イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

函館ハリストス正教会

2015年09月18日 | イコン
私が函館に行ってみたかった理由はいくつかあるのですが、

最も大きな理由は、本当のことを確かめたかったからです。
それは、岡山で知り合ったイコン画家の白石孝子さんから
「私は神父の娘なんだから、
神父の娘が描くイコンは特別なんだから。
岡山に私たち夫婦の美術館ができてもいいくらい。
それを作らない岡山の人間はバカばかり」と
度々聞かされてきたことにありました。

津山の祖父からは津山にも正教会のお祈りの場が個人宅にあって
祖父は帽子屋だったので、
そのお宅に来られる司祭のための帽子を作ったことも聞いていました。
津山はキリスト教文化を早くから受け入れた場所ですから
父や兄弟はご近所の教会に毎日出入りしていて
お菓子をもらったり、マリア様やイエス様の話を聞いていたそうです。
津山には、函館で感じたような
寺町みたいな教会の集まりのような文化があったのだそうです。
ですから、白石さんと知り合ったときにはとてもうれしく
絵をまた描きたかった私は
イコンをきちんと習えると思いました。

ところが私が紹介したオリエント美術館では洋金箔シールの独占販売をするし、
私の母の聖人を間違えたイコンを描いてきて
頼んでもいないのにくれたり、
曲がった失敗作の花瓶やコップを
「あなた、欲しかったでしょう。
ギャラリーで買えば10万円もするのよ」と渡され
ついには、私の両親が怒り母が手紙を描いて
白石孝子さんへもらったものを全て送り返しました。

「岡山の人間はバカばかりなんだから」と夫婦で公言されていたので
これでは岡山の人は
作品を買おうとも思わないし、
正教会に入ろうだなんて決して思わないし、
反対に「正教会って岡山を攻撃する人の集まりなの⁈」と問い合わせが両親にきたりで
ひどいものだと思いました。
人吉のイコノスタスも少し手伝いましたが、
指導に一貫性がなく、
資金面の計画もうやむやな話しか私は聞いていませんでした。
このイコンは私が描いている途中に白石さんが取り上げていきましたが、
あんなひどい指導のイコンを
最後まで描かなくてよかったと思いました。
温度湿度の高い場所にある
アクリルイコンはすぐにマニキュアのように剥がれていくことがわかっていますから
両親も私が描かなくてよかったと言っています。

私は仏師や仏画家にもアトリエを訪ねたり手紙で連絡したりしていましたが、
「岡山の人間はバカばかり」と公言する宗教画家には全く初めて会いましたから
正教会の神父や神父の娘は
こういう考え方をするのだろうか?と思ったりしました。

白石孝子さん夫妻とは、もう会ってないですから
私や家族も不愉快な思いをすることもなく
イコンは自分のペースで描けます。
また、大学時代の日本画の先輩や友人たちとの親交が始まりましたし
日本画家として導いてくださる先生やお仲間に出会えましたから
絵を描く楽しみが続けられる幸せを得ました。

函館のハリストス正教会を訪ねたのは
イコン画家から受けた岡山県人への差別による嫌な感情と
山下りんのイコンや教会への気持ちがイコールであるのか?
確かめたかったからです。
白石孝子さんへの感情は
私や家族の中では
「人を差別する宗教画家である」という結論です。
歴史上にも、今でも、
異宗教を差別したり
異文化を差別したりはありますから
白石さんは岡山の嫌いな人なんだ、という結論だけです。
私は岡山を嫌う人から絵は習えない、という結論を出しただけですので、
白石孝子さんファンやイコンを習いたい方はそれでいいと思っています。

父は岡山津山生まれ、母は東京湯島生まれ、
私は岡山市生まれですが、
岡山を愛して、育ててくれた土地ですから
岡山の土地の恩恵を感じています。
ですから、岡山を嫌うイコン画家からはイコンは習えない。
岡山県民を罵りまくる人間から
宗教画の指導を受けるなんて、とても考えられません。



函館ハリストス正教会

函館に来てよかった!
なんて立派な教会だろうか!

教会内の撮影はできませんが、
山下りんさんのイコンを見て
私は衝撃?を受けました。
それは次に描きます。






















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