わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

ビジネスって本当に問題を解決するの?

2018-07-15 13:44:03 | 仕事
こんにちは、ピッグです。
ついに転職応募企業数が650社目前になり、気づいてくることがありました。
今回は50代会社役員さんに真っ向からぶつかるお話をします。ぜひ建設的な議論をできればと思っています。

ドラッガーは、こう言います。
・マネジメントとは、我々の「事業」とは何かを定義づけることから始まる。
・「顧客」によって「事業」は決定される。
・「顧客」を満足させることが「事業」である。
(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)

50代会社役員さんがよく言う、「現実から始めよ」とは、「現実の環境、状況を前提として、顧客を満足させることは何か考えよ」という意味に思います。そして顧客を満足というところから、顧客の「問題」を解決するとビジネスになるという意味を含んでいると思います。

でも僕はここに疑問があります。
そもそも本当に顧客の問題を解決しているのか。
顧客の「満足」≒顧客の「欲望」を満たす、に過ぎないのでないか。
つまり問題の解決とまで言わず、単に欲望を満たしただけで、顧客の問題はもちろん、世の中の問題まで解決したことにはならないのではということです。つまりビジネスはそれほど素晴らしいものでもなく、本質的には欲望を充足するだけと思うのです。

顧客を満足させるとは、言い換えると、顧客が「お金を払ってもいいものを生み出す」ということに思えます。そしてリクルート出身者はじめ企業で成功する人達は、「人々が何に金を払うか」を探す能力を習得するのにたけている。つまり今の時代では、自分のページが検索上位になるようにSEO対策をすること。また、価格ドットコムのように比較サイトを作ること。
そこには歯医者のような機械を買う必要もないし、在庫もない。あとは比較サイトの対象を変えるだけなのです。家電の比較ではなくて、老人ホーム比較サイトとか、保育園比較サイトとか。だからお金を得やすく経費も少なくなりやすい。
しかしそこで満たすのは、
顧客の満足=依頼会社の欲望を満たす、と思うのです。
それによって依頼会社、例えばホテルの欲望は満たされるけど、そのサイトの目的自体はホテルにお客を入れることだから、ホテルの改善などはしなくてもいい。まして今度は比較サイトに取り上げられないと一般人が見つけられないという状態、さらに数値化しにくいことを捨象しているだけに思います。
単に商品の値段だけが勝負の時に比較サイトはわかりやすい。しかし、1つの電化製品を何十年も使おうとしている人は市場に多くないように分析されて、そのような情報は捨象される。

つまり、売れるから何なのさと思うのです。
売れたら顧客の「欲望」をみたしただけで、それで「顧客の問題」も解決してないように思えるし、まして「社会」を良くしているのかまで必ずしも詰めてないように見えるのです。もちろんそんなこと詰めなくても、それを規制する法律がなければ法的責任もないし、誰も責めないからですね。
インドネシアにいったときから感じていた違和感ですが、超競争社会はそうやって自分の利益を最大化すれば、社会が良くなると思い込まされているのではないか。
以前の渋滞の話を出せば、バイク便によって、「早く移動したい人」の「欲望」は満たしたかのように見えるけど、社会的に渋滞がなくなるわけでないし、むしろバイクによって増えるから何も解決してない。もっと言ってしまえば、顧客は「早く移動すること」を求めているのでなく、「渋滞の解決」を求めているとすると、問題(=渋滞)すら解決していないのです。

それに対して、警察、消防、福祉、それに医者や法律家たちは、モデルが古いとは言え、その分野の体系的な専門的知識、理念(あるべき姿)を先に描き、それに近づくことを考えているんだと思う。だから売れるかどうか、今の時代を生きている人の「欲望」を満たすか考えるのが苦手で、イマイチな人達は沢山いるわけです。

以前に50代会社役員さんに私が書いた、「現実からスタートするというのは、法律家や教育者にないこと」とは、きっとこのこと意味していて、「現実の欲望」からスタートするのでなくて、まずは体系や理念から始めるのだと思います。

いま社会で必要なことは、どっちをベースにしてもいいから、サブとしてもう1つの立場取れることだと僕は思っています。そしてそれが僕のやりたいことだと思っています。

つまり、売れないことにはお金にならないけど、売れたということは買った人の「お金を払ってもいい」という欲望を満たしただけで、それによって顧客の問題、社会の問題まで解決するとは限らないということです。

生計を立てられるほど人々がお金を払うことかはわからない。しかしお金を払ってくれさえすれば、それ自体で「顧客の問題」、「社会の問題」を解決してるという考え自体はもはや否定すべきではないのか。「顧客の満足」とは、「買った人の欲望が満たす行為」程度のもので、そこに顧客の問題の解決も、社会的効果は原則として入ってこない。

身近な例です。
お腹が減るから、お菓子を食べる。
これはおかしを食べることで太る原因になることやトランス脂肪酸を取ることになるので、さらに太る可能性もある。だからお腹が減る場合、
お菓子を食べる≒お腹いっぱいになる≒欲望を満たす≒顧客の欲望を満たす

お菓子を食べる≒健康を損なう≠健康を維持したまま、お腹を満たす≠顧客の問題を解決または健康的な国民を増やすという問題の解決

という気がします。

僕は今回、
欲望と問題を、使い分けました。
さらに、「顧客の」欲望、「顧客の」問題、「社会の」問題と使い分けました。
使い分けをまだ意識できてないけど、私が言いたいのは、
ビジネスは直接的に、問題を解決するものでもなんでもなく、単に顧客の欲望を満たすだけが本質ということです。
欲望以外の要素が入る時は、そのような要素を入れようとしているから入るだけであって、経営者が入れようとしなければ、単に欲望を満たすだけということです。

裁判も原則は一緒。
訴訟は当該問題を解決するだけ。でも法令解釈において一貫しなくてはならないいうルールがあるから、過去の判例との整合性を考えながら判断される結果、当該事件以外の要素も入ってくる。その結果として、社会的な規範を作るに至るように思います。

経営者なら必ずそうだとは言いませんが、50代会社役員さんのように、「会社は雇用を支えたり、商品によって社会の問題を解決したりしてるのだから、批判するのはあたらない」という理屈は、飛躍していると思うのです。
もちろん、使用者が儲ける以上にビジネスに意味を持たせて手厚い保障をしたり、問題の解決まで含んでいれば別です。しかし含んでいない場合には、欲望充足をしているだけなのですから、「社会を改善しているから●●(例えば労基法、最高裁判例)を満たしてなくても許される」という理屈は成り立たないのではないでしょうか。