わたしの子供のころの漫画で、
場面が思わぬ展開になるとき、「あにはからんや」と出て来ることがあった。
だいたいは時代劇で、講談調の漫画だが、
これを漢字で書くと、
「豈図らんや」、意外にも、とか、思いもかけず、と云う場面で使う。
ギャグ漫画の場合は、このセリフが、
「あにはからんや、おとうとはかるや」となっていた。
まぁ、「うまかった、うしまけた」みたいなギャグですが、
それはともかく、きのうの大相撲、
千秋楽の結びの一番、横綱同士の対戦は、
まさに「豈図らんや」、
史上最強の大横綱・白鵬が、立ち合いで身をかわすと云う挙に出て、
勝負は一瞬、
ほとんど両者が接触もせずに、勝敗が付いた。
賜杯を抱いた白鵬の談によると、
「どうしても優勝がしたくて」と云うことだが、熱戦を期待したファンからは罵声が飛んだ。
私が思うに、プロスポーツには、
どんな競技にも、それぞれ長所と短所、欠点はあるもので、
たとえば、野球のデッドボーや敬遠の四球、
サッカーの得点の低さ、それゆえのゴールシーンの少なさなどはそれだろう。
大相撲の場合をこれに当てはめると、
立ち合いの変化も、大きな欠点のひとつとなろうか。
これがアマスポーツのように、
勝敗を決めるだけなら、別に問題はないのだが、
大相撲のファンは、
高いカネを払って、「格闘としての相撲」を見に来るのである。
横綱同士の戦いが、
「両者、体も触れず」に勝負あっては、興ざめだろう。
立ち合いの変化は昔からあったが、それは軽量や下位力士の話
処が最近の特徴は、横綱や大関が頻繁に、ピョンピョンと飛ぶことだろう。
先々場所かな、横綱鶴竜は、
二度立ちあって、二度とも飛んだし、
今場所も、大関の稀勢の里や豪栄道 、照の富士も飛んだ。
白鵬を含め、いずれも力のある重量力士で、
正面からぶつかったからと行って粉砕されるような力士ではない。
オリンピックのように、
勝ち負けが重視されるような勝負ならともかく、
相撲のように「客を呼ばねばならない興行」で、
責任ある地位にいる人々が
「相撲を見せずに勝ち負けだけを見せている」のは異常で、
このままでは、大相撲の将来は暗い。
興行元としては、なんとかせねばなるまいが、
さしあたりは「力士の良識」に任せるしかなく、協会幹部も頭の痛い処だろう。