日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

年貢の納め時

2021-06-14 20:47:38 | 旅日記
「断捨離」なるものには感心しないと以前も述べました。提唱者のサイトによると、「断捨離」とは「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」を意味します。つまるところ、日々の暮らしを快適にすることに主眼が置かれているということです。しかし自分にとって、日常は好むと好まざるとにかかわらず繰り返されるものであり、それを快適なものにしようという発想がありません。とはいえ、散らかりすぎると日々の暮らしに差し障るのも事実です。この度不承不承ながらも身辺整理を進めることになりました。
直接の要因として挙げられるのは、職場が縮小されることです。正確にいうと、広さを変えずに収容力を上げるといってもよいでしょうか。個人の席を廃止して、長机を整然と配置することにより、同じ事務所により多くの従業員を収容可能にするという、時代に逆行するかのような対応です。これに伴い、職場にあった私物の多くを持ち帰らざるを得ないことから、それ相応の空間を自宅に作る必要性に迫られたという次第です。
持ち物を整理整頓することも、潔く捨てることもできない性分と自覚して以来、物は極力買わないようにしてきました。しかるに物が増えるのは、旅先から持ち帰る雑多な物が溜まっていくからです。ただし、それだけではないということに気付いてきました。好むと好まざるとにかかわらず、毎月送られてくる書類もかなりの量になるのです。大別すると会報、請求書の二つですが、特に後者が持て余します。最たるものが、キヤノンから送られてくるフォトサークルの会誌です。上質な用紙を奢り、色鮮やかな作品を数多掲載する100頁近い月刊誌は、実質無料の会誌として破格の部類と思います。しかし、入会したそもそもの動機は修理代が割引になる特典であって、会報自体に興味はありませんでした。旅から旅に明け暮れる日々の中で、大部な会誌に目を通す時間も惜しまれて、ほとんど開封もせずに積み上げてきたのが実情です。これ以上放置するのが精神的にも好ましくない状況に至り、ようやく整理を試みたわけなのですが、積み上げられた山の中からは三、四年前に刊行されたものがいくつも出てきました。要はそれだけ長く放置していたということです。ならば自室が散らかるのも当然のことではあります。
力作揃いの誌面だけに、読まずに捨てるのは忍びなく、それが長年放置してきた理由でもあります。せめて一読してからとも考えはしたものの、挫折するまでにそれほどの時間はかかりませんでした。一言でいうと読み疲れしてしまうのです。掲載される作品には、プロかアマかにかかわらず、自らの感性を映像として表現し、世間に問うていこうとする意欲がほとばしっています。旅の記録の一環として写真を撮っているだけの自分にとっては、そのただならぬ意欲がむしろ煩わしく感じるとでも申しましょうか。同じ芸術であっても、自身全く心得のない書画骨董なら、全てが猫に小判です。なまじ分かってしまうため、かえって煩わしく感じるという点では、音楽の好みに近いといってもよいでしょう。積もりに積もった数年分に目を通すのは到底無理と判断し、一思いに処分するという顛末です。
そのようなわけで、散らかり放題だった自室は多少なりとも片付きました。しかし、職場から持ち込む物品が加われば、元の木阿弥ともいえます。「断捨離」の境地を目指すつもりは毛頭ないものの、この機会に雑多な物共をもう少し減らした方が賢明でしょう。今が年貢の納め時と言い聞かせ、単調で不毛な作業を続けることになりそうです。
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