イコンの先生が
「私にしか売らないのよ」と言って生徒に千円で売ってくれたシールの金箔です。
この写真の金箔を作った金箔屋はイコンの先生にしか卸さないそうです。
「あの先生が売る金箔でないと、イコンは描けないの?」と質問があったりしたのですが、
このシール状の金箔は、様々な大きさや厚さで販売されていて、
「私にしか売らないのよ」と言っても
楽天でも、ヤフーでも、同じようなものは買えました。
教室で「私にしか売らないのよ」と毎回言うので
生徒の何人かが、この金箔屋に電話をかけて聞いてみると
「先生との約束で、先生にしか売らないことになっています」と言います。
私も店をやっていたり、
祖父の家は呉服から、学生服や帽子を作っていたので、
商売のことは少しは知っていますが、
独占販売というのは初めてで驚きました。
他の商売人の生徒たちも
「私にしか売らないのよ」と教室で毎回言う、ということが不思議に思えたそうです。
私は自分でもキルトや絵を教えていましたが、
教室で販売する材料の卸元との契約は公表しないのが当たり前でしたし、
信仰がある者としても
イコンに独占販売が絡む、
個人の独占利益が存在する、ということが納得できませんでした。
ですので、イコンの先生が販売するこのシール金箔は途中で使わず、
普通の金箔を自分で貼るようにしました。
貼るコツを覚えれば、簡単に貼れますから、
何もこのシール金箔でないといけないことはありません。
ただ、先生はイコンは「鏡面」であるということにすごくこだわっていました。
でも、先生の陶板のセラミックイコンは画面はジョリジョリですから、
素人がイコンを描くのに、あまり鏡面にこだわる必要はないと思いました。
心を込めて描くイコンがいいと私は思います。
イコンに独占販売の金箔が使われていることの指摘は信仰と無関係の生徒からありましたので、
先生をオリエント美術館に私が紹介しましたから
この金箔のことは学芸員に知らせました。
私が人吉教会のイコンの金箔を京都の金箔屋から仕入れた純金箔で貼ると
「イタリアの金箔はこんなんじゃないのよ。こんなに粗くないの」と言います。
自分でイタリアの金箔を貼ればいいのに、と思いました。
それらミカエルとガブリエルのイコンは
私が最後まで描く約束でスタートしたのですが、
昨年の今頃「返して」と突然取り上げられました。
「ふたりも介護していたら、イコンなんか描けないでしょ」と言います。
ガブリエルとミカエルのイコンを引き受けるときに
「両親の介護がありますから」と一度断りました。
それを聞かずに、今頃「返して」という身勝手さでした。
私の祖母は鏑木清方の孫弟子にあたり、
鎌倉や東京のお寺に納める仏画の仕事をしていましたので、
仏教の宗教画描の流れを母は知っていました。
「イコン画家というのは、このような仕事をするのか⁈」と絶望したそうです。
「イコン教室など辞めてしまえ」と父も言いました。
私も京都の仏画家の方に仕事の仕方を聞いたりして、
どうにも宗教画家としての要素が足りない。
このイコンの先生について習うことは無理だと思いました。
ですので、昨年の夏に辞めています。
先生を責めているのではなくて、
神父様もおっしゃっていたように
「生活の糧としてイコンを売っている」イコン画家なので、
私はついていけないということです。
教室でも度々、
「イコンを描いたら金になる」と言っていましたから、
イコンで金を稼ぐイコン画家でしょう。
そういうイコン画家であると理解しました。
イコンに関する資料はたくさん出ていますので、家でひとりで描けます。
私は、イタリアの金箔じゃないといけないとか、
こんなのはダメだ、とか言うことは
個人で描くのには、全くないと思っています。
お孫さんがおじいちゃんおばあちゃんのために描くイコンもイコンだと思いますが。
先生の自宅を修道院にする話も
これからのサポートもおつきあいも
一切、絶ちました。
岡山はバカばかり、と罵られながら
岡山に修道院を作る手伝いなど絶対にしたくないのです。
イコンに関する考え方が全く違います。
あれは、自分の描きたいように描くイコンです。
ニコライ堂に聞きましたら、
「あのイコン教室は個人の教室であり、正教会は全く関係ない」と言われました。
ですので、イコンの先生独自のイコンなんだとわかりました。
仏画家でも、あのような宗教画を独占する仏画家には会ったことがありません。
宗教画に個人の独占なんてあり得ません。
宗教画は歴史が残した地球人みんなの財産です。
個人の欲が入れば土産物やポスターのイコンと同じだなと
私はそう思っています。
自分で楽しみで描くイコンを被災地に贈れたら、と思っています。
ちょっとずつ描きますね。
「私にしか売らないのよ」と言って生徒に千円で売ってくれたシールの金箔です。
この写真の金箔を作った金箔屋はイコンの先生にしか卸さないそうです。
「あの先生が売る金箔でないと、イコンは描けないの?」と質問があったりしたのですが、
このシール状の金箔は、様々な大きさや厚さで販売されていて、
「私にしか売らないのよ」と言っても
楽天でも、ヤフーでも、同じようなものは買えました。
教室で「私にしか売らないのよ」と毎回言うので
生徒の何人かが、この金箔屋に電話をかけて聞いてみると
「先生との約束で、先生にしか売らないことになっています」と言います。
私も店をやっていたり、
祖父の家は呉服から、学生服や帽子を作っていたので、
商売のことは少しは知っていますが、
独占販売というのは初めてで驚きました。
他の商売人の生徒たちも
「私にしか売らないのよ」と教室で毎回言う、ということが不思議に思えたそうです。
私は自分でもキルトや絵を教えていましたが、
教室で販売する材料の卸元との契約は公表しないのが当たり前でしたし、
信仰がある者としても
イコンに独占販売が絡む、
個人の独占利益が存在する、ということが納得できませんでした。
ですので、イコンの先生が販売するこのシール金箔は途中で使わず、
普通の金箔を自分で貼るようにしました。
貼るコツを覚えれば、簡単に貼れますから、
何もこのシール金箔でないといけないことはありません。
ただ、先生はイコンは「鏡面」であるということにすごくこだわっていました。
でも、先生の陶板のセラミックイコンは画面はジョリジョリですから、
素人がイコンを描くのに、あまり鏡面にこだわる必要はないと思いました。
心を込めて描くイコンがいいと私は思います。
イコンに独占販売の金箔が使われていることの指摘は信仰と無関係の生徒からありましたので、
先生をオリエント美術館に私が紹介しましたから
この金箔のことは学芸員に知らせました。
私が人吉教会のイコンの金箔を京都の金箔屋から仕入れた純金箔で貼ると
「イタリアの金箔はこんなんじゃないのよ。こんなに粗くないの」と言います。
自分でイタリアの金箔を貼ればいいのに、と思いました。
それらミカエルとガブリエルのイコンは
私が最後まで描く約束でスタートしたのですが、
昨年の今頃「返して」と突然取り上げられました。
「ふたりも介護していたら、イコンなんか描けないでしょ」と言います。
ガブリエルとミカエルのイコンを引き受けるときに
「両親の介護がありますから」と一度断りました。
それを聞かずに、今頃「返して」という身勝手さでした。
私の祖母は鏑木清方の孫弟子にあたり、
鎌倉や東京のお寺に納める仏画の仕事をしていましたので、
仏教の宗教画描の流れを母は知っていました。
「イコン画家というのは、このような仕事をするのか⁈」と絶望したそうです。
「イコン教室など辞めてしまえ」と父も言いました。
私も京都の仏画家の方に仕事の仕方を聞いたりして、
どうにも宗教画家としての要素が足りない。
このイコンの先生について習うことは無理だと思いました。
ですので、昨年の夏に辞めています。
先生を責めているのではなくて、
神父様もおっしゃっていたように
「生活の糧としてイコンを売っている」イコン画家なので、
私はついていけないということです。
教室でも度々、
「イコンを描いたら金になる」と言っていましたから、
イコンで金を稼ぐイコン画家でしょう。
そういうイコン画家であると理解しました。
イコンに関する資料はたくさん出ていますので、家でひとりで描けます。
私は、イタリアの金箔じゃないといけないとか、
こんなのはダメだ、とか言うことは
個人で描くのには、全くないと思っています。
お孫さんがおじいちゃんおばあちゃんのために描くイコンもイコンだと思いますが。
先生の自宅を修道院にする話も
これからのサポートもおつきあいも
一切、絶ちました。
岡山はバカばかり、と罵られながら
岡山に修道院を作る手伝いなど絶対にしたくないのです。
イコンに関する考え方が全く違います。
あれは、自分の描きたいように描くイコンです。
ニコライ堂に聞きましたら、
「あのイコン教室は個人の教室であり、正教会は全く関係ない」と言われました。
ですので、イコンの先生独自のイコンなんだとわかりました。
仏画家でも、あのような宗教画を独占する仏画家には会ったことがありません。
宗教画に個人の独占なんてあり得ません。
宗教画は歴史が残した地球人みんなの財産です。
個人の欲が入れば土産物やポスターのイコンと同じだなと
私はそう思っています。
自分で楽しみで描くイコンを被災地に贈れたら、と思っています。
ちょっとずつ描きますね。