廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

旧馬頭町 久那瀬小学校 

2014年07月22日 19時09分05秒 | 栃木の廃校
旧馬頭町 久那瀬小学校は1967年馬頭小へ統合されています。
同じ日に訪れた松野小学校・富山小学校も翌年の1968年に閉校になっています。
馬頭町では北向田小学校(1964年閉校)に次いで閉校になった古い学校です。

桜の木が校庭跡を囲んでいますが、どれもりっぱな巨木。
桜の季節は見事でしょうね、
遺構は久那瀬尋常小学校と彫られた門柱がありますが、
どうやら元々1柱だったモノを真ん中で叩き割って2本の門柱にしたようです。
尋常小学校となっているので門柱は明治期のものと思われます。
ずいぶんと乱暴なやり方ですが、確かにここが学校跡だった証拠でもあるので、
残っているだけでもありがたいものです。

鉄棒などの遊具もありますが、さすがにこれは後から設置したものでしょう。
老人が集る機会が多いゲートボール場としても利用されているのか、
オレオレ詐欺の注意喚起の看板があります。

以下閉校記念碑より
明治8年8月 公立長善学舎創立
明治14年3月 長善学校と改称
明治17年5月 久那瀬学校と改称
明治20年3月 久那瀬小学校と改称
明治22年4月 武茂村立久那瀬尋常小学校と改称
昭和16年4月 武茂村立久那瀬国民学校と改称
昭和17年4月 高等科併設
昭和22年4月 学制改革により武茂村立久那瀬小学校と改称
昭和29年7月 町の合併により馬頭町立久那瀬小学校に改称
昭和42年3月 馬頭小学校と統合により廃校



本来は一つのものだったと思われる門柱。
尋常小学校の旧字体が重々しいですね。




馬頭町の廃校跡にはあまり見かけない廃校記念碑が残っていました。














茨城県 旧岩瀬町 岩瀬小学校富谷分校

2014年07月15日 17時40分43秒 | 茨城の廃校
茨城県旧岩瀬町、現在の桜川市に残る、岩瀬小学校富谷分校を訪れました。
近くには国宝に指定されている三重塔で有名な富谷山小山寺、通称富谷観音があります。

富谷分校は元々は南飯田小学校富谷分校でしたが、
昭和50年に岩瀬小学校の富谷分校になります。
途中から本校が変わるのは珍しいですね。
何となく離婚した両親の間を行ったり来たりしている感じがします。

南飯田小学校から岩瀬小学校の管轄に変わって9年後の昭和59年に
111年の歴史に幕を下ろしますが、
跡地はお決まりの集会所、ここでは「生活改善センター」になっています。

閉校からそろそろ30年ですが門柱にブランコなどの遊具は現存しています。
さらに特筆すべきは校庭にバスケットのボードにリングが残っています。
野球のバックネットやサッカーのゴールは見ますが、
校庭にバスケットがあるのは珍しいですね。

私が小学校のときも校庭にはバスケットコートがありましたが、
いつの間にか室内競技となって体育館でしか見なくなりました。
そう言えばバレーコートも屋外に有った気がします。












全国大会に行けたのでしょうか?
こんな落書きしているようではちょっと無理かもしれませんね。





那須烏山市 興野小学校

2014年07月10日 11時43分45秒 | 栃木の廃校
2009年に七合小学校に統合され閉校した興野小学校。


以下はまだ残っている興野小学校のHPから沿革を抜粋したものですが、
現在地に移転新築した時期が抜け落ちており不明ですが、
旧興野小学校跡地に残る卒業記念が昭和41年なので、
それ以降に移転したしたものと思われます。

明治6.3.3 明治5年「学制」発布に基づき、第6大区4小区那須上境に成美学舎を設ける。興野分校として創立する。(石塚定一郎氏宅)
明治8 区域改正のため烏山小学校分校となる。
明治20.4 学制改革により那須郡第23番学区大桶尋常小学校興野分教室となる。
明治33.1.18 興野中央に敷地を選定し、校舎を新築して開校する。
昭和12.6.1 校歌を制定する。
昭和29.3.31 町村合併により烏山町立興野小学校となる。
昭和31.4.13 旧地に新校舎を落成する。
昭和55.3.3 校章を制定する。
昭和55.9.28 校旗を樹立する。
昭和60.3.3 校訓を制定する。
平成5.2.28 敷地内にプールを新設する。
平成17.10.1 町村合併により那須烏山市立興野小学校となる


閉校から5年、遊具をはじめプール・校舎とも残っていますが、
少しずつ錆びて朽ち始めています。
学校の規模を考えると、閉校時わずか47名の児童しかいなかったことが信じられません。

興野小学校旧校舎跡はこちら









興野小学校 校歌 
野口 青眉 作詩  石井 勝也 作曲

1. 雲にそびゆる那須の峰の
  麓につづく原の末
  うねり流るる那珂川の
  水音清く澄むところ

2. 興野の里にそびえ立つ
  さくら花咲く学びやに
  身をすこやかにきたえつつ
  わざ学びゆくうれしさよ












旧馬頭町 松野小学校 

2014年07月07日 13時53分03秒 | 栃木の廃校
旧馬頭町立富山小学校の後に訪れたのは、
富山小と統合して閉校した松野小学校。
同じく1968年の閉校ですので遺構はほとんど有りません。

わずかに大正8年4月建立の記念碑が有ります。
明治期の沿革や校長の名が読み取れますが、廃校記念碑などは見当たりません。
隣の南那須町は廃校に優しく、校舎が残っていたり、廃校記念碑が有るのですが
旧馬頭町は廃校記念碑が残っているのはまれです。

今年になっても素晴らしい木造校舎だった和見小学校が取り壊されてしまいました。
廃校を利用した「もうひとつの美術館」という素晴らしい前例があるのにバカな自治体です。
フィルムコミッションに登録すれば、CMやドラマのロケ地のなったものを
むざむざ解体し近くには産業廃棄物処理場を建築する予定のようです。

今回の松野小学校も遺構は少ないですが、
なかなかお洒落なデザインの集会所が建っていました。
明かり取りの窓や、全体にシルバーのデザインが山の中のレストランのようにも見えます。
ありきたりのデザインの集会所が多い中これは素晴らしい。











校庭のすみに小さな社が移築されていました。



旧馬頭町 富山小学校

2014年07月02日 12時10分32秒 | 栃木の廃校
料理や食をテーマにしたエッセイや随筆は数多い。
有名なところでは魯山人や吉田健一、池波正太郎などの昭和の大御所から、
玉村豊男や田崎眞也などのワイン通の方々まで数多い。

でも、実際に読んでいて「そうそう、そうなんだよねー」と思う文章に出逢うことはまれ。
そんな中で、全面的に賛同してしまう話が多いのは東海林さだお氏の「丸かじりシリーズ」。

文春文庫の丸かじりシリーズは全部持ってます。
そんな数多くのエッセイの中で、時々氏の子供時代の話が出てくる。
戦時中東京から疎開していた栃木の山奥の話がそれだ。
しかも、時々当時覚えた栃木弁が出ることもある。

今回訪れたのは、東海林さだお氏が疎開していた旧馬頭町の富山小学校。
果たして、ショージ君の子供時代の面影は見つけられるか?

富山小学校は那珂川の支流富山川沿い、国道294号から1.5kmほど入った所に有りました。
現在は富山多目的集会所が建っています。
1968年松野小と統合し武茂小となって、すでに46年が経っていますので、
当時の遺構は創立95年を記念した石碑と石の門柱が移設されてあるだけです。
廃校記念碑や二宮像は有りません。

東海林さだお氏がいた頃のものはわずかに桜の木ぐらいか。
創立記念碑には校歌が刻まれていましたが
果たして氏は覚えているでしょうか。




こんな感じで通っていたのでしょうか?


集会所にゲートボール場は廃校跡の定番






古い航空写真を見ると桜の木の後ろに校舎が建っていたようです。


那珂川町 武茂小学校

2014年07月01日 10時48分23秒 | 栃木の廃校
2008年に廃校になった那珂川町立武茂小学校ですが、
廃校後は思いがけず有名になりました。

2005年に小川町と合併し那珂川町となった馬頭町ですが、
以前は県内でも山深く、栃木のチベットとも言われていました。
現在では「那珂川町広重美術館」や「もうひとつの美術館」、「いわむらかずお絵本の丘美術館」など
美術館も充実してなかなかいい感じのエリアです。

そして馬頭町の最近のイチオシグルメは「河豚」なのです。
海無し県の栃木で河豚?

実は地下から湧き出る温泉を利用して養殖されるているのです。
町内のお寿司やさんや和食処では河豚のにぎりや、河豚鍋が食べられ、
通販でも購入できる馬頭の新たな名産品となりつつあります。

そんな温泉トラフグの養殖場所がここ旧武茂小学校なのです。

こじんまりとしたコンクリート造りの校舎はなかなか凝ったデザイン。
小さいながらも存在感のあるかわいらしい校舎です。
転用されているため警備システムが有りますのであまり近づきませんでしたが、
閉校時の姿を良くとどめています。

教室数は1学年1クラスほどでしょうか? 入口のデザインが秀逸ですね。







池の跡はカエルの天国。トノサマガエルがうじゃうじゃ。



こんな教訓は大抵大人になって気づくもんです。
学んで楽しむ いい言葉だね 気づくの遅過ぎたか。



サボテンが鮮やかな花を咲かせていました。