楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

豊中文化芸術センターの開設記念儀式へ

2016年10月10日 | 日記

10日(月・祝)、少々風はありましたが、快晴になり、お出かけ日和になりました。

3年前まで市民会館と言っていた建物が改築され大きくなり、豊中市立文化芸術センターとして完成しました。その開設儀式とイベントがあるとの チケット をいただきました。あまり気は進みませんでしたが、チケットをいただいたワイフの手前出かけました。儀式や無駄なイベントが続く中で、関係する2件は印象に残りました。

1件目は,豊中市は、なんと平成27年度文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)の受賞をしていること。大阪地区では初めてだということです。東京から来た長官が市長に表彰状を手渡す場面がありました。豊中はそういう街になったのでしょうか。

もう1件は、このセンター大ホールは樹木素材を使った構造であり、ホールの音響や雰囲気はその構造環境になっているとのこと。さらに大阪大学豊中キャンパスでここのステージの大緞帳デザインをコンピューターで基本的にデザインしたそうです。それも2009年ノーベル物理学賞受賞の故・南部陽一郎さん(豊中名誉市民)の素粒子研究持論「対称性の自発的破れ」をテーマに宇宙を忍びデザインした結果だと上下移動式大緞帳の披露がありました(上の写真)。豊中に関連するピアニスト、芸人、アナウンサー、合唱団、チアリーダー、吹奏楽などの演奏もありましたが、私はこの2件に注目でした。これは、将来とも市の性格を決める大事な出きごとだと思うからです。

                 


マンション影のひっそり”交番”

2016年10月09日 | 日記

9日(日)、連休の中日ですが、北大阪は夜来の雨も残り朝方は雨が来そうなお天気でした、でも午後は晴天。風あり。

豊中市の東にある上新田地区は、昭和万博時代の総合開発ブームに乗り切れず、地を守って政府や市の方針に反する人も多くて、千里中央に近い便利好い地域を永年未開発で来ました。古い歴史ある地域なので、一応巡査駐在所があったのでしょう。村外れに駐在所があったのでしょう。世代の交代があったのか、昭和末期から平成にかけて遅れてこの地区の開発が進みました。今、周囲はマンション群でいっぱいという感じになっています。現在マンションの陰でひっそりした交番が残っています。数十年前の遺物的な白い交番。開発で村外れの駐在所は新御堂筋や自動車道などで村人には行きにくい場所になりました。私は時々通りますがここには、ほとんどポリスが座っている姿は見たことがありません。立ち寄り型の交番という感じです。からも信号や道路で隔たれ、マンション住民からも親近感を持たれていないのでしょうか。この交番に入っていく市民の人影を見たことはありません。こんな交番ホントに必要? 交番場所とか市民に都合がいい交代方式は考えられない?


古いミニデジカメの処理に大活躍

2016年10月08日 | 日記

8日(土)は、秋の連休であちこち人出が大勢でした。お天気は先週に比べるとまずまず。蒸し暑い。傘を持っている人が多かったです。

私の友人には幸か不幸か、近親者がF社にいる友人、ボランティア仲間の友人がつい数年前までC社勤務、また知人に古くS社やP社のOBなど、カメラを製造・販売する会社に関連する人がいました。顔を立てる意味から各社のカメラを買い込みました。お茶のみ時間など私が持っているカメラを見て、目ざとく価格、性能をはじめ写真構図なども評価をして下さるわけです。この10年ほど、私は右半身マヒで軽いミニ(コンパクト)デジカメを主に使ってきました。困るのは、各社のデジカメは会社横断型の標準コード、充電方式ではありません。国際工業規格も日本工業規格もありません。その会社独断型。自社がもし画素数や明るさや焦点深度など新しいカメラを企画する時もカメラの種類によって、コードや充電の形や方式を一いち替えます。その結果、我が家(私の狭い部屋)はカメラの充電の器具類とコード類で見分けがつきません。最近、N社に絞り、古くなってきたデジタルカメラ自身やコード類、充電器具類の整理に入りました。今日は、大阪でも有数な家電総合店、数店を回って、買った時の標準コードの確認、充電器具類の確認、最も難しい捨てていいカメラとの相性 や ヴァージョンの違うUSB処理や転送速度の問題など、いろいろ専門家の教えを受けてきました。大阪北部中部を股にかけ大活躍。

                   Y量販店で

 


黒門市場は外洋魚でも内海魚でも

2016年10月07日 | 日記

7日(金)、大阪は爽やかな秋晴れでした。朝夕は一寸涼しく、午後昼過ぎは汗が滲むような感じでした。

大阪のミナミ黒門市場へコーヒー豆を買いに立ち寄りました。何時ものように人込みであふれていました。ここには通り天井に吊下げられる魚のモデルは季節のものですが、河豚やマグロなどのような外洋魚を吊り下げる場合が多く、鯛などの内海魚は少ないです。これを丹念にいったん加工して昔から水商売の人にでもすぐ使えるような準備をしてくれる市場で来ました。お刺身だけでなく焼き物、煮物、揚げ物など中間まで仕上がった料理済みが多かったです。私などもこの近所で酒盛りするときはお世話になったはず。最近は、加工がしやすい内海魚なども手軽に店前で加工し(要求があるのでしょうか)外国人が食べ歩きや、立ち食いが多い感じです。明石や淡路島で採れる天井の吊り下げに鯛が登場していました。春から夏にかけ日本では各地で天然・養殖の鯛が食べられます。新鮮で汚染されていない 鯛 が食べられると、天井見上げた外国人は(持ち帰りできないので)店での座り食いをはじめ、歩き食い、立ち食いになっているのでしょう。


昭和は遠くなりにける

2016年10月06日 | 日記

6日(木)、大阪は台風一過、これ以上ない秋の好天でした。青空、無風、すっきり乾燥した涼しい日。

豊中市内の歩道を歩いていると、沿って植えられている並木樹の銀杏の実があちらこちらに散乱しています。集めると大変な数でしょう。歩行者や自転車に踏まれた実の粕が異様な匂いを発散しています。そういう時期です。少々前には、この実を拾って、乾燥させ、中身を取り出し焼いたり蒸したりして食べたもの。昭和の人たちはそういう実も大事に使いました。今はもうそういう人はいないのでしょう。拾う人もなく一杯落ちています。

今朝のA新聞によると、君の名は と聞いて、昭和ラジオ時代、菊田一夫作の春樹・真知子や銀座数寄屋橋を思い出す人と、現在のアニメの新海誠監督の男女入れ替わる物語を思う人で全く時代が変わると言います。ある川柳  君の名は 真知子と答え 歳がバレ など秀逸です。いずれにしても、昭和は遠くなりにける、ですね。ちょっと寂しいですが。


台風18号の接近で

2016年10月05日 | 日記

5日(水)、大阪は午前中、何もない感じの晴れ。11時頃からにわか雨、14時頃から本格的な雨。風は無し。北九州、韓国南部の今度の台風被害は相当大きいとか。

この台風18号接近で大阪や豊中も色々な対策がされています。近くを流れる支流でも、市役所関連?作業員が大わらわで川底掃除していました。川底にある草を取り払っているのでしょう。今は水量は少ないです。

ある歩道で、マンションわきの草むらから、黒、赤、黄色主体の毛虫が一匹横断していました(下の写真)。のろのろですが懸命でした。通りかかった中年女性に「これを見て。何の毛虫でしょう」と訊くと「キャー毛虫!」だけでした。私のしがない知識では、秋の○○蝶の毛虫でしょう。台風から逃れる本能でしょうか。台風を避ける本能はどの生き物も持っているのかな。

           


大阪で見た”小便小僧”は

2016年10月04日 | 日記

4日(火)、大阪は台風の影響がほとんどなく、平穏な蒸し暑い日でした。一応お互い注意しようと話し合いました。

大阪なんばから四つ橋線を北に歩いていると、あるお店前に「小便小僧」を模した像が立っていました(写真)。私はもう12,3年前ブリュッセルを訪れた時、小便小僧を眺めた覚えがあります。その坊主は、両手を添えてぶれないように?モノをきちんと持って用を足していました。歴史あるもので、12世紀頃の戦争時に戦意高揚で準えたのだと聞きました。大阪のこの店のオーナーはベルギー人とか解説がありますが、肝心の像は右手でサンドウイッチか何かものを食べながら、左手で用を足している感じです。ここは何屋かわかりませんが、日本の若きママたちにすれば、これは許しがたい像になります。躾け上でも衛生面でも、幼児がいる日本家庭ではこういうスタイルは絶対にさせるはずがありません。ママが許しません。これは、ジョークのつもりか、ママなどの日本人を異常に捉えたからなのでしょうか。世界的に知られた像に近ければ、なんでもいいか、でしょうか。一瞬苦笑。


ごねる と ごてる は同じ?

2016年10月03日 | 日記

3日(月)、一転、北大阪は静かで切れ目がないしとしとと雨が続く日でした。台風の影響?

大阪キタの曾根崎通り裏町(飲み食い商店街の裏道沿い)に「ごて地蔵尊」という小ぶりな地蔵祠があります。この辺で毎夜活躍した30年前のころ知りました。でも深く考えたことがありませんでした。「ごて地蔵」ともいうこの祠、一般に言う ごねる と同じ意味でしょうか。大した歴史はない地蔵尊。90年前の昭和初めごろ、大阪に疫病が流行った折、この地下に埋もれていた地蔵を(なぜか何とか寺の和尚が)掘り出せと言ったのだそうです。それが理由で疫病が止まったと言います。地下にあり誰も見向きしないので、ごてた のだと言い出す人があり ごて地藏 と名付けたのだそうです。私は ごてる とは ごねる と同じ意味にとってきました。久しぶり先日立ち寄ってみたのですが、ホントには知りません。インターネットでは ごねる はあります(下を参考)。ごてる は大阪独特の言い回し方ですね。まあほとんど一緒の意味でしょうか。今は 東京都 の方が使えるかな?

”ごねる” = ごてる

不平・不満・要求をくどくどと言いたてる。 「立ち退きの補償金をめぐって,-・ねる」
死ぬ。くたばる。 「こいつ-・ねたか/浄瑠璃・ひらかな盛衰記」 〔① は,「ごてる」との混同により生じたもの。② は「ごねはん(御涅槃)」の「ごね」を動詞化したものという〕

タバコが止められない人たち

2016年10月02日 | 日記

2日(日)、大阪は朝曇り空がありましたが、午後は晴天になり、台風18号の影響は無しでした。

散歩道にまだ タバコ を売っている商店がありました。タバコの形は違うでしょうがもう500年くらい前、南米起源でポルトガル船により日本に渡来したといわれます。戦前は各大手の製造会社が、そして戦時中からは専売公社が主体になり製造販売してきました。私たちが知っている限りでは、1955年頃、20歳以上の男性の多くが80%くらいは喫煙者だったように思います。それが、1970年代から欧米などの禁煙ムード と がん発病対策が日本へ上陸し、必死に禁煙に努めた人も多いでしょう。止めたいけど止められない人にはがんの恐ろしさとの闘いでしょう。開き直って「喫煙者のがんによる死亡確率は上がるが100%ではない」に頼って、続けている人もいます。未成年者の喫煙や女性(特に妊娠中)の喫煙は本格的に禁止しているはずです。どこまで徹底しているのでしょうか。タバコを巡る問題意識は高まっているはずだのに、本当はまだ販売しているのは国家収入の税金やタバコ売り上げの大きさが何処かの魅力になっているのでしょうか。こういう看板を見てお医者たちはどう思っているのでしょうか。

              自販機で未成年は禁止  

              コンビニでの外部分煙場所で


大阪・千日前に「天秤棒」という店が

2016年10月01日 | 日記

1日(土)大阪は曇りからだんだん晴れてきました。夕方などは、暑いくらいでした。まだ残暑。

夕暮れ時、大阪ミナミの繁華街千日前はレストランや料理屋、呑み屋で賑わいます。ボランティア終了後、何時もより遅い時間に千日前を通りました。気づくと、「天秤棒」という看板がありました。今の若者には分からない人もいるでしょうが、江戸から近代まで農業、漁業、土木作業などで使われてきた担ぎ棒です。一人で重量物を前後に担いだり、二人で中央に担いだり、約2m位の丸い木の棒です。したがって天秤棒(てんびんぼう、英語:carrying pole、shoulder pole)とは、第一義に、両端に重量物をぶら下げたり、たくさんの軽量物を取り付けたりして、に担いで運搬することを目的に作られた木や竹の棒になります。65歳以上の人(特に男性)は子供や少年時代にはきっと使った経験があるはずです。思い出すのは、映画やTVの時代劇で50年前ごろまで江戸の「一心太助」が魚籠や魚入れを担いで、威勢よく掛け声を出していたのを覚えています。殴ったり防衛するにも使っていました。いずれも貧しい庶民市民の手近かで安価な運搬道具でした。看板を見て「懐かしい」。