主義(格差拡大での富裕層の振る舞い)の施主による

「目立つ建物」志向を批判している。経済学として、正しくは、格差経済、または富の偏在とするのが経済・社会学的で必ずしもリベラリズムではない。金満主義と言うべきだが上品な言い方なのかもしれない。

ブラジル コスタ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF ) との会話に基づき、新規な形態や発想よりも淡々と使う側に立つ設計態度が必要と説く。「美は細部にやどる」、時が建築を評価するというは槇の矜持でもある。

 嫌いな建物として432Park Ave (マンション http://www.432parkavenue.com/ )は超高層ペンシル・ビルで眺望を独占し、しかもニューヨークの景観を害している→見た時、違和感があった、マンションにしても細すぎる。マッチ棒というのがふさわしい。新国立競技場には触れず、ザハへの言及もなかった。

大きな建築も「家」をつくるようなもの、孤独(個室)と群れ(リビング)、そして外部に。MITメディア・ラボもこの考え。→近傍のフランク・ゲーリーの建築と全く違うたたずまい孤独の時間も意味がある。群れる価値のため場を作る。

 生と死があるのは人間も建築も同じ、時間の要素がある。人の集合が都市、建築の集合も都市。外部空間が入り込み相互にからむ

 これからは「新しいヒューマニズム」で「人間学」(見田宗介など提唱)への展開が重要、無償の愛、文化、共生から生まれる同情などが建築設計にも基盤となるという提言があった。

 施主さまざまで格差 施主を説得、啓蒙、コントロールが必要。Four World Trade Center( https://en.wikipedia.org/wiki/4_World_Trade_Center )でもディベロッパーの説得エピソードなど披露し笑いを。なお、共同設計のパートナーとなる事務所の担当者の格差も多きいとのこと

 しかし、以上は建築家の視点だ。当方の開発者の視点として(経験も含め)建築家はやりたい(賞をうけたい)バイアスがあり、施主を誘導し、使いにくく、目立ち、すぐに老朽化する建築(北山通の高松伸などはその一例)などを進めてしまう傾向がある。建築とは芸術よりも実用で投資だ。

社会を作るため、施主、建築家がいるなら、新規性や時代性というマイクロを判定する学会、永続性や機能を評価するマクロの団体の監視がより必要と感じ、提言したい。

 歩く姿もお元気そうで、この柔らかな語り口で施主を説得できるのと、知性を感じた


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 谷寛 こめ泥棒(京都 上賀... | トップ | リストランテ・ヒロ(大阪 ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

都市開発」カテゴリの最新記事