大串式潜水器は世界初だった。
潜水の歴史エピソード
大串式潜水器は世界初のレギュレーターになれなかった?
大串式潜水器の開発がスタートしたのは1916年で真珠貝の採取を行うた
めの潜水器の開発でした。1918年には大串式潜水器が誕生して公開され
そして東京で量産体制がスタートしました。
日本の帝国海軍は、この潜水器に注目し、横須賀港でのデモンストレーショ
ンにより、水深60mまでの潜水が成功しました。その結果、帝国海軍は大串
式潜水器を採用することとなり、それぞれの基地に配備されました。
帝国海軍は、大串式潜水器を使って、長崎県でノルエー船、山口県でイギリ
ス船の水深60mからのサルベージに成功し、海軍からの厚い信頼を得ました。
当時のパンフレットには水深114mまでと記載されていて、冒険的に記録が
作られていたようです。
1925年には、地中海でドイツの潜水艦に撃沈された八坂丸(水深76m)
を片岡弓八が大串式潜水器で3ケ月かけて膨大な金貨(45トン)の99%を
回収し、一躍有名になりました。
大串式潜水器の特許は1919年に英国、1920年には米国で特許申請が
行われています。1922年にはオーストラリアのトーレス海峡で水深79m
までの潜水に成功し、オーストラリアとの大口契約がなされ、世界へ進出しよ
うとしていました。 しかし、英国からの制圧などにより世紀の契約はキャン
セルされてしまいました。
こうして20年後、クストーらのスクーバ潜水器が世界を制覇し、大串式潜
水器に日が当たることはありませんでした。
OhgushiPeerless Respirator: The First EverRegulator ? より