日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

寄る年波 2013初夏

2013-06-10 23:20:05 | 旅日記
先週末、旅先で不惑の節目を迎えたわけなのですが、改めて思うのは、二十歳、三十路の節目に比べて今回はやけに感慨深いということです。というのも、迷走に迷走を繰り返した若かりし頃に対し、今の自分にある意味迷いがなくなったと感じるからです。

一言でいうなら、寝食を忘れてとことん打ち込むことができる「生き甲斐」と、好むと好まざるとに関わらずやってくる「日常」との違いが明確になってきたとでも申しましょうか。生き甲斐とはもちろん一人旅、一人酒であり、日常とはそれ以外のあらゆることどもを指します。そして、前者にはますますのめり込む一方、後者に対しすっかり無関心になったというのが、過去一、二年の間に生じた顕著な変化です。
どれだけ無関心かといえば、TVと新聞はもちろんのこと、最近ではポータルサイトを見ることもほとんどなくなり、ブラウザのホームはまっさらな空白のページに設定しているほどです。俗世間の細々したニュースなどに時間をとられるのが煩わしくて仕方ないからで、新幹線の車内で間断なく流れる字幕ニュースに苦言を呈したのもこのような理由によります。それと当時に、人付き合いというものが今までにもまして億劫になりました。人生八十年も半ばを過ぎて、一生の残り時間が見え始めると、日常のことどもに忙殺されるがまま時間を空費していくのが、もったいないことのように思えてならないのです。

これは見方を変えると、世間の価値観と自分の価値観との間に、埋めようのない隔たりが見えてきたということでもあります。「いい学校」「いい会社」という言葉が象徴するように、安心感に包まれた一生こそ幸福という、我が国においてきわめて根強く存在している価値観が、自分にはどうしても合わないとでも申しましょうか。永年感じていた違和感が、この歳になっていよいよ明白になったと強く感じます。
「いい学校」を出て「いい会社」に入ることこそ幸福だという価値観を叩き込まれて育ったのが十代までの人生であったとすれば、後者において見事なまでに挫折した二十代半ばからの十年は、知らず知らずのうちにその価値観にとらわれ、必死に修復を試みながらも迷走を繰り返したという点で、まさに「失われた十年」といってよいでしょう。そんな生き方にようやく見切りをつけたのは、三十五になる年のことです。それ以来、趣味中心の自由で気楽な暮らしを謳歌して現在に至るというのが我が半生でした。
このような紆余曲折があるだけに、もはや金と出世には何の頓着もありません。もちろん、「ワーキングプア」という言葉ができる前から、そのような境遇を時代に先駆けて経験してきた一人としては、生きる上で最低限の金が必要だということも分かっています。しかし、歳を重ねるにつれて、金などいくら求めてもきりがないということが解りかけてきたのもまた事実です。高級外車、高級マンションだけでは飽き足らず、別荘、自家用ヨットにクルーザーと湯水のように金を注ぎ込み、さらには子供を「いい学校」にやりたいなどと考えれば、数千万単位の金は軽く使い切ってしまうでしょう。一千万稼げば二千万欲しいと考え、二千万稼げば三千万欲しいと考えるに決まっています。しかも、なまじ稼いでしまえば翌年の住民税を払うだけでもただ事ではありません。結局は、今の暮らしを維持するために際限なく働き続けるしかないのだということが、何となく分かってきたという次第です。
そうして土日も深夜もなく働き続ける人々の姿を見るに、むしろ生活に困らない程度の収入を得て、自由に楽しくやれればそれで十分ではないかという考えが、自分の中で年を追えば追うほど強くなってきました。先人の言葉を借りれば、まさに「夢と勇気とサムマネー」です。そんな価値観が確立したという点ではまさに不惑といえ、自分にもようやく年相応の貫禄が身についてきたかと思うと、何やら感慨深いものを感じます。

このような人間だけに、当然ながら出世とは全くの無縁であり、結婚して身を固めるなどという殊勝な生き方も到底できないでしょう。世間の価値観からすれば負け組そのものであり、そのような誹りを受けるのも当然のことと覚悟しています。しかし、自分自身敗北感というものは全くといっていいほどありません。守るべき家族もなければ財産もない気楽さ、明日が晴れだと聞けばすぐさま荷物をまとめて旅立てる身軽さ、そういったものが今の自分にとっては何物にも代えがたい幸福だからです。身を粉にしてあくせく働いたなら得られたであろう金は、身軽さ気楽さを買うために注ぎ込んだのだと割り切れば、こんな浮き草暮らしも悪くはないと思えてきます。
ブラインドを閉め切った職場で朝から晩まで机に向かい、気づけば一週間が過ぎていた、一度限りの人生がそのような日常の繰り返しではやりきれません。たとえ負け組と笑われようとも、風の吹くまま気の向くままに各地をさすらい、花鳥風月を愛で、五感を研ぎ澄まして四季の移り変わりを感じ取りたい。それが不惑を迎えた自分の偽らざる心境です。
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