廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

那珂川町 谷川小学校

2014年10月29日 17時44分39秒 | 栃木の廃校
旧馬頭町から茨城県大子町に向う国道461号線沿いにある谷川小学校。
平成22年3月、大山田小学校、大内小学校と共に三校の統合により閉校しています。

訪れると校舎の前には洗濯物が並び人の気配があります。
新しい看板があり「グループホームえにし」と書かれています。
どうやら民間に払い下げられ、老人向けの施設として使われているようです。
入所者の中にはここの小学校の卒業生もいるかもしれません。

コンクリート2階建ての校舎は「く」の字型になった、なかなか凝ったデザインです。
入口の上のガラス張りは天気の良い日は青空を映して美しそうです。

校庭に残された卒業記念のモニュメントに刻された名前はどれも少なく、
統合による閉校も致し方なかったのでしょう。
閉校記念碑は確認できませんでしたが、
もしかすると校舎の近くにあったのかもしれません。



谷川小学校 沿革
明治8年    谷川村、盛泉村を学区とし松慶寺を仮校舎として盛川館開校
明治25年   那須郡大内村立谷川尋常小学校と改称
昭和16年   国民学校令により大内村立谷川国民学校と改称
昭和22年   学制改革により大内村立谷川小学校と改称
昭和2年    町村合併により馬頭町立谷川小学校と改称
平成17年10月 町村合併により那珂川町立谷川小学校と改称
平成22年3月  大山田小学校、大内小学校と共に三校の統合により閉校 

いまだ、谷川小学校のHPが残っていますが、
小学校のホームページの中では飛び抜けて良くできています。
沿革や歴史、小学校にゆかりのある人物まで非常に詳しく書かれていますし、
学校の活動や様子なども判りやすく好感が持てます。
調べるにもかなり時間と手間がかかっているようですし、
若い先生の片手間ではなさそうです。
木造校舎時代の写真も見ることができるので、
しばらくはこのまま残って欲しいですね。


















茨城県 大子町 上野宮小学校

2014年10月27日 19時31分26秒 | 茨城の廃校
廃校に優しい町大子町。
そんな大子町の中心から北にある八溝山へ向うこと20分ほど、
山沿いの集落にひっそりと佇む上野宮小学校。

校門前には1台のクルマとカメラを手にしたご同輩。
挨拶をしてちょっとお話。
群馬、長野、福島とかなり廃校を巡っているようです。
群馬方面にはなかなか足を運べていないので、
中之条町の廃校には興味がわきます。

廃校巡りという超マイナーな趣味で、
同じ趣味のご同輩に出会うのはなかなか無いので、
なかなか楽しい数分間でした。

さて、上野宮小学校ですが、現在は民間に払い下げられているようです。
程々に管理はされているようですが、
廃校になった昭和58年からは30年以上経っていますので、
2棟ある校舎のひとつはかなり荒れてきています。
しかし、講堂を含めかなりきれいな木造校舎と言えるでしょう。
特に、講堂は美しいデザインです。
中を覗くと刈り取られたソバが干されていました。

校庭には二宮像は確認できませんでしたが、
当時のままの滑り台、鉄棒、サッカーゴールが現存。
校舎裏には寮と書かれた建物もあり教員住宅を兼ねていたのかもしれません。


大子町 上野宮小学校
明治8年2月創立
昭和58年3月 黒沢小学校と統合により閉校。
ちなみに統合された黒沢小学校の児童数も現在38名。
次の統廃合も近いかもしれません。

























奥会津 昭和村 大芦小学校

2014年10月24日 17時06分34秒 | 福島の廃校
奥会津 昭和村の廃校巡り。
校舎が残っていないのは判っていましたがとりあえず行ってみましょう。

喰丸小学校と同じく1980年に統合により閉校しています。
大芦集落の中程に開けた空き地が廃校跡のようです。
学校建築の記念碑が残っていました。
昭和4年3月起工、昭和5年9月竣功と刻されています。
閉校になるまで地域の中心として人々が集っていたのでしょうね。

ブランコがありましたが、これは後から設置されたもののようです。
シンボルツリーに桜の木が残っています。
8月の夏空の下、何となくカラッとした乾いた感じの学校跡でした。






大田原市 佐久山小学校 藤沢分校

2014年10月22日 11時43分03秒 | 栃木の廃校
大田原市 佐久山小学校 藤沢分校。
わずかな資料によると1967年に廃校になっているらしいのですが、
詳細はまったく不明です。

かすかな情報は昭和30年代の地形図と、
1975年に撮影された航空写真。
航空写真には赤い屋根の小さな校舎らしき建物が写っています。

現在のグーグルマップには別の建物が写っているので
当時の建物は期待出来ませんがとりあえず行ってみましょう。

行きついた先には「藤沢自治公民館」。
最近建てられたようで大変きれいな建物です。
閉校から46年が過ぎていますので遺構はまったく残っていません。
ほんのわずかに学校跡らしきものはコンクリートの四角い門柱。
しかしこれも当時のモノかは判りません。
門柱の横に松の木、それに敷地を囲むように銀杏と桜の木があります。
45年以上の樹齢のはずですがさほど大きな木でないのが気になります。

校舎はおろか学校跡の遺構はまったく見つけられませんでしたが、
たまにはこんな古い地形図頼みの廃校巡りもいいもんです。














南会津 田島町 永田小学校

2014年10月20日 18時54分14秒 | 福島の廃校
バタバタと仕事に追われ廃校巡りもままならず。
8月の会津廃校巡りの蔵出し物件です。

いつの時代も学校にまつわる怪談話は事欠かない。
トイレの花子さんに始まり、音楽室のバッハの肖像画の目が動く話や、
夜中に人体模型がさまよう話など学校の怪談話は多い。

まぁ、どれも「うわさ話」の域をでないのだけど、
ワタシは実際、昭和46年の小学3年生の時、
おぞましい「血染めのオルガン」を目撃しているのです。

ある日学校に行くとクラスはパニック状態に…。
なんと、教室にあるオルガンの鍵盤が真っ赤な血で染まっているのです。
白い鍵盤に赤い血。
かなりのオカルトチックな光景に泣き出す女子もいます。
先生を呼びに行くも、先生もパニック状態…。
教頭先生まで出てくる有様。

しかし、原因はあっさり解明。
前日の放課後にオルガンを弾いていた女子がいきなりの鼻血ブー。
慌てて鍵盤に落ちた血を拭おうとするも増々鼻血は酷くなり、
やむなくそのまま保健室に…。
どうやらそのまま帰宅。
残されたのはおぞましき「血染めのオルガン」。

その後女の子は当然「鼻血」と呼ばれるはめに…。


前置きが長くなりましたが今回は「ウォーキング ニノ」。
夜な夜な校庭を歩き回る二宮像がいる廃校跡です。

ここ南会津町(旧田島町)の永田小学校は
1974年に田島小学校に統合され閉校しています。
跡地には「永田林業研修センター」が建っています。
閉校記念碑など当時を知る手がかりもありませんが、
昭和27年に建立された二宮像が残っています。

しかしこの二宮像学校の敷地の外、
道路沿いに建っています。
わざわざ道路沿いに建てたのか、あるいは閉校後何らかの理由で移動したのか。
それとも夜な夜な、無くした論語の本を探し彷徨っているのか…。


これがウォーキングニノだ。







やはり南会津は林業の町。廃校跡が林業関係の施設になっていることが多いですね。


遊具はあれど最近の物のようです。



このローラーだけは当時の遺物の様にも思えます。