日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

かつてない問題

2021-08-06 21:13:11 | 旅日記
出発がいよいよ迫る状況で、かつてない問題に直面しました。今からやろうとしていることは果たして「旅」なのかということです。結論としては、現地に落ち着くところまでをひとまず「旅」とみなします。
人生を旅そのものと捉えれば、あらゆることが旅になります。しかし自分の人生観は異なります。体力と金が続く限り旅を続けていきたいとまでは考えておらず、適度な区切りも必要という見解です。車に載るものだけ積み込み、異郷へ向けて出発するという状況には、一旗揚げる夢を抱いて上京する若者もかくやと思わせる高揚感を覚え、それは旅立ちの高揚感にきわめて近いものでもあります。かような観点からすると、現地に落ち着くまでの過程を「旅」とみなすことについては迷いがありませんでした。問題は、現地での暮らしが果たして「旅」といえるかどうかです。
これまでの生涯において、人生は「旅」と「その他」に二分されていました。「旅」とは生き甲斐そのもので、「その他」は好むと好まざるとに関わらず繰り返す日々の暮らしです。つまり「その他」と「日常」は完全に一致していたということで、これは無味乾燥な都会暮らしの中にあって、「日常」には楽しみを積極的に求めてはいなかったことを意味します。しかし、異郷で暮らすこれからは、旅先におけるのと同様の楽しみが「日常」の中に混在することになるかもしれません。その結果、「旅」と「日常」「その他」を区別して、専ら前者に関することを綴ってきたこのblogにおいて、現地における「日常」をどのように位置付けるかが問題として浮上しました。いまだ確たる答えは出ないため、新居に落ち着くまでを「旅」とみなすことだけ決めたという次第です。

出発を前に去来するのは、家族からの旅立ちを唄う「北陸ロマン」の一節です。曲中に登場するのは、かつて理解しかねた言葉の意味を、大人になってから噛みしめる主人公です。つまり、然るべき時期に巣立ってそれ相応の経験をしてきたことが前提で、この歳になって今更実家を出るろくでなしがいることを、作者は全く想像していないのだろうと思います。しかし、どのような経緯であれ、故郷を離れて北陸へ旅立つという境遇だけは同じです。そう思うと、今までの旅立ちにはない感慨が押し寄せます。
初めての旅で巣立ち、一人で生きる淋しさ乗り越えた主人公が、二度目の旅に選んだのは感謝を伝える旅でした。そのいわんとするところは明らかでないものの、異郷での暮らしの中でようやく気付くありがたみはいくつもあろうと想像します。旅から旅の暮らしの中では気付けなかった出来事を、しみじみ感じることができれば幸いです。
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