廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

松本市 旧開智学校

2013年09月30日 18時04分33秒 | 長野の廃校
長野遠征、松本市のメジャーな廃校と言えばやはりここ。
国宝松本城を外からさらっと流して、旧開智学校にやってきました。

明治9年竣工の擬洋風建築。
これだけの建築を地元の棟梁立石清重が設計・施工している。
設計の参考に東京や横浜の洋風建築を見て回ったらしいが、
当時の大工の棟梁の技術の高さと、洋と和を巧みに取り入れる柔軟なデザインに驚かされる。

正面の入口の上には天使と日本古来の龍ですからね。
一歩間違うとグロテスクになるところですが、
新しい時代を象徴させるデザインに昇華させています。

さらに驚くのは建設費用の7割を市民の寄付でまかなわれていると言うこと。
さすがに文教県長野ですね。

どこにあるかわからない廃校跡を探すのもいいですが、
たまには重要文化財の学校もいいものです。














上田市 旧西塩田小学校

2013年09月25日 18時02分32秒 | 長野の廃校
秋のお彼岸の連休に長野まで遠征。
松本市の旧開智小学校や旧制高校など、有名どころを見たあとに訪ねたのがここ上田市西塩田小学校。
下調べをしていなかったせいでなかなかたどり着けず、
途中、カフェで一服するはめに。

現在は、不登校、ひきこもり、中途退学などの生徒に対応する広域通信制高校のさくら国際高校になっていました。
通信制、単位制の高校なので通学する生徒が少ないせいか、
何となく荒れた感じがします。
使われていない木造校舎の中は乱雑に物が置かれ、
カーテンが破れています。
手入れもあまりされていないようです。

木造校舎は多少時間が経っていても、
ぬくもりが感じられるものですが、
ここはちょっと違います。

建物自体は部分的にサッシになっていますが、
木枠の窓に板ガラスととても素晴らしいものです。
歪んだガラスに映る信州の山並みが美しい…。

紅葉の季節にぜひ再訪してみたい学校でした。
ちなみに二宮尊徳は早くも秋物のマフラーできめてました。
お洒落さんですね。














塩谷町 熊の木小学校鳥羽新田分校

2013年09月19日 16時59分39秒 | 栃木の廃校
栃木の名峰、高原山に向う途中の小さな分校跡。
昭和43年3月の廃校ですから43年近い歳月が過ぎています。
しかし、建物はきれいだし、校庭も除草されて非常に良い状態を保っています。

訪れた時も近所の方が植木の剪定をしていました。
撮影した写真は2012年の夏です。
ヤマユリがたくさんつぼみをつけていました。
満開になるとそれこそ幻想的な美しさでしょう。

分校ということもあり建物は小さく、
先生1人に児童2人といった感じです。
校舎の軒先には始業を知らせる鐘がぶら下がっています。
ちょっと鳴らしてみたくなりますね。

熊の木小学校は
鳥羽新田分校 明治20年開校 昭和43年廃校
西高原分校  昭和32年開校 昭和50年廃校
東古屋分校  明治34年開校 昭和42年廃校
の3つの分校を持っていましたが
熊の木小学校自体も平成11年に廃校になってしまいます。
開校が明治7年ですから124年の歴史があります。
現在は星降る学校「くまの木」として宿泊体験学習の施設として余生を送っています。
熊の木小学校のレポートはまた後日。


















大田原市 蜂巣小学校

2013年09月17日 19時07分07秒 | 栃木の廃校
もうだいぶ昔のことだが、
日本旅館のパンフレットの仕事で撮影に行ったとき、
スリッパの中に隠れていたオオスズメバチに刺されたことがあった。
それ以来、アナフィラキシーショックにおびえて暮らしています。

一度、風呂場でスズメバチと対峙した時は、
全裸でショック死だけはしたくない一心でどうにか脱出、刺されずに済みました。

そんなわけで、山登りに行ってもビビる順番は、
1にスズメバチ、2にマムシ 3、4がなくて、5に熊です。

で、今回の廃校巡りは廃校からわずか半年の蜂巣小学校です。
しかも、木造校舎。平成23年3月に137年の歴史を閉じました。
まだ、校舎には子どものぬくもりが残っています。

校章の蜂小のマークがかわいい。
ちゃんと3匹の蜂がモチーフになってます。










茂木町 飯野小学校

2013年09月08日 17時49分12秒 | 栃木の廃校
木造2階建ての校舎と、校庭には天満宮が同居する不思議な廃校と聞いて出かけてみましたが、
残念な事に木造2階建ての校舎は取り壊されてしまったようです。

天満宮の立派な鳥居の参道横にわずかに学校の付帯施設らしきものが残っていました。
現在は集会所になっていますが、たぶん給食室とかではないでしょうか。

学校と敷地を共有して神社があるというのは現在では問題がありそうですが、
明治期に開校された学校には割と見かけます。
神社やお寺の境内に寺子屋的な学校が設置された名残なのでしょうね。

茂木町 飯野小学校 1998年中川小への統合により廃校。

目眩がするほどの暑さで幾分熱中症気味。
百日紅の赤い花と蝉時雨がまた暑さに拍車をかける。












塩谷町 上沢小学校

2013年09月05日 13時40分37秒 | 栃木の廃校
錆び付いた滑り台と鉄棒が、どうにかここに学校があった事を教えてくれる。
1978年の廃校後は地域の公民館になっているが、
当時の建物ではなさそうだ。
廃校記念の石碑があるが、敷地が狭く本当にここに学校があったのだろうか。

敷地に隣接して観音堂があり、如意輪観音が佇んでいる。
明治期にはお寺の敷地内に学校がおかれる事も多かったので、
ここもそんな感じなのだろうか。

公民館のわきに隠れるように廃校記念の石碑があった。


銀の錆び止めが塗られた滑り台。遊ぶ子はいるのかな。


敷地内の火の見櫓。


観音堂脇の如意輪観音。