楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

歯医者の勧めで歯間ブラッシュ初体験

2016年10月28日 | 日記

28日(金)、大阪は午後雨になると予測され、散歩など外出を自粛しました。時々降った感じですが雨の日ではない。少々寒い。

3か月単位に定期的歯科医の検診を受けています。虫歯などで数本の金属性被せ歯をしてもらった20年前から継続しています。そのせいか(DNA的にも)比較的に年の割に謙固な歯が維持されています。80歳で何本かの堅固な歯を持つ人が表彰された時代もあるそうです。それが先日歯科医から「上下歯間にいくらか詰りものが見られ、今後悪さをする危険があります。歯間ブラッシュ初めての人には、サイズ3SのL字型を勧めています、でも合うものを使って」と言われました。そのとき女性歯科技師が持ちだしてきて、L字型3Sの使い方を指導してくれました。でも帰宅後 太さサイズ L字型 T型 プラスチック・ゴム、手動・電動 など非常に多くの種類があることが分かりました。歯間ブラッシュ初体験者はいろいろ試用してみるしかないといま3種類を日に一回ペースで使用中。それぞれ使い勝手が違いますね。(写真 左からプラスティックL字型、T型、ゴムT型)


所かまわぬ「文化」を考える

2016年10月27日 | 日記

27日(木)、大阪は朝から大変いいお天気でした。雲もそれなりに見えましたが、秋日和でした。やや涼しい。

街を歩くと文化の日が近づいていることもあり、やたらに文化を使った言葉や行事が氾濫しています。私はこの 文化 という意味が体に染みついた感じではまだ不明です。分かったような感じでいますが実際はわかりません。歴史・言語・生活活動・習慣・文字などがその中に含まれるあらゆることが国、民族、地域、宗教などと混じりあい、文化になっているように概念的で勝手に思っています。11月3日昔は明治節だったのを文化の日に変えて設定提案した人たち、それを承認した当時の戦後代議士たちのいい加減さを感じます。田舎役所がまたそろって、「文化祭」なるものを想定した戦後当時のいい加減さと、その継続をいまだにしているいい加減さを思いました。どういう何の行事を文化祭と言いますか。

インターネットでの表現(下記)でも、文化 とは何を言ってるか訳わからぬ内容です。あなたは真剣に文化のことがわかります?

「総じていうと人間社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。」


朝冷えのする深秋を感じる

2016年10月26日 | 日記

26日(水)、朝は特に冷え込みます。布団へかける毛布やうす布団もやや厚手になってきました。天候は晴れ。

日中は少々暑い日もありますが、自然は間違いなく秋の終盤です。大阪などは、寝るときまだ部屋の窓を少々開けているという人もいますが、もう朝冷えが激しく私は暖房が必要な気になる朝があります。ほんの少し前まで、冷房機や扇風機を使っていたことが信じられません。散歩で通る道にはいろいろな樹木があり色づいて秋深しを感じます。10月ももう終盤。

  あなうまし 夜寒の柿は 歯にも沁み  篠田悌三郎        角川書店歳時記より

 

  


あまりにアメリカ(ハワイ州)と違う倫理感

2016年10月25日 | 日記

25日(火)ハワイから帰国後の初ボランティアに地下鉄御堂筋線で出かけました。大阪は今日は寒い感じで夕方から雨になりました。

日本の女性は身長もあまり高くないのでバス・電車車内で立って吊革を持ちながら、操作中毒のスマホを片手操作するのが難しく、所かまわず座り込んでしまう傾向があります。この写真の所は障害者・高齢者・妊婦など用指定席。座っているのは特に40前後のアラホーの皆さん達です(写真)。都合いい時は、自分は女だと主張し、都合のいい時は高齢者気取りになっています。この例はパート仕事の人に多いと思います。午前9時~10時のバスなどは特に顕著です。

先週、アメリカ(ハワイ州)で経験したのは、トロリーバス内で空いているとばかりこの手のハンディキャップ者席へ健常者らしき人が座った場合、運転手やボランティアらしきガイドが、はっきりと、指さして「そこは貴方の座るところではありません。他の一般席へ移動してください」と言っていました。言われたのは、はしゃいでいた日本人の20歳代女たち。私は日本人として恥ずかしい思いをしました。帰国し日本地元でこのありさまをまた経験しています。いったい日本の倫理観はどうなっていくのでしょう。建前・本音の裏返しになっていませんか。数の多い若い男性でも見かけます。情けなない。


意外に涼しかった10月のハワイ=報告3 終=

2016年10月24日 | 日記

ここ20年近く頻度多く、ハワイへ出かけます。もう10回を超えるでしょう。この間にハワイで見る日本人観光客のいくらか傾向が変わってきていることに気づきます。日本人相手のハワイでなくなったのでしょう。

●ここ数年は、日本人観光客の絶対数が、1980年頃に比べ、かなり減少していると思います。特にぞろぞろ型おばさん中心のツアー集団が減っていると感じます。専門家によると、家族型中小企業交際費の税制変化の影響もあるとか。

●絶対数は少ないですが、代わりに幼児とその家族連れの若い夫婦が多くなったと思います。行きかえりの機内で泣きまくりいい迷惑を感ずる人は少なくないでしょう。何が幼児連れのハワイ観光したい理由でしょう。

●この季節に新婚旅行、ハワイ結婚などをしたい人も多く、若いカップルと、その式典参加と思われる友人、近親者が多くなっています。ある意味、周りは迷惑。

これらの影響で、インターナショナル マーケットなどが改造を進めており、あの面白いゴチャゴチャした屋台群は減少するのでしょう。また一頃人気があったグリニッジビレッジ丘もすっかり廃れてしまい、商店街も縮小している感じでした。日本人観光客減少の陰で、むしろ中国人や韓国人と思われるキャリーバッグを引っ張りまわす皆さんがかなり増加していると感じました。日本人観光客に焦点を当てるばかりでなく、ハワイも大きな変化点を迎えている?  (上の写真はカピオラニ公園からご存知ダイヤモンドヘッド)

日系トロリーバス

市場でマンゴーの行列


意外に涼しかった10月のハワイ=報告2=

2016年10月23日 | 日記

今度のハワイ行きは、食材を自分たち夫婦で買い集めることも大切な目標でした。有名なアラモアナ商店街の食材屋、やドン・キホーテ店などだけでなく、ホノルル郊外で行われている食材市場へも足を延ばしました。どこも若い観光客であふれていました(上写真)。でもどの店にも昭和や大正を忍ばせる古い日本の雰囲気がありました。気が付くと、若い日本からの観光客に交じって、手押しカートを持った日系人らしき人(大抵がお婆さん)が買い物していていました(下写真)。年齢的に80歳近くでしょう。官約移民であろうが、私約であろうが、日本人がハワイへ渡るようになった18〇〇年頃から見れば、2世か3世になるでしょうか。お婆さんたちは遠く祖先の食べ物を思い起こしながらしながら古い食材を探している様子。店内冷蔵庫を見回しているのでしょう。ハワイには、「勤勉で、我慢強く、控えめな」日系人の高い評価が残っていると聞きます。お歳を召した日系人を見て、子孫がその遺伝子をきちんと継いで、素晴らしい日系人気質を繋いでほしいものだと思いました。


意外に涼しかった10月のハワイ=報告1=

2016年10月23日 | 日記

10月中旬。10日間ほどハワイ・オアフ島で過ごしてきました。何しろ脳梗塞後遺症を持つ身としては、ステッキを片手に歩行しかありません。自炊型の安いコンドミニアム型 Sホテルへ逗留し、自分たちで自炊の食材を買い歩きしないといけません。脳梗塞後遺症を悪化させない理由で例外を除いてほとんど毎年中期間(10~15日間くらい)精神的・肉体的療養をしてきます。年金生活者としていくらか経費は掛かりますが、日常生活でできるだけ慎ましい生活をし節減、節減で補っています。某旅行社のお勧めもあり表向き安いパック旅行に参加した形をとり、ある時は団体旅行の一員の顔をしオプショナルや団体行動に参加しますが、実際は他の人は全く分からいで勝手な自分たちだけの離れた日程や生活を自由に満喫するスタイルを採っています。

今年は例年の9月でなく10月にしたのが原因か、ハワイにしては雨が多く、涼しい感じでした。初めて38階建てホテルの37階山側に泊まりました。ほとんど毎日朝には雨。昼頃から好いお天気になるという毎日でした。眼下に広がるアラワイゴルフ場も朝7時頃には厚い雲に被われ(上の写真)、ゴルフができる?のかと思うと、10時ごろには明るくなり日が差してプレイしていました。雨の中、ワイキキの浜ではサーファーたちが準備し、トロリーバスで20分ほどにある市場では小雨の中いろいろ農産物を買い込むことはできました。でもハワイにしては涼しい。

朝のワイキキ

郊外の市場で


元気な紅白坊やたちの駈けっこ

2016年10月13日 | 日記

13日(木)、北大阪は曇り空の上、少々冷やっとする冷涼な感じでした。今日は20℃以下でしょう。

病院帰りに、今日は長袖シャツ(下着と2枚)だけでは寒いな、と思いつつ歩いていました。薄手でもいいから上っ張りがいる感じでした。午前11時頃。道向こうで、可愛い掛け声が聞こえてきました。見ると紅白(赤帽に白シャツ・白ズボン)の半そでで半ズボンの小学校1年生くらいの幼児が駆けっこです。二人の付き添い女性のかけ声で赤信号ストップでした(写真)。このなんとなく寒い日に、元気に駆けっこをしていました。紅白を纏うと、幼児たちの性別はわかりにくいです。女子も混じっていたのかな。つい坊主たちに見えました。いずれにしても、元気いっぱい。頑張れ。

 

 


冷涼な秋の色を楽しみに

2016年10月12日 | 日記

12日(水)、北大阪では朝から雲が30%くらい広がる青空。冷涼で少々散歩しても長袖シャツに汗をかきませんでした。

秋が深まると、毎年、秋だな~ と感ずる風物詩があります。今日いくつかそういう事例がありました。いくつかご紹介すると、次郎柿 か 富有柿 かはわかりませんが、ある畑の柿木に黄土色の柿がなっていました(上の写真)。この色は秋の代表的な色です。まだ完熟ではありません。未成熟な緑がほんのり残る色を見せる柿は秋の色。

それに、大池を跨る橋と水の色に季節を感じました。つい先日まで、Tシャツ姿の男性が横切る橋、蓮の葉がいっぱいになっていた水面。今日は橋を渡る人影もなく、気のせいか水面も水が多くなり秋の午後を感じました。 いくらか おセンチな気分も。

   秋日あかるく 人軽快に 薄情に    油布五線作  (角川書店歳時記より)

                                     服部緑地公園


今年もハロウイーンが近づいて

2016年10月11日 | 日記

11日(火)は、朝から中秋らしい涼しさのあるまずまずのお天気。電車の中連休明けのサラリーマンは長袖シャツにスーツ姿が主流に。

10月になると日本の商店ではなぜか急にアメリカ型のハロウインが売り場を支配します。古代からこれはケルト族の伝統的な催事でした。由来は古代のケルト人の風習に遡ると言われます。ケルト人の文化では一年の終わりは10月31日、つまりケルト人にとっての大晦日だったわけです。ケルト人は、10月31日には現世と霊会の門が開き、その日にはご先祖様の霊と共に悪霊もこの世にやってくると信じていました。そこで、本来は悪霊が家に入ってこないように魔よけのかがり火を焚いていたといわれます。

1985年頃、この時期アイリッシュ系の知人が社長で経営するシリコンバレーの小企業を訪ねた折、アメリカへ移住したスコットランドやアイルランドからのケルト系民族が自分たちの存在意識を高めるのに、近世、史実ではないアメリカで子供のお菓子貰いや 小企業での奇形遊び、それにカボチャ灯篭を作ったのだと、述解していました。もちろんそのころは、日本には全くハロウインなどの気配はありませんでした。それが近年独り歩きしていき、年々派手になる日本商店でのハロウインを宗教感からも懸念しています。いい加減にしてよ。横文字とアメリカかぶれ のお客も。

               ここにも