日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

一念発起

2021-06-20 20:57:02 | 旅日記
既報の通り、車は一年点検のため入庫中です。四週続いたBETTAKO詣でも一回休み、密かに温めていた構想を、この機会に披露しておきます。その構想とは、北陸に拠点を構えるというものです。
九州に移住した仲間について言及したのは一年前でした。ただし、当時の自分にとっては他人事でした。旅した土地に憧れて、そのまま住み着くという心情は想像に難くありません。しかし、自分にとって大切なのは、全国各地を旅する上での利便性です。かような観点からすると、今いる実家を拠点にするのが最善なのは明らかです。居候と揶揄されようとも、あえて実家を出る選択は考えられず、ましてや違う土地に住まいを構えるという発想はありませんでした。しかしふとしたことで事情が変わります。金沢を訪ねた昨秋、野町駅前の売地に目が留まりました。ここに住まいを構えれば、「わり勘」に毎日でも通えるのかと思ったとき、この土地がいくらするのかにという興味が俄に湧いてきました。帰京後に調べて目から鱗だったのは、金沢の住環境の充実ぶりです。件の土地の値段については、周辺の相場からしても数百万の模様でした。それ以上の発見だったのは、余所の土地ならあり得ないような好物件に、自分でも手が出る予算で住めることです。その中には古い町屋も含まれました。漠然と憧れていた古民家での生活が、金沢なら実現できると分かったとき、それが初めて現実的な目標として浮上したとでも申しましょうか。
このように、昨日の今日で唐突に思いついたわけではありません。それ故に、様々な理由は存在するものの、端的に述べるとすれば一念発起です。このような世の中になるまでは、大都市圏に居住して毎日職場に通勤する「古い生活様式」を、当然のこととみなしていました。しかし旧来の常識が揺らぎ、さらには職場が縮小されて、在宅勤務の併用が恒久的な仕組みになろうとしている今、異郷に拠点を構えるという選択が俄に現実味を帯びています。この絶好機に乗じるか、居候のまま終わるかと考えたとき、今しかないと思い立ったのが真相です。
何分突飛な話だけに、一笑に付されて終わるという結末も覚悟しました。ところが職場からの返答はまんざらでもなく、両親に至っては大賛成という結果です。ならば思い立ったが吉日、近々具体的な行動に移します。今のところ取らぬ狸の皮算用ではありますが、実現すれば生涯でも有数の転機となりそうです。
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年貢の納め時

2021-06-14 20:47:38 | 旅日記
「断捨離」なるものには感心しないと以前も述べました。提唱者のサイトによると、「断捨離」とは「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」を意味します。つまるところ、日々の暮らしを快適にすることに主眼が置かれているということです。しかし自分にとって、日常は好むと好まざるとにかかわらず繰り返されるものであり、それを快適なものにしようという発想がありません。とはいえ、散らかりすぎると日々の暮らしに差し障るのも事実です。この度不承不承ながらも身辺整理を進めることになりました。
直接の要因として挙げられるのは、職場が縮小されることです。正確にいうと、広さを変えずに収容力を上げるといってもよいでしょうか。個人の席を廃止して、長机を整然と配置することにより、同じ事務所により多くの従業員を収容可能にするという、時代に逆行するかのような対応です。これに伴い、職場にあった私物の多くを持ち帰らざるを得ないことから、それ相応の空間を自宅に作る必要性に迫られたという次第です。
持ち物を整理整頓することも、潔く捨てることもできない性分と自覚して以来、物は極力買わないようにしてきました。しかるに物が増えるのは、旅先から持ち帰る雑多な物が溜まっていくからです。ただし、それだけではないということに気付いてきました。好むと好まざるとにかかわらず、毎月送られてくる書類もかなりの量になるのです。大別すると会報、請求書の二つですが、特に後者が持て余します。最たるものが、キヤノンから送られてくるフォトサークルの会誌です。上質な用紙を奢り、色鮮やかな作品を数多掲載する100頁近い月刊誌は、実質無料の会誌として破格の部類と思います。しかし、入会したそもそもの動機は修理代が割引になる特典であって、会報自体に興味はありませんでした。旅から旅に明け暮れる日々の中で、大部な会誌に目を通す時間も惜しまれて、ほとんど開封もせずに積み上げてきたのが実情です。これ以上放置するのが精神的にも好ましくない状況に至り、ようやく整理を試みたわけなのですが、積み上げられた山の中からは三、四年前に刊行されたものがいくつも出てきました。要はそれだけ長く放置していたということです。ならば自室が散らかるのも当然のことではあります。
力作揃いの誌面だけに、読まずに捨てるのは忍びなく、それが長年放置してきた理由でもあります。せめて一読してからとも考えはしたものの、挫折するまでにそれほどの時間はかかりませんでした。一言でいうと読み疲れしてしまうのです。掲載される作品には、プロかアマかにかかわらず、自らの感性を映像として表現し、世間に問うていこうとする意欲がほとばしっています。旅の記録の一環として写真を撮っているだけの自分にとっては、そのただならぬ意欲がむしろ煩わしく感じるとでも申しましょうか。同じ芸術であっても、自身全く心得のない書画骨董なら、全てが猫に小判です。なまじ分かってしまうため、かえって煩わしく感じるという点では、音楽の好みに近いといってもよいでしょう。積もりに積もった数年分に目を通すのは到底無理と判断し、一思いに処分するという顛末です。
そのようなわけで、散らかり放題だった自室は多少なりとも片付きました。しかし、職場から持ち込む物品が加われば、元の木阿弥ともいえます。「断捨離」の境地を目指すつもりは毛頭ないものの、この機会に雑多な物共をもう少し減らした方が賢明でしょう。今が年貢の納め時と言い聞かせ、単調で不毛な作業を続けることになりそうです。
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反撃の狼煙

2021-05-27 20:47:14 | 旅日記
一連の騒動が表面化した頃は、疑心暗鬼になった人々が責任を擦り合う様子に心底辟易させられました。あれから一年、お門違いな政策は見直されるどころか卑劣さを増しています。しかし、人々は良識を取り戻しつつあるようです。いわれのない攻撃に晒され続けた飲食業の立場から、反撃の狼煙がついに上がりました。
風の便りに聞いたのが、「獺祭」の蔵元による意見広告が全国紙に掲載されたという話です。この意見がいたく感服させられるものでした。名だたる論客らの発言を引用しつつ、飲食業を地域経済の担い手と位置付け、その存立基盤を危うくしている無理無体な政策を批判するのがおおよその趣旨です。無闇に批判をするのではなく、客観的な事実に基づき理路整然と提言をする論調からも、蔵元の意思を尊重しつつ、有識者の意見も踏まえて慎重に練り上げられた過程がありあり窺われました。
お門違いな政策が一段と卑劣さを増すに至って思うのは、もはや感染防止策などではなく、弱い者いじめと化していることです。騒動の根源にある「古い生活様式」を死守したい勢力が、矛先を飲食店に向けさせて、国民が加担せざるを得なくなるように仕向けているということもできます。庇った者まで標的にされかねない風潮も顧みず、一石を投じた英断に対しては、敬服するほかありません。
飲食店を守ることも日本の「いのち」を守ること、という表題は、まさに至言と思います。命命と喚く連中ほど、自分の命が何に支えられているのかを全く分かっていないからです。自分自身の健康体は、日頃飲み食いするものによって構成され、それは取りも直さず食材から命をいただくことでもあります。自然の恵みに対する感謝を蔑ろにして、「命」のためなら食材をいくら廃棄しようとも構わないとでも言わんばかりの政策は、たとえ感染防止のためであっても言語道断です。志ある人々による提言が、潮流を変える契機となることを願ってやみません。
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見送り

2021-05-21 22:18:01 | 旅日記
二週ぶりに遠出したいのはやまやまのところ、残念ながら業務が片付きませんでした。明日を注ぎ込み挽回せざるを得なくなったことにより、泊まりがけでの活動も残念ながら見送りです。せめて日曜だけは死守できるように努めます。
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猫に小判 2021初夏

2021-05-20 19:34:32 | 旅日記
先月は物入りとなってしまいました。中旬から花見の旅が始まったのもさることながら、何といっても大きかったのは機材です。今日は大枚をはたいて買った最新鋭機の印象について綴ります。
自身にとって初めてのデジタルカメラは、一昔前に中古で買ったEOS-1 Ds MarkIIIです。プロ用の最高級機とはいえども、銀塩のEOS-1Vに性能面で数段劣るというのが当時の印象でした。しかしその三年後、EOS-1D Xの導入によって評価は一変します。数字以上に引き上げられた圧倒的な性能は、まさに革命的でした。デジタル写真が実用に耐えうるものになったと実感できたのは、自分にとってこの機種からです。その一方で、これをも超える性能が必要なのかとも思いました。二年後に出た後継機に手を出さず、七年近く使ってきたのもそのためです。
二世代後の現行型がどれだけ進歩を遂げたかについて、関心は当然ながらあったものの、その結果はよくも悪くも想定内でした。たしかに進歩はしたものの、もはや素人が体感できる次元を超えているのです。最高時速300km以上を謳う高性能車も、公道においては宝の持ち腐れです。サーキットで限界を極める走りをしない限り、性能を余すことなく引き出すことはできません。それと同様、カメラにおいても最高級機は一部のプロしか使いこなせない代物に変貌したと感じます。代替わりの都度、性能以上に価格も大きく上がってきたことからすると、三年後に出る後継機は百万の大台を突破するでしょう。現行機ですら持て余している腕前では、まさしく猫に小判です。最高級機を奢るのは、これが最後となるかもしれません。
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一人ひとり

2021-04-30 22:26:08 | 旅日記
世界的祭典の前座が公然と行われる一方で、責任を個人に転嫁する風潮はますます強まってきました。そのことを象徴するのが、お上が盛んに唱えている「一人ひとり」なる物言いです。
そもそも「自粛」とは、自らの判断により慎むことです。「不要不急」の事共を槍玉に挙げること自体、お門違いと再三主張してきましたが、百歩譲ってそれを基準にする場合でも、「不要不急」かどうかを各自が判断できない限り、「自粛」としては成り立ちません。その限りにおいて、「一人ひとり」の行動を求めることには一見すると理があります。しかし、これほど欺瞞に満ちた言葉もありません。「一人ひとり」が行動すれば、その結果は千差万別となってしかるべきにもかかわらず、結果としてお上の思う壺にはまるよう、様々な規制が課せられているからです。作為的な情報を流して人々の思考を麻痺させ、意のままに行動するよう仕向けているという点では、いわゆるマインドコントロールの一種といってもよいでしょう。極めて悪質かつ卑劣な政策です。なまじ「自粛」をしてしまえば、それをますます助長することになりかねません。いつから復帰しどう動くか、いまだ流動的ではありますが、無闇な「自粛」は一切しないと改めて明言します。
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休養

2021-04-29 19:17:03 | 旅日記
予報通りに朝から雨でした。それがますます強まって、土砂降りの雨が強風に乗って窓を叩きます。これではどのみち活動にならなかったでしょう。体力の陰りが年々露わになりつつある中、中三日での活動を三回続けるのも難儀です。「迷ったら買え」の原則を持ち出すまでもなく、休養に充てられたことがむしろ幸いに思えてきました。
昭和の日から一日置いて五連休があり、中二日で翌週末につながるのが今年の暦です。つまり、三日休めば11連休となります。これだけ長い休みとなれば、旅先として思いつくのは北海道か九州です。花見の旅と一体化して考えると、北海道へ渡るのが最も自然ではありますが、今年については九州も一応検討していました。異例の早咲きとなったことにより、連休前に花見を終える余地は十分あったからです。「新しい生活様式」なるものが掲げられ、公共の場における制約が何かと多い現状からしても、久々に自分の車で行くという案は理想的でした。それを結局見送ったのは、お門違いな「要請」が各地で罷り通っている現状において、自衛策を講じる必要があったからに他なりません。九州各地を転戦するなら、各県の街に泊まって一杯やるのが主題の一つになってきます。いつどこでお上の「要請」が下されるかも分からない状況では、興醒めせざるを得ないと判断した次第です。その結果、桜を追って北上し、あわよくばそのまま北海道へと企てて現在に至るわけなのですが、東北編で歴史的な大勝を収めたことにより、さらに北上していく意欲が後退しつつあることは、帰京の前に言及した通りです。その時点では、五連休の間に車を回送できればよいと割り切っていたものの、ここへ来てそれが果たして最善なのかという疑問が湧いています。
第二部が今回に近い状況でした。天候には多くを期待することができず、極論すれば盛岡まで車を回送するに等しかったからです。そうと知りつつ続行したのは、翌週の弘前に賭けるつもりだったからに他なりません。あの場面で撤退していれば、空前絶後の完勝は訪れなかったことになります。それに対して今回は、さらなる続きに関する展望がありません。一昨年のように何週にもわたって南下をするならともかく、今回は淡々と走って帰るのが関の山でしょう。それではいかにもつまらないという考えが、次第に強くなりつつあります。その一方で、「まだやれる」と判断するに足る、具体的な構想までは浮かびません。どのように幕を引くかについて、引き続き考えていくつもりです。
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奮起

2021-04-21 22:39:35 | 旅日記
五日の業務を三日に詰め込もうとすれば、今日など修羅場必死だろうと覚悟しました。しかし、弘前の散り際に駆け込みたいという明確な目標が、自身を奮起させました。どうにか業務を片付けて、明日から休める見通しが立ったところで列車を手配し、先ほどようやく準備が整ったところです。
二度目の帰京の起点となった盛岡へ戻り、そこから再び北上して、真打の弘前を目指すのが第三部の主題です。週明けと週末のどちらに休みを付け足すかの選択にあたり、迷いなく後者を選んだことについては帰京の前にも述べました。弘前に関する限り「満開至上主義」は必ずしも妥当しません。満開の間に中座を余儀なくされるよりも、それ以上の山場というべき散り際をしかと見届けたかった次第です。幸いその狙いは的中してくれるかもしれません。早咲きの桜が散り始め、遅咲きの桜はまだ満開というのが最新の情報だからです。
一刻も早く乗り込みたいという心情がある一方で、北上する過程に本質があるという持論に従えば、盛岡から脇目も振らずに走ろうとまでは思われません。明日の夜桜から始め、翌日を終日注ぎ込もうというのが今のところの予定です。しかし、再開が仮に一日でも遅れれば、その分散ってしまうだけでなく、終日滞在できる日がよりにもよって土曜に重なります。かような観点からすると、休みを二日もらえるかが決定的に重要だったのです。満額支給を勝ち取れたのは大きいものがありました。
ますます焦臭くなってきましたが、今のところ見物客の受け入れを中止するとの情報はありません。二年ぶりとなる弘前の桜を、心置きなく楽しめれば幸いに思います。
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朝令暮改

2021-04-20 21:50:43 | 旅日記
今朝方小耳に挟んだのは、お上が再び強硬策を検討中という噂です。年初から延長を繰り返しつつ続けられてきた強硬策が、先月に一旦撤回されたのも束の間、今月になると新たなお触れが下されて、それすらも半月足らずで反故にされます。しかし、花見の旅は既に始まり、一時中断しているだけです。朝令暮改には対応できません。
一年前、花見の旅をいともあっさり見送ったのは、旅先の皆様方の心情を慮ったからに他ならず、お上によるお門違いな「要請」に従ったということではありません。お上が「自粛」を「要請」できるという理屈は、「不要不急」かどうかを各自が判断できることを暗黙の前提としています。かような観点からしても、「自粛」させられるいわれはそもそもありませんでした。しかし、旅とは他人様の善意に少なからず支えられて成り立つものです。得体の知れない代物に誰もが怯え、責任を擦り合っている状況で、無理矢理押しかけようとは思われませんでした。そのような事態はひとまず解消され、今や世界的祭典までもが開かれようとしています。その前座が、今般のお触れによっても見直されずに続く以上、こちらの旅もそのまま続けていくまでです。
一連の騒動を招いたそもそもの発端は、大量の労働者が一斉に働き、一斉に休む「古い生活様式」にあると主張してきました。しかるにその「古い生活様式」は棚上げにされる一方、矛先は「不要不急」の事共に向けられ、個人の犠牲において資本家の利権が守られようとしています。仮に人類がこの騒動を乗り越えても、強きを助け、弱きを挫く卑劣な政策は、恥ずべき歴史の一部として後世に語り継がれるでしょう。その片棒を担がされるいわれはないと断言します。非国民と誹られても、自らの信条に基づき行動するつもりです。
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東北縦断花見の旅 2021続編 - 山桜

2021-04-18 11:00:30 | 旅日記
仙台に着くと桜はとうに散っていると先ほど申したばかりですが、ここでいう桜とはソメイヨシノを指しています。西公園をそのまま歩いて広瀬通を跨いだところ、山桜が二本咲き残っていました。しかも一本は満開です。仙台市街についていえば、山桜さえ散りかけているというのが自身の経験則でした。八重桜だけ見られればよしと思っていただけに、これは思わぬ収穫です。
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東北縦断花見の旅 2021続編 - 三日目

2021-04-18 07:23:19 | 旅日記
おはようございます。夜の長さを持て余すかと思いきや、目が覚めたのは明け方でした。米沢で夜更かしをしたこともあり、自覚する以上に疲れていたようです。時間との戦いに追われ続ける花見の旅の道中にあって、貴重な休息となりました。
花見の旅における仙台の役割を、舞台の前半と後半を分ける幕間のようなものだと評してきました。会津から米沢を経て仙台に至ると、桜はとうに散っています。しかしその代わりに鮮やかな新緑が萌え、杜の都と呼ばれる所以を実感することができます。束の間の滞在を経て東北道を飛ばし、北東北を舞台にした後半戦に臨むという一連の流れが、舞台の幕間とでもいうべき効果的な役割を果たしてきたのです。
しかし近年、その行程が長らく封印されてきました。一因として、年々進む桜の早咲きがあります。弘前の散り際までに駆け込むという前提で考えると、花見と直接関係のない仙台は素通りするしかなかったのです。山形の方から着いて一泊する行程は、実に八年ぶりとなります。その翌日が雨上がりの快晴となったのは申し分ありません。杜の都の新緑と八重桜を眺め、しかる後に再び駒を進めていくのが本日の予定です。
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糸岡シ度り

2021-04-15 21:51:56 | 旅日記
一歩でも踏み外せば破綻を来す綱渡りではありますが、どうにか見通しが立ちました。明日から東北へ戻ります。
都内の桜が花盛りを迎えた先月の後半、狙い澄ましたかのように業務が俄に切迫してしまったことを嘆きました。切迫した状況は今も続いており、週内に二日も休みをもらえたのは御の字以外の何物でもありません。花盛りのうちに弘前へたどり着くには、来週も休みをもらう必要があります。それが可能かどうかは未知数ながら、今週末に北東北まで駒を進めておくことが、最低限満たされるべき条件でした。その見通しがついたことには感謝したいものです。
天候に多くを期待できそうにない状況は変わりません。特に明後日は東北のどこへ行っても本降りの予報です。過大な期待をすることなく、距離を稼ぐための期間と割り切りますが、無欲の姿勢が好結果につながってくれれば幸いに思います。
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猫に小判 2021

2021-04-14 20:58:40 | 旅日記
通販としては生涯で最も高い買物です。ただし決断は唐突でした。次回から新兵器を投入します。
発端となる出来事は、去る活動の中で起きました。撮影直後に映写されるデジタルカメラの画像に、ゴミがはっきり映り込んでいたのです。小さな液晶画面でも分かる状況では、もはや使い物にはなりません。そこから先は予備として携行していた先代の機種で凌ぎました。帰り次第すぐ清掃に出したとしても、今週末には戻りません。しかしどのみち天候には期待できない状況でもあります。しばらく予備でやり過ごし、来週末の活動に万全を期して望むというのが、その時点における考えでした。ところが昨晩急転直下の結論に達します。その結論は、これを機会に買い替えるというものです。

自身にとって初のデジタル機だったEOS-1Ds MarkIIIから、現在主力としているEOS-1D Xに乗り換えた七年前、性能の飛躍的な向上に驚かされました。デジタルがフィルムを超えたと初めて実感できたのはそのときです。それ以来、後継機には目もくれずに使い続けたのは、自分にとって必要にして十分な性能だったからに他なりません。後継機のEOS-1D X MarkIIにも、鳴り物入りで発売されたRシリーズにも、食指は動きませんでした。買い換えの可能性がもしあるとすれば、去年出た最新鋭のEOS-1D X MarkIIIだろうとは思っていたものの、それとて今すぐにと考えていたわけではありません。EOS-1D Xの修理対応が打ち切られる来年まで粘り、その時点で考えればよかろうというつもりでした。しかるに唐突な決断に至ったのは、時間を買うという発想の転換によるところがあります。
ヨドバシカメラに発注すれば、翌日には配送されるとありました。即決すれば、今週末から最新鋭の機種を使えるということです。より長い目で見れば、元々の予定に比べて一年早く、最新の性能を手にできるということでもあります。繰り返す通り、今の機種の性能には特に不足を感じません。しかしながら、直近の活動で先代の機種を久々に使い、歴然とした性能の差を感じました。かねがね感じていた高感度性能、合焦速度の違いもさることながら、画像の処理速度も、液晶画面の鮮明さも全く違うのです。それに近い劇的な性能の向上が、現行機において実現しているならば、むしろ今すぐ手にした方が得策のように思えてきたとでも申しましょうか。昨年の足止めによって旅費が浮き、金銭的にも問題はありませんでした。物が物だけにその晩はさすがに踏みとどまったものの、一夜が明けても考えは変わらなかったため、「迷ったら買え」の原則通りに発注するという顛末です。

通販はヨドバシカメラに限るというのが持論です。どれだけ小さな品であっても送料無料、しかも大抵の品は翌日までに届きます。今回に至っては、発注したその日の晩に到着し、手元には一昨日まで眼中になかった最新鋭の機種があります。
プロによる過酷な使用に耐えうるよう設計された本機、自分にとっては猫に小判ということもできます。しかし、プロ用の機種を二十年近く使ってきて思うのは、表面的な数字では測れない、高級機だけが持ちうる余裕の絶大なる価値です。軽自動車が出す100km/hと、高級車の出す100km/hが全く違うようなものといってもよいでしょう。デジタルで初めてそれを感じたのがEOS-1D Xでした。あのとき感じた驚きは再現されるでしょうか。まずはお手並み拝見とまいりましょう。
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二年ぶり

2021-04-09 20:58:31 | 旅日記
あまりに早すぎいまだに実感できないものの、二年ぶりの機会が訪れました。明日から花見の旅に出ます。
例年なら信州へ行くところです。年によっては都内でも花見ができる時期ではあります。しかし今年の早咲きは尋常でなく、桜前線は北東北を駆け上がり、既に盛岡へ達しました。弘前の開花予想も四日後です。開花状況と社会情勢の両面で、どこまで追いかけられるのかも未知数ながら、まずは例年通りの経路を辿ります。
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寄る年波 2021春

2021-04-07 20:48:04 | 旅日記
先月以来気になっていたことがあります。昼間から鼾のように喉が鳴るのです。生活上特に支障はなかったためひとまず静観していたものの、先週から喉の痛みが出始めて、治った後も飲み込むときの違和感がわずかながらも残りました。それと同時に気付いたのは、正面または左を向いたときにだけ喉が鳴るという事実です。これは、片側だけ気道が狭くなっている可能性を示唆します。割らずにそのまま呑む酒としては度数の高い日本酒を、毎晩のようにいただいてきた習慣からして、腫物ができた可能性を一応疑うべきところではありました。しかし、耳鼻咽喉科へ出向いたところ、その結果は拍子抜けするものでした。
慢性化した鼻炎によって絡んだ痰が、右側よりも元々狭い気道の左側に溜まり、呼吸の際に振動しているという診断です。花粉症を患って三十余年、近年では眠気を催す飲み薬を嫌い、目薬だけでやり過ごすのが常でした。その方法を踏襲し、今年もどうにか乗り切れたと思っていたわけなのですが、症状は意外なところに出ていたということになります。久々に飲み薬を処方されたため、しばらくは投薬治療が続きそうです。
いよいよ年貢の納め時かと思いきや、その可能性がなくなって一安心ではありますが、無自覚のうちに慢性化した結果には違いありません。寄る年波を改めて実感する出来事でした。
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