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廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

福島県 玉川村 須釜小学校 四辻分校

2018年06月06日 17時38分11秒 | 福島の廃校
平田村の隣、玉川村に残る須釜小学校四辻分校を訪れる。
先に訪れた蓬田小学校乙空釜分校から細い山道で10分弱で到着。
集落から一段高くなった敷地は見晴らしが良く素晴らしいロケーション。

坂を登りきった場所には未だ分校名が残る門柱に閉校記念碑が出迎えてくれました。
植栽もきれいに剪定され校庭にも雑草も生えておらずきれいに管理されているようです。

須釜小学校四辻分校は明治43年10月、四辻分教場として創立。
2004年休校、2006年廃校になっており、すでに休校から14年が経っていますが
現役のような美しさを保っています。
地元の方に大切にされているのがわかります。
唯一変わったのは震災後に設置されたモニタリングポストでしょうか。


先に訪れた乙空釜分校ができる前は乙空釜集落の子供達は山道を四辻分校まで通っていたようです。
立派な門柱が出迎えてくれました。門柱の建立は昭和7年12月と刻されていました




分校までのアプローチは長い坂道。


築山の木はきれいに剪定されています。


閉校記念碑 センターのモニュメントには一輪車が彫られていました。
一輪車が盛んだったのでしょうか。





美しい校舎
ここまできれいな廃校も珍しい。















卒業記念の製作物だろうかアトム。
ピカチュウでも福島が生んだ円谷のウルトラマンでもなくアトム。
しかも、福島は今アトミックな原発で苦しんでいるという皮肉。辛いね。


福島県 平田村 蓬田小学校 乙空釜分校

2018年06月04日 10時44分24秒 | 福島の廃校
梅雨入り前の最後の晴天の週末、最近ご無沙汰の廃校巡りを再開。
福島にある木造校舎の残る分校を見てきました。

平田村 蓬田小学校 乙空釜分校は、昭和22年(1945年)に民間の家を借りて乙空釜季節分教場として開設されました。
翌年には乙空釜常設分校となり、昭和25年(1954年)には、校舎落成、 昭和29年(1954年)には平田村立蓬田小学校乙空釜分校となっています。

乙空釜(おつそらがま)はもともと明治になってから開拓された土地で、
電気が通ったのは昭和30年、水道に至っては昭和51年になってからのようで、
開拓はなかなかの苦労があったようです。
分校も開拓者の拠り所となっているのか
乙空釜開拓100周年記念碑や乙空釜分校開設30周年記念碑が残っていました。

2003年の閉校から15年が経っていますが校舎は、公民館などに転用もされていないようですが
定期的に管理はされているようです。
遊具類や錆び付いたサッカーゴールもそのまま残されています。

気になるのは校庭の半分に山積みになった土砂。
言わずもがなここ平田村はフクイチから直線で40数キロの距離。
あくまでも私見ですが、除染土壌の仮置き場になっているのかもしれません。


門柱には分校名が残っていました。
乙空釜(おつそらがま)は難読ではありませんが、なかなか珍しい地名です。



遊具類は分校の割に充実しています







15年の間で成長した木々で校舎の全体が見渡せないのが残念
左手に盛られている土砂で講堂部分が見えていません





校舎に講堂とコンパクトにまとまっている






窓ガラス越しに見える教室内も綺麗なまま





朝礼台もそのまま残っています





乙空釜開拓100周年記念碑に乙空釜分校開設30周年記念碑が残っていました。







山間の小さな分校ですがプール完備。
あまり痛んでいないので閉校時からさほど古くない時期に新設されたのかもしれません。





福島県 塙町 常豊小学校 西河内分校

2017年10月16日 18時00分26秒 | 福島の廃校
先に訪れた東河内分校からクルマで10分ほどで西河内分校に到着。
東河内分校が閉校になる2年前の1969年の閉校。

当時の遺構は立派な門柱以外は見当たりません。
集会所や新しい遊具類がありましたが二宮像や記念碑は確認できませんでした。
ただ、門柱には校名板があった場所に
「常豊小学校西河内分校 明治9年より昭和44年まで」と刻された石板がはめ込まれていました。
門柱は昭和3年に建てられたもののようです。










集会所にはお年寄りが集まっていました。
ゲートボール場にもなっているのかな?



ここにもトーテムポールがありました。
分校時代のものにしては新しい感じですので後世のものか。


この手の金網フェンスは最近は見なくなりました。
分校時代の雰囲気は感じることができます。

福島県 塙町 常豊小学校 東河内分校

2017年10月13日 17時44分26秒 | 福島の廃校
福島県塙町 常豊小学校は東河内分校と西河内分校の東西二つの分校を持っていたようです。
まずは東河内分校を訪ねてみました。
明治6年創立の長い歴史を持つ学校ですが1971年に本校の常豊小学校に統合されています。

道路からアクセスする細い坂道はなかなかいい雰囲気です。
登りきった先には広い広場に消防団関係の建物がありました。
分校跡の割には広い校庭ですが、
こちらは閉校後運動場として新たに整備されたもののようです。

朝礼台やバックネットが残っていますが閉校して45年オーバーの割には新しい感じですので、
運動場が整備されてからのもののようですね。

他に遺構が無いか探すと消防関係の建物の脇に閉校記念碑、二宮像、石の門柱を発見。
どうやら一箇所にまとめられてしまったようです。
記念碑がありますが大きく茂った木に隠され表面は見ることができません。
二宮君もだいぶ雑に扱われています。
昭和27年に寄贈した藤田氏はどう思っているでしょうね。


分校までの坂道


記念碑や当時の遺構は一箇所にまとめられている










運動場にある朝礼台は当時のものではないようだ。





分校跡の前にバス停があるが1日上下1本のみ。
路線バスの旅だとすぐ詰んでしまいますね。



福島県 矢祭町 内川小学校 茗荷分校

2017年09月21日 12時24分39秒 | 福島の廃校
福島県 矢祭町 内川小学校 茗荷分校

矢祭町の見逃している分校跡を訪ねてみました。
グーグルの航空写真を見ても校舎が残っている様子はなく、
新たに集会所らしきものが建てられているようです。

遊具や二宮像が残っていればいいほうでしょう。
最近はかなり遠出をしなくては木造校舎に出会うこともままなりません。
日帰り圏内での木造廃校を探すのはかなり難しくなっています。

そんなわけで出かけた福島県矢祭町。
福島・茨城・栃木県境にそびえる八溝山を主峰とする八溝山地は、
険しい感じではありませんがなかなかに山深いエリア。
もともとは林業集落らしい茗荷地区はわずかな水田と綺麗な川に挟まれた小さな集落でした。

分校跡には集会所が建てられ分校時代を感じさせるものは皆無。
分校創立100周年の記念碑にわずかに茗荷分校の名が残っていますが、
この記念碑、建立の日付もなく明治8年創立100周年の文字のみ。
計算すると建立は1975年ごろと思われますが、分校の沿革などもなく当時の町長の名前が刻されているのみ。
まったく使えない記念碑です。町長の自己満足だけでしょ。

1989年に本校である内川小学校に統合。閉校時は2学級だったようです。
本校の内川小学校も2016年に関河内小学校・関岡小学校・東舘小学校・石井小学校の4校と共に矢祭小学校へ統合されています。


林業が盛んな八溝地区だけあって、新たに作られた集会所は八溝杉を使ったもの。



記念碑にわずかに残る茗荷分校の文字。それ以外分校時代を思わせる遺構はありませんでした。







分校近くの川は透明度が高い。



はぜ掛けをしている田んぼも珍しくなりました。


福島県 昭和村 昭和小学校 小野川分校

2017年08月10日 13時22分19秒 | 福島の廃校
2002年に休校になり1013年に廃校になった昭和小学校小野川分校。
休校期間は11年にわたりますがその間も再開を願い管理されていたのでしょう、
校舎をはじめ荒れた感じはまったくしません。
1975年当時の航空写真には他にも2棟の校舎が確認できます。取り壊された校舎は木造だったようです。

昭和小学校小野川分校は中学校の分校〈2002年閉校〉も併設されていたようで、
門柱は小中二校の名前が掲げられていました。
山間の分校ですが開けた場所にあるせいか、明るく爽やかな印象です。
プールもあるとの情報がありましたが、ごく最近取り壊されたようです。
跡地に雑草も生えていない所を見ると解体後1ヶ月も経っていない感じです。
どうも今回の福島廃校巡りはタイミングが悪いようです。

閉校記念碑や二宮像は確認できませんでしたが、
卒業記念の作品らしきトーテムポールや遊具類がありました。

トーテムポールがいつぐらいから学校の記念碑使われるようになったのか不明ですが、
1970年代に閉校した学校に多いような気がします。
インディオやカナダの先住民族が日本に紹介された時期と重なるのかもしれません。


明るく開放的な雰囲気







遊具類と卒業記念らしいトーテムポール





ローラも放置されている



プールは解体されたようです






福島県 柳津町 西山小学校 琵琶首分校

2017年08月04日 12時25分52秒 | 福島の廃校
前々から訪れてみたかった琵琶首分校。
一度聞いたら忘れられないその印象的な名前「琵琶首」。
平家の落人か何やら謂われがありそうな名前がずっと気になっていました。
WEBで調べると校舎も残っているようです。

訪れた先には真新しい琵琶首公民館が建っていました。
見た感じはごく最近建てられたようです。残念。
工事の途中なのかブルーシートも目につきます。
帰ってグーグルの航空写真を見ると2017年撮影の写真に基礎工事中の写真がありました。
わずかに半年遅かったようです。

学校跡のすぐ近くの神社に遊具類がありましたが、
もしかすると学校から移動したものかもしれません。
閉校記念碑や二宮像は確認できませんでした。










福島県 柳津町 久保田小学校

2017年08月03日 17時43分17秒 | 福島の廃校
福島県柳津町 西山温泉
つげ義春は会津の小さな温泉宿を数多く訪れていますが、
西山温泉もつげ義春ゆかりの温泉地。
今でもつげファンが多く訪れているようです。

そんな西山温泉から細い山あいの道を進むこと10数分。
本当にこんな山奥に学校なんてあるのか?
そもそも人家さえ無いじゃないか… と不安になる頃、山の頂きに抱かれるように集落が現れましたよ。
何となく天空の隠れ里のような感じの集落。
わずかに田畑はありますがほとんどは自家消費用でしょう。
林業集落なのかもしれません。
学校跡は集落の規模からすると思いのほか立派なものでした。
数年前まではプールも残っていたようですが、残念ながらプールは解体済みのようです。

久保田小学校は、明治6年 砂子原小学校 久保田分校として設置され、
明治9年久保田小学校として独立しています。
いくつかの分校がありましたが、平成4年まで大峯地区に季節分校をもっていたようです。
閉校は平成17年。創立以来130余年で卒業生1100余名と記念碑には刻されていました。

閉校記念碑に卒業記念のモニュメントが残っています。
校舎も閉校後も地域で使われているようで、ある程度管理されているのかきれいな状態です。
山奥の小さな集落のわりには校庭も広く立派な学校ですね。
記念碑にはプールのほかにスキー場もあった刻されています。
スキー場をもっている学校はなかなかありませんよ。


















福島県 西会津町 黒沢小学校

2017年07月31日 11時38分15秒 | 福島の廃校
廃校が多い会津の中でもとりわけ多いのが西会津町。
ウキペディアに載っているリストでも24校。
漏れている冬季分校などもあると思われるので30校近くあるのではないでしょうか。
多くは70年から90年代に閉校になっていますので、
今回訪れた2005年廃校の黒沢小学校はまだ新しい廃校と言えるでしょう。
まぁ、実際は閉校の8年前の1997年から休校だったようですが。

先に訪れた三島町の廃校から国道400号で西会津方面にクルマを走らせますが、
国道とは言え山間のクネクネとした細い道。
相変わらずエンジンに持病を持つ我が愛車、ここで止まったら完全アウト。
携帯の電波状況がやたらと気にかかります。

国道から少し入った高台に黒沢小学校はありました。
門柱には黒沢小学校と黒沢中学校の校名板が残っていました。
中学校は小学校が閉校するより前1983年には閉校していたようです。

山あいの小さな学校なので木造かと期待していましたが
2階建てのRC構造の校舎でした。
遊具類は充実。
昭和51年校舎改築記念碑が残っていましたが、
閉校記念碑や二宮像はありませんでした。
校庭の一部はゲートボール場になっています。














ここの校舎も窓の破損防止のため雪囲いに覆われています。
中の様子もうかがえません。





遊具類が現存




すぐ近くにあった黒沢地区公民館。
以前はこちらの建物も学校の付帯施設だったのかもしれません。
なかなか良い雰囲気です



校庭にはドーンと携帯のアンテナが経っていました。
心配すること無かった…


福島県 三島町 宮下小学校 滝谷分校

2017年07月26日 13時38分38秒 | 福島の廃校
会津の廃校巡りはまだまだ続きます。
会津地方は山深く、冬は豪雪。
学校も集落ごとに分校があったり、冬には冬季分校がおかれたりとしていましたが、
やはり児童数の減少により多くが閉校になっています。
とにかく閉校した学校が多いので廻りきるのには相当な時間と根気が必要です。

なるべく木造の校舎が残っているものを優先で訪れていますが、
情報も少なくあると思って訪れると取り壊された後だったりとなかなか難しいですね。

今回訪れた三島町宮下小学校 滝谷分校は
グーグルの航空写真を見るとどうにか校舎が残っているようです。
閉校は1995年。本校である宮下小学校、西方小学校とともに統合され三島小学校になっています。

閉校から22年経っていますが木造校舎はきれいに残っていました。
集会所としても使われているようです。
記念碑や二宮像はありませんが遊具類が残っています。
ここも雪囲いで窓が塞がれていますが冬は相当な積雪なのでしょう。
分校らしい小さな校舎は薄いオレンジ色、屋根は赤と可愛らしい色合いです。