日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

豊穣の能登を行く 2020 - 連

2020-10-02 19:51:12 | 居酒屋
能登半島に足繁く通うことになったのは、北陸新幹線の恩恵だと昨日申しましたが、もう一つの要因として挙げられるのが居酒屋との出会いです。教祖の番組に触発され、初めて輪島を訪ねたのは一昨年の早春でした。紹介された二軒をそのまま訪ねたところ、それらがいずれも名店で、半年後にも再訪したことについては昨日も述べた通りです。去年はその二軒に揃って振られるという誤算に見舞われるも、代わりに訪ねたもう一軒の推奨店が甲乙つけ難い名店で、自ら探り当てた店も上々でした。心当たりがこれだけ増えると、一泊限りでは足りなくなってきます。いずれは輪島に連泊する機会を作れればと密かに思っていたものの、その機会が一年足らずで訪れるとは思いませんでした。今夜は「連」を訪ねます。

去年の秋、当店に予約満席で振られたときには面食らいました。それだけに、客足が鈍っている最中とはいえども、金曜はどうかという一抹の不安がありました。投宿に先立ち下見をしたところ、幸いにして満席の張り紙はなし。気休め程度に安心してから出直すと、何のことはない、カウンターに先客の姿はなく、一番奥の上席に収まるという顛末です。
ただし、下駄箱に沢山の靴が並んでいることからすると、座敷にはそこそこお客がいるようでもありました。店主はカウンターで休む間もなく包丁を捌き、奥の厨房にも女将、跡取り、若女将らが引っ切りなしに出入りします。いつの間にやらカウンターにも一人客が続けて入り、時間が経つほどむしろ活況を呈してきました。こうなると注文も立て込んできます。刺身、枝豆、もずく酢まではすぐ出たものの、その次に頼んだ虎魚がなかなか出てきません。しかもようやく出てきたのが、一人客には持て余すほどの代物でした。これで700円とは天晴れです。
「山海」だけが頼みの綱だった昨晩と違い、今夜は複数の持ち駒があります。暖簾をくぐった時点では、はしごをするつもりでいました。中盤以降の間延びが響き、二軒目は時間的に厳しくなったわけなのですが、飲食店がどこもかしこも大打撃を受けているご時世、当店の健在ぶりを見届けられただけでも十分ということにしておきましょう。


輪島市河井町24-17-21
0768-22-8414
1730PM-2200PM(LO)
木曜定休

おれの酒
宗玄
刺身盛合せ
黒枝豆
もずく酢
おこぜ唐揚
しそおにぎり
みそ汁
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豊穣の能登を行く 2020 - 一石二鳥

2020-10-02 19:24:06 | 北陸
橋を渡って投宿し、本日の走行は終了です。出発からの走行距離は1320kmに達しました。昨日輪島に着いたときが1200kmほどだったため、一日で120kmほど走ったという計算です。輪島から禄剛崎まで50kmあるにもかかわらず、さらに周回して戻っても70kmとは意外に少ないと感じます。やはり、最短に近い経路で輪島に戻ってこられたのが大きいのでしょう。なまじ先へ進んでいれば、今度は帰りの移動が面倒になるところでした。行きと帰り、いずれで大回りをするかの違いだけだったということです。ならば禄剛崎にも行けた方がよいに決まっています。終わってみれば一石二鳥でした。
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豊穣の能登を行く 2020 - 酒のたかた

2020-10-02 18:46:42 | 酒屋
初めて輪島に来たときからそうだったかどうか、国道の橋の袂に蔵造り風の小洒落た酒屋があることに気付きました。昨晩着いたときには閉まっていたものの、今夜は明かりがついていました。「酒のたかた」と扁額にはあります。長きにわたる足止めを経て、松本以来七ヶ月ぶりに旅先で酒を買う機会が訪れました。
ただならぬ店構えに比して、感嘆するほどの品数ではありません。しかし、県産の酒を主体にした品揃えはこちらの好むところでもあります。冷蔵庫には何種ものひやおろしが並び、今まさに花盛りの様相です。加賀の酒も揃う中、やはり能登、それも輪島の酒を選びたいという心情が働きました。千枚田と白菊の二者択一という状況で、県外での入手がより困難な前者を選ぶという顛末です。

酒のたかた
輪島市河井町24-11
0768-22-0147
900AM-1900PM
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豊穣の能登を行く 2020 - 西の空

2020-10-02 17:51:11 | 北陸
見附島で日が暮れたということは、昨秋と比べてもほとんど上積みできなかったということを意味します。蛸島までは早く進行したものの、そこから能登線の跡を辿り始めたことで、貯金を使い果たす形となりました。しかし、結果としてはこれでよかったともいえます。最短経路に近い形で輪島に戻れる場所だったからです。内陸の県道を飛ばして行くと、30分もかからずに半島を横断することができました。国道に合流してしばらく走れば、輪島へ続く海岸線を一望できる峠があります。路側帯に車を止め、暮れなずむ西の空を眺めているところです。この空を追いかけながら戻ります。
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豊穣の能登を行く 2020 - 見附島

2020-10-02 17:06:15 | 北陸
ここまで来たなら是非とも再訪したかったのが見附島です。去年の秋、その日のうちに高岡へ戻るべき状況で、時間が押しているにもかかわらず立ち寄ったのがここでした。しかし、それに十分値すると思わせる名所でもありました。浜辺からほどよい距離を置いた場所に切り立った白い岩肌が屹立し、夕日に染まっていたのです。
奇しくもほぼ同じ時間帯に再訪するも、あのときと違って雲が一切なく、岩だけ撮ってもやや画竜点睛を欠いてしまうのが惜しまれます。しかし、今回ならではの収穫もあるにはありました。立山連峰らしき高い山影が、彼方に浮かんでいるのです。禄剛崎では見渡す限りの大海原が広がって、立山など影も形も分かりませんでした。徐々に南下してきたことを実感する眺めです。
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豊穣の能登を行く 2020 - 鵜飼駅

2020-10-02 16:49:11 | 北陸
続いて訪ねるのは鵜飼駅です。鳥が翼を広げたようにも見える大柄な駅舎は、平成初期の改築でしょうか。駅としてお役御免になった後も喫茶店が入り、あたかも現役のような佇まいです。対向式のホームからは、交換可能な駅だったことが分かります。ただし、開業時からあったと思しき上り線のホームと違い、下り線のホームは後年増設されたと思しきものです。あえなく廃止されたとはいえ、駅舎を建て替え交換設備も増設するなど、梃子入れされた時期もあったことが窺われます。
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豊穣の能登を行く 2020 - 金失木喬

2020-10-02 16:30:45 | 北陸
上戸駅を出てしばらく行くと、小川を跨ぐ鉄橋が現れました。用水路を跨ぐ程度の小橋梁は、ここまで来る間にいくつかあったものの、ある程度の長さを持つものとしてはこれが初です。しかし、その先に続いていたはずの築堤はセメント工場の敷地に飲み込まれ、影も形も分かりません。
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豊穣の能登を行く 2020 - 上戸駅

2020-10-02 16:18:17 | 北陸
芝生の広場に飲み込まれた線路の跡は、跨線橋を過ぎると再び復活します。所々農地と同化したり、深い藪に埋もれたりしながらも続き、その先に現れるのが上戸駅です。本日訪ねてきた中では初めてとなる、ホーム一本だけの無人駅でした。ホームの脇に桜の木々が並んでいるのは正院と同じです。そのうちの一本が成長し、かつて線路が通っていた場所にも覆い被さっています。十数年の流れを物語る光景です。
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豊穣の能登を行く 2020 - 跨線橋

2020-10-02 16:01:08 | 北陸
飯田を出ると周囲が再び開けてきます。高台からまっすぐ下る築堤は同床の砕石ともども残り、勾配標も建っていました。平地に下りた地点には踏切の警報器の台座が残り、すぐ先には用水路を跨いでいたコンクリート橋があります。ところがそこを過ぎるや否や、線路の跡はパークゴルフ場らしき芝生の広場に飲み込まれ、一転して影も形も分かりません。広場に覆い被さるような国道の跨線橋も、今や無用の長物と化しています。
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豊穣の能登を行く 2020 - 飯田駅

2020-10-02 15:31:03 | 北陸
痕跡が希薄だった珠洲駅の前後とは対照的に、見応えのある遺構が増えてきました。珠洲の市街を山側に迂回する線形に変わったからでしょう。トンネルを二つ抜けた先にあったのが飯田駅です。
蛸島、正院と同じ様式をした駅舎の玄関には、国鉄時代に名乗っていた珠洲飯田駅の切り抜き文字が掲げられ、同じ書体で「小さい忘れもの美術館」なる表記が追加されています。玄関の脇に鎮座する木製のベンチは、待合室に置かれていたものでしょう。やや荒れ気味だった蛸島、正院の両駅より矍鑠とした佇まいに映るのは、駅としてお役御免になった後も、他の用途に使われていたからなのかもしれません。
それ以上に特筆すべきは全体の佇まいです。駅は国道から山側に少し入った住宅地に忽然と現れます。ホームだけの無人駅ならありうるとしても、バスも転回できそうな広い駅前はいかにも不釣り合いです。駅舎は線路に対して直角に建ち、その背後からは長い階段が築堤上のホームへと延びており、そのホームには何故か有蓋車が据え付けられていました。鉄道華やかなりし頃には、この駅にも大勢の乗客が降り立ったのでしょうか。今となっては兵どもが夢の跡です。
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豊穣の能登を行く 2020 - 高規格

2020-10-02 14:55:58 | 北陸
珠洲の市街地が近付くにつれ、道路に転用された区間が出始めました。それが一旦尽きたところに現れるのが、道の駅となったかつての珠洲駅です。その先にあった橋梁は跡形もなく消え失せたものの、川を渡った直後から築堤が始まり、国道とその一本先の道を跨ぐ地点には橋台が残っていました。竣工年次を示す1963の刻印がなくとも、高規格と一目で分かる構造物です。
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豊穣の能登を行く 2020 - 正院駅

2020-10-02 14:28:02 | 北陸
路盤がおおむね残っているのを確かめつつ、一つ隣の正院駅まで辿りました。珠洲までの三駅は再訪ですが、昨秋は迫り来る日没に追われ、駅舎とホームが残っているのを確かめるのが精一杯でした。改めて訪ねると、柵、標識、境界標など細かなものまで残っているのに気付きます。ホームとその向かいには桜の木々が並んでおり、これらが咲けばさぞや絵になったのだろうと想像させられます。
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豊穣の能登を行く 2020 - 放置

2020-10-02 14:04:03 | 北陸
蛸島を出るや否や現れるのが、かつての本線上に放置された気動車です。本線上に車両が残っているといえば、三井芦別の専用鉄道が思い出されます。保存を目的にしたあちらと違うのは、文字通りの放置に近いことです。かつては有志の手によって動態保存されていたと聞くものの、今ではその様子もありません。築堤上に置かれた車体は遠巻きに見る限り荒れ放題で、このまま解体されてしまってもおかしくはなさそうです。とはいえ、針葉樹林の間を抜けてきた線路が、緩やかに弧を描く築堤の眺めからは、この車両が現役だった頃の姿が偲ばれます。
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豊穣の能登を行く 2020 - 蛸島駅

2020-10-02 13:32:47 | 北陸
寄り道を控えたのが奏功し、日が十分高いうちに蛸島へ着くことができました。去年に比べて二時間弱早まったに過ぎないため、駅だけでなく築堤、橋梁、トンネルなどの様々な構造物が残る沿線を、くまなく訪ね歩いていてはきりがありません。大量の積み残しをして終わるのだろうとは思います。しかし、ある程度まとまった時間を注ぎ込めば、何日かかりそうかという見当はつくかもしれません。始めのうちは時間を気にせず辿ってみます。
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豊穣の能登を行く 2020 - 禄剛崎

2020-10-02 12:34:37 | 北陸
能登半島の果てまで行くという宿願を昨秋ついに果たしたとき、一年足らずで再訪する機会が来るとは思いませんでした。出発から1250kmを走破して、半島最北端の禄剛崎に着いたところです。
あのときは灯台が改修中で肩透かしを食らいました。しかし、それが心残りだったから再訪したというわけでもありません。国道をそのまま走れば珠洲市街まで短絡できます。蛸島との間は昨秋も訪ねたため、珠洲から先を辿って行けばよかろうと、千枚田を出た時点では思っていました。しかし、海沿いの快走路を北上し、禄剛崎へ行く県道との分岐点にさしかかったとき、どこまでも走りたいと強く思いました。直進するつもりのはずが、咄嗟に舵を左へ切った次第です。
高岡からここまで走ってくる間、目指す先には常に半島が見えていました。しかしこの岬に立つと、目の前には渺茫たる日本海が広がるだけです。ここが地の果てだと実感させる眺めが忘れられなかったとでも申しましょうか。再びこの地に立てたことを幸いに思います。
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