都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

様式の確立と保守、利権が文化の側面:変わりたくないというのは双曲的で近視眼なのか

2013-06-30 06:13:01 | マクロ経済

 先日読んだ双曲割引を選好する方は、現状の変革を求めないとあった。その一方、現在は「失われた20年」であるが保守化が進んでいる。また、もうひとつの指摘で、企業はその企業内文化に卓越するものを重用するというのもあり、「様式」を考えてみた。<o:p></o:p>

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 自分で最近の絵を見ると年月から来る「様式」を感じる。文化とは様式だとも感じるのは、お茶やお花と同じ作法が確立され、良い悪いではなく受け継がれる「様式」となるからだ。様式が自己増殖するのは、利権や既得権が絡むからだ。ということは、次なる「様式」は大きな変化がないと生まれない。<o:p></o:p>

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様式と革新はトレード・オフではないかと思う。様式が複雑化するのは、末期のアンモナイトがぐるぐる巻きになって滅んだようなものだ。そうなると他に取って代わられる革新になる。<o:p></o:p>

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 社会は「様式」があり合理的で公平・公正ではない。たとえば、企業というのは「独自社会」であり、大きくても複雑な様式があるし、小さくても細かな様式がある。お作法はついてまわる。また、国際紛争などは利権と利益の拡大政策が多く、合理的というより、時間軸(貸し借り)と空間軸(味方)の利権調整の繰り返しだ。<o:p></o:p>

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 様式は変化し辛い。つまりは保守になり勝ちだ。そのなかで独自の変革を矜持とするのが、ファッションであり、近代芸術だ。ただし新奇に傾きすぎて、奇抜なのもある。<o:p></o:p>

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 ころよい様式の発展というのは何なのかと考える。日本も明治維新(1868年)、第二次世界大戦後(1945年)が大きくパラダイムが変わった。次は高齢化での縮小均衡への社会変化かもしれない。となると現在の企業も人材や目的から変化せざるを得なくなる。<o:p></o:p>

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 様式は独自であり文化だが、変えていくのは大きな社会と産業変化だ<o:p></o:p>

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