富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(63)

2013年07月20日 08時52分38秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(63)外伝 善得寺考 霊場巡り(8)

駿豆横道33霊場巡り(8)
昭和60年2月21日(2)
根方方面の霊場巡りを終えて、反転車を西へ、霊場巡りを続ける。
清林寺(廃寺)
 駿豆横道霊場第19番
 場所 富士市天間川坂
 本尊 聖観音(手無し観音)
 宗派 日蓮宗
 由緒 一般には清流寺とも呼ばれ、御判所及び管理は近くの福泉寺
   (日蓮宗)が行っている。
    本尊は手無し観音と言われ、右手が無い。戦国時代の永禄2年
   (1559)、小泉村の漁師が潤井川で網を打つと、光明を放っ
    た小さな観音像が現れた。帰宅の途中、休息を取って居る間に、
    等身大に大きくなったので、此の地に堂宇を建て祀ったと言う。
    清林寺は廃寺となり、跡に観音堂のみ残り、観音様を祀ってい
    る。

    久日山福泉寺
    開創は明応元年8月(1492).吉野日向守の二男が当地に
    分家したが、今川と武田の合戦で戦死した為、其の子万右衛門
    が北山本門寺第6世の弟子の日悟上人を招き開創した。平成
    25年で開創521年になる。

福泉寺を尋ね、観音堂の案内等を戴いた。寺内に「荒木貞夫」の「孝」
の大書の碑が目に付いた。









大悟庵
 駿豆横道霊場第20番
 場所 富士宮市星山
 本尊 十一面観音
 宗派 曹洞宗
 由緒 星山丘陵に建つ観音堂は「星山観音」と呼ばれている。昔は福
    興寺(真言宗)と称した。
    平安時代、弘仁3年(812)弘法大師が巡錫の折、白い絹に観
    音像を描いたものを本尊として開創したと伝えられている。
    今でも70年ごとに描き改める風習が残り、近年では沼津の画家
    一運斎国秀が明治42年に描いている。現在寺に残るは白布
    140反に移された観音像で、毎年3月18日に開帳される。

    観音堂は350年前に建てられたものである。

    観音像拝写記録(寺誌より)
    孝霊天皇御宇より凡そ1570余年の間、旧記不詳。
    文歴2年拝写。
    応永5年(1498)拝写。
    天文17年(1548)拝写。
    文禄2年(1593)拝写。
    延宝5年(1677)拝写。
    元禄11年(1698)拝写。
    明和8年(1771)拝写。筆者 江戸狩野春信。
    天保3年(1832)拝写。
    明治42年(1909)拝写。筆者 一運斎国秀。
    昭和28年(1953)拝写。
    画像御長 16,5間  御幅8,5間

星山地区も開発で新道が通じ、大悟庵周辺も大きく変わった。然し倭文
神社の大杉は変わらず、ホトトギスの声は満喫出来た。ホトトギスは平
沢寺で聞き、赤野観音でも楽しみ、大悟庵では堪能できた。郭公は近年
聞けなくなった。
寺伝等大黒様のご配慮を戴いた。



寺内に倭文神社が在る。その由緒を跋記する。
当神社は延喜式神明帳にある式内社で、又富士郡3座の一つでもあり、
日本最古唯一の織物・製紙の神である健羽雷神を奉斉する神社である。
(中略)
元来当地方には、藤・三椏・楮等が山野に自生しており、加えて清冽の
湧水も豊富であったので、製紙の発達の素地が在った。富士地域が有名
の紙の産地として知られている起源は茲に在るとされている。
御神木の大杉は富士宮市の指定保存樹であり、目通り幹周5,9mの巨
木である。




庭に早オミナエシが花を咲かせた。