廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

益子町 小宅小学校

2015年04月27日 10時32分08秒 | 栃木の廃校
ゴールデンウィークが始まります。
GW期間の益子町は陶器市の開催で大変な人出になりますが、
県外の観光客はまだしも県内在住で
わざわざ大混雑の益子に出かける理由がわかりません。
好みの酒器を求めるならゆっくりじっくり選びたいですからね。

そんなわけで益子の廃校巡りですが、
ここならGW中でも人に会う事も少ないのではないでしょうか。
益子町小宅小学校。2007年(平成19年)七井小学校への統合により閉校していますが、
なかなか興味深い遺構もあり楽しめました…。

まずは、今まで見た中で最高に恐ろしい二宮像をどうぞ。
ジャーン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。←オペラ座の怪人のテーマ曲



どうですか、二宮君は仮面を付けていたのです、しかも仮面の下は犬神家の「すけきよ」状態…。
おそらくは先の東日本大震災の影響と思われます。
芳賀エリアは栃木県内でも震災の被害が大きく、
多くの二宮像も損壊しています。
集会所に転用された廃校の二宮像などは
地元の方がコンクリートで修復している事も多いのですが
ここは残念な事に放置されたままです。

台座の建立時期を見ると
昭和12年7月 地元結社一同が
奉安殿並びに二宮先生銅像 を寄付したとあります。
奉安殿は、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物の事ですが、
戦後はほとんどが埋められたり取り壊されていて残っている事は非常に少ないのです。
奉安殿建立の碑なども同時に処分されたのか残っている事はまれです。



おそらく、二宮像と同時に建立されので奉安殿建立の文字も残ったのでしょう。
奉安殿は戦後地中に埋められる事が多かったようで、
敷地のどこかに埋まっている可能性もあります。
ワタシ自身現存する奉安殿は1回しか見た事はありません。
旧真壁小学校にあったものが、真壁駅前(廃線により旧真壁駅跡)に移転されています。

旧真壁駅前の奉安殿




また、二宮像は銅像だったとありますが、
これは戦時中の金属回収令によって供出された可能性があります。
国による金属回収令が出たのが昭和18年ですから、
銅像の二宮像はわずか6年ほどしか存在しなかったのかも知れません。

校歌制定の記念碑、閉校記念碑が残っています。
二宮像の近くに植えられた赤松は小宅小学校創立時に植えられたようで、
校歌にも歌われています。





























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