富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(58)

2013年06月15日 12時37分47秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(58)外伝 善得寺考 霊場巡り(4)

ブログ開始より満一年。今泉の昔話を続けて、今泉の大事である善得
寺・善得寺城更には関係する諸件を外伝として、纏めを進めた。札所
であった善得寺の関係より、現在は霊場巡りとして進めている。霊場
巡りをしばらく続け、終わったら塔頭等の外伝を続けたい。何として
も、米寿の緩歩ながら続けることの意義を感じたい。

駿豆横道33所霊場巡り(3)

昭和57年9月9日(2)
隣光院(華尊院)
 駿豆横道33所霊場第4番
 場所 伊豆の国市4日市
 本尊 聖観音(2体)
 宗派 曹洞宗
 由緒 狩野川の川岸にある華尊院の堂宇は、堤防が切れる度に浸水
    したと言ふ。明治の終わりの頃無住と為り、現在は道を隔て
    た東にある宝永山隣光院が兼住している。
    2体の本尊は秘仏であるが、修理の折の鑑定では200~300年
    前の仏像と言はれている。





北条寺
 駿豆横道33所霊場第8番
 場所 伊豆の国市江間
 本尊 聖観音
 宗派 臨済宗
 由緒 北条寺の観音はインドより中国に渡り、平安初期に智証大師円
    珍が招来した物で、鎌倉に在ったと伝えられる。北条政子によ
    り此処に送られ、始め観音院と名ずけられた。北条時政が深く
    帰依し、北条寺と改め、寺領を寄進したと言ふ。
    運慶作の阿弥陀如来像や北条義時夫妻の墓が在り、北条氏の足
    跡を伝える寺である。
    奉納巡礼絵馬が多数あったので、檀家の方々のご努力により整
    理され、年代別・徳川将軍別に掲示され、江戸時代の様子が良
    く解る。
北条寺の参拝は50年前の母との順拝より5度目に為る。6月の参拝の折に
は、菩提樹の大木が満開の花を見せていた。我が家の菩提樹も花盛りで
あるが、芳香が素晴らしい。先年植えられた蝋梅多数が茂っており、花
の盛りの折を偲ばせた。
 モリアオガエルの卵塊が藤棚に幾つか見られた。






徳楽寺
 駿豆横道33所霊場第9番
 場所 沼津市大平
 本尊 聖観音
 宗派 臨済宗
 由緒 鷲頭山の山裾に建ち、大平戸ケ谷地区の5軒の檀家により観音
    堂が守られており、無住。観音像はセンダンの一木造り。南北
    朝時代に宗良親王が合戦で足を切られた時、身代わりと為り血
    を流したとの事で「足切観音」と呼ばれている。明治期の巡礼
    絵馬が奉納されている。
    天文年間には善得寺の末寺だった。義元が勢力を東に伸ばす時
    に、駿河の東端の此の地に幽洞庵・臥龍庵・得楽寺・鷲桂庵・
    光厳寺・向岳寺の6寺を配した。氏実が信玄に追われた時、大
    平の地に逃れているのは所縁の地故と思はれる。善得寺が善徳
    寺に為ったと同じように、得楽寺が徳楽寺に徳川時代に変わっ
    たと思はれる。

訪れた時、無住の為の周辺の荒れは致し方ないと思はれるが、観音堂
の周辺は草が取れており、付近の方の心使い思はれる。





蓮華寺
 駿豆横道33所霊場第10番
 場所 清水町堂庭
 本尊 聖観音
 宗派 真言宗
 由緒 阿遮梨弘辧明恵律師が開山し、寛喜4年(1232)に住職
    に為る。中興開山は元和3年(1617)に良尊中興し本堂
    一宇を建立する。創立の寺歴は、清水町内寺院の中で最も古
    いと思はれるが、数回の火災で殆ど焼失し、記録を留めてい
    ない。
    元あった聖観音は、行基作と伝えられていたが盗難で失はれ、
    代わりに時の住職の彫った観音像が納められた。
    観音堂の前には、巡礼供養塔・西国33観音像が並ぶ。三島
    の古刹愛染院(廃寺)の寺宝が伝えられている。

50年前の母との順拝の折には、周りに家無く、木立の間の岩間より
滾々と清水が湧き旨かった。現在は周りに家が立ち並び、道に迷う程
である。寺内には樟の大木・珊瑚樹の大木が在り、珊瑚樹は花の盛り
だった。




 
庭には芭蕉が実り、銀香梅が花盛りである。